***世界が悔やむ最果て
―18―
過去という 扉 の 向こう
あるのは
痛みばかりだ
右手の自由が利かない。
その状況での入浴は、やはり面倒なモノだった。
右腕を濡らすのを覚悟ですればいいのだが、この時期、あまり濡らすと蒸れてしまう。
ドライヤーで乾かしているが、できるなら濡らしたくはない。
左手で物事をこなす事に慣れるのに、そんな時間は要さなかった。
元より、祐希が『才』を持っているからだろう。
「っ……」
慣れたとしても、髪を洗う時ば別だった。
水に濡らさないようにしても、シャンプーが目に入りかなりダメージをくらう。
シャンプーが目に入った痛みには、どうしても慣れなかった。
「…ちっ……っ」
舌打ちだけで、はらえるほどの小さな痛みではない。
お湯を顔全面に掛けるが、痛みは染みて広がるばかりだ。
何とか痛みが引いた頃には、濡らさないようにしていた右腕が濡れている。
頭から水を浴びたままで、祐希は瞳を閉じた。
「にいちゃん、ボクの事、好き?」
「ああ、好きだよ。にいちゃん、ユウキの事、大好きだよ」
それは、いつもと同じ答え。
昴治ではなく、『にいちゃん』が『ユウキ』を好きなのだという言葉。
満足そうに笑ったのは、祐希だった。
それが、本当、ただ一つなのだと信じて。
念入りに右腕の水気を取って、ドライヤーで乾かした。
洗面所から出て、廊下に点いている明かりを消す。
居間にはもう誰もいない。
薄暗い廊下を進み、階段軋ませて登った。
少し進めば、すぐに自室のドアが見える。
「……」
ドアノブに手は伸ばさないまま、祐希はドア前で立ち止まった。
まだ水気の含む髪は頬に張り付くも、表情を解り難くする。
湿った長めの黒髪は、覆うのに十分だった。
ポタッ……
雫が一つ、落ちる。
フローリングの床に、小さな玉雫を作った。
ポタッ……
何も思い入れなどない。
この胸内にあるものも、解っての事だった。
立ち止まる義務もなく
在る意味もない
だが、これは、せめての『償い』であるから
期限付きの、夢。
望む事のない、夢の中。
痛みは、ありはしない。
「…………」
祐希は唇を噛んだ。
渦巻く、その感情は思えば沈んだ程、深く抉る。
ポタッ……
まだ、その自由の利く左手を伸ばせずにいた。
扉の 向こう に 在るのは
弟が 好き な 兄
(続) |