+++青に染まる海
―満ち潮の月―
それは、絶え間なく溢れるかのような
光を携えては、陰りを抱える煌きだった。
階段を静かに上っていく背を昴治は見る。
一瞬の、掠めた表情が気に留まった。
何かを、とても言いたそうな顔。
玄関横に置かれた、少ない自分の荷物を取り
階段へと昴治は行こうとした。
何を、言いたかったのだろうか。
呼び止めて、問いかけるべきだったか。
兄、として
クツリと昴治は笑い、階段から瞳を逸らした。
何とはなしに、今、問いかけてはいけないように思わせる。
それは、『逃げ』だと彼は言うだろうか。
思った事に、昴治は瞳を伏せてリビングの方へ足を向けた。
「言いたい事があるなら、はっきり言って。
言葉にしなきゃ、伝わないよ」
記憶の中の、彼女が何度も言う。
ブランコに座る自分は、それを面倒だと思いながら見上げた。
此処ではない、何処かへ行きたかった
カシャンッ
音が響いて、錆びたブランコが鳴る。
空は淀み、灰に染まる。
「………」
俯く、幼い、弟がいる。
小さな足は、地を擦るだけでブランコは大きく揺れはしない。
「祐希」
呼びかけて、
弟と同じ、幼い兄は
「……祐希、わかんない」
その言葉の答えのように弟は顔を上げた。
見つめるだけの、瞳が青く冴え冴えとしている。
「……」
何も言わない。
音にしなくとも、伝わると思っているのだろうか。
「言いたい事があるなら、ちゃんと言えよ。
兄ちゃんしっかり、聞くから」
記憶の、底。
自分は彼女と同じような事を弟に言った。
「……」
冴え冴えとした青の瞳が、瞬いて
そして何処か諦めたような表情になり閉じられる。
凍てつく、海のような
青が、静かに冷えてく。
「ウソつき」
カシャンッ
ブランコが、鳴った。
昴治はリビングのソファに座り、息をつく。
荷物は、換えの服と洗面用具だったので
上へ行かずとも片付ける事ができた。
残ったカバンをソファの横に置き、そして買った本を膝の上に置く。
開けば、青、青、青
「……」
綺麗、だった。
実際の海より、遥かに。
本のページを撫でて、昴治は窓の方へと視線を向けた。
外が、薄暗くなってきている。
その気配は、心情を騒がせた。
「いま、何時だ?」
誤魔化すかのように呟き、時計を見上げる。
時刻は夕方。
首筋を撫でて、台所の方を見た。
夕食の、用意はされているようだった。
(あんまり、お腹、減ってないけど……やっぱり食うべきだよな)
昴治は本を閉じ、立ち上がる。
台所へと向かおうとした足は、リビングを出て階段の方へと進んだ。
階段の前へつくと、上の方がとても薄暗く見える。
此処から、大声を張り上げれば
相手へ声は届く。
それが、聞き入れられなくとも。
夕飯、一緒に食べよう
食卓を共に。
仲違いをしている弟と共に。
苛立ちや、憤怒はなく
ただ、今は。
自分は迷っているようだった。
――昴治って、決めちゃいますと
もう、それだー!って進めちゃいますよねぇ
心配している一人である、友人の声が甦る。
(進んで……いるのか? 俺は)
――お魚さん、みたい
ああ、自分は泳いでいるのだった。
此処ではない、何処かへと思いながら
今、いる場所に昴治は笑う。
とりあえず、あの瞳と合う。
憤怒も、悲しみも何もない、瞳が向けられるだろうか。
それは、少し胸を苛む。
それでも、
昴治は、本を抱えて階段を上った。
何かを望み、自分は其処へ行く。
留まる事は、できなかった。
静かな、空間。
進んで、その締められた扉のドアのぶを掴む。
息を吸い込み、肺に酸素を満たして
昴治は笑みさえ浮かべて扉を開けた。
「……」
相変わらず散らかった部屋に、少し息を零し見渡す。
祐希
声を出そうとして、息が止まった。
唯一散らかっていない、ベッドの上に膝を抱えて座る影。
外から光は入らず、薄暗いこの場所に
「………」
長い前髪の影から、その青い瞳が映る。
冷たいだけの、青の揺らぎは
細波のように打ち寄せては引く。
染み付いた笑みを浮かべて、昴治はゆっくりと祐希に近づいた。
顔が上げられ、瞳が合わせられる。
強い、煌き。
されど冷えて、凍てつき
虚ろの、月光
「祐希、あのさ」
「………うるせぇ!!! うるせぇ!!! うるせぇぇぇ!!!!!」
会話を打ち消し、祐希は叫んだ。
そして、その拳を振り上げる。
ザァァァァァァァ……
急激に、その音が連れてくる。
(続) |