+++青に染まる海

―川原の土手―









「では、毎週木曜には来てくださいね」

「はい、ありがとうございました」

「お大事に」

小さな荷物を一つ手で持ち、ベッドから立ち上がる。
静かな病室の窓から、陽射しと風が舞い込んだ。

「……」

動きを止めて、少しの周りを見渡す。
此処には、自分と病院の者と。
他は、知らぬ人たちの声と音。

(ホント、俺って馬鹿だ)

クツリと笑みを零し、昴治は歩みだした。





少しの期待を抱いた、自分を嘲笑する。
昔だったら、こんな事を感じたりしなかった。
それは、当たり前だったからかもしれない。




また、肩でも並べて
歩きたい、なんて
今更ながら思うとは


滑稽すぎて。

「……しっかし、ガリガリだな…」

病院の正面玄関から出て、昴治は大きめのパーカーを着ていたので
襟元から手を入れて右肩を撫でた。
動かさなかった分、前よりも増して肉は落ちている。
手を肩から離し、昴治は前を見た。




頭も、打っていたのかもしれない。
昴治の呼吸が瞬間に止まった。




それは溶け込む事はない。
それは見落とす事などない。
自然に、当たり前に瞳に留まる。

「………」

街路樹の木陰下に、立っていた。
洗いざらしのシャツとジーパン姿の彼が近寄ってくる。
幻でも、夢でもなく。
その仏頂面と顰めて鋭さを強めた青い瞳が向けられた。

「………」

前であれば、嫌な顔を浮かべられた。


ぬるい、水の中で眠っていたらしい自分は
目を覚まして、泳ぎ、


どういう表情をすればいいのか解らない。
だが、顔に染み付いてしまったのか。
昴治は唇に笑みを宿した。

「どうした? 道でも迷ったのか?」

「………」

笑って

「迎えに来たワケじゃないんだろ? それくらいは、解ってるから」

できるなら、怒らしたくはなかった。
昴治は自分勝手な思い込みはしていないと、そう示すように言おうとする。
だが、それを言えば、顔をもっと顰められ瞳を逸らされた。

「祐希、」

伏せられる瞳の意味が解らない。
昴治は名を呼んだ。

「馬鹿アニキが」

久しぶりに聞く声は、鋭いというのに弱くも感じた。
髪を風が揺らす中で、その小さかった弟の手が伸ばされる。
呆然としている昴治から、半ばひったぐるように荷物を取って
背を翻し祐希は歩き出した。
その背を、瞬きの合間、見て。
口元を押さえて、そして離し、慌てて駆け出した。

「悪いっ!」

正直に、謝罪の言葉が出た。
苛立ちよりも前に、それを知って。

弟が、兄を迎えに来てくれた

駆けて、距離を縮めた昴治に祐希が振り返った。

「何謝ってやがんだ……ワケ解んねぇ」

冷たい、感情のないような声だった。
だが、弟の足は止まり、駆け寄った昴治を待っている。

「確かに、」

昴治は、苦く笑った。











会話はなかった。
だが、不快ではなかった。
何も言葉の浮かばぬ自分に、歯痒さを感じはしたが。
昴治は、ほんの半歩分後ろに歩く祐希を見た。

変化したのは、自分だけで
変化しない、ソレが此処にあった

人ゴミを少し避けて、家までの道を歩く。
川原の土手に差し掛かった時、何も言わず歩く気配に記憶が舞い戻った。


「にいちゃん、待って!」

「どうした?」

「あのね、お空がキレイだから」


記憶の声に誘われるように、昴治は上を見上げた。
薄く朧のかかる空は、決して綺麗ではない。
それは今も昔も変わらない事だった。
写真として残っている、本当の青空のように澄むのは人工的なモノでしか
ほとんど見られはしない。



(なんで、キレイだって言ったんだろう)



不思議だった。











歩みを止めて、ぼんやりと空を見上げる兄を祐希は見た。
それに唇を噛み締めて、そして同じく瞳を空へと向ける。


昔と、同じように


言ってみようか?






今なら、言える。
苛む全てと、その隠し続けた全てを抱えていても。



(続)
ずんどこ、ずんどこ。
軽く進んでいきます。はい。

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