**硝子細工毒林檎 ―後編―
ココロは消えず
ただソコにあって
一番嫌な事は、他人が傷つく事。
その想いが強くなったのは、
やはり一度目のリヴァイアス。
他人が傷つくならば、自分が傷ついた方がいい。
痛いけれど、他人が傷つくのは辛いから。
だから
オマエが傷つくのも嫌…
昂治は息を吸った。
鉄臭い空気が肺に入り込む。
見ているだけ。
煌くココロたちは綺麗だから。
見つめているだけ。
けれど、
「……」
ネーヤは立ち上がった。
「ネーヤッッ!!!」
アナタが呼ぶ。
私を呼んでくれる。
とても優しいアナタが。
血みどろになるのは初めてではない。
前は自分の血で血みどろになった。
痛みもあった。
だが今の血は違う。
自分に痛みなどない。
流れる血は自分より赤くさえ見えた。
倒れてきたらしい、鉄パイプが退けられる。
重力と反して、離れていく。
――ネーヤ…
覆い被さっている体を抱きしめ、昂治は身体を起こす。
部屋の片隅にネーヤはいた。
そして自分を見て消えていく。
駆け寄ってくる人たちが、とても客観的に見えた。
「…っ、」
ずるずると身体が落ちていく。
抱えなおし、相手を見る。
血が恐いくらいに流れ出ていた。
青くなっていく、弟の顔。
「昂治!!」
「っ…っ!!っ!!」
喉が鳴るだけ、声がでなかった。
駆け寄ってきた人たちが昂治から祐希の身体を離し
何処かへつれていく。
イクミが昂治の肩に手をやり、揺さぶる。
「おい、大丈夫か!昂治!!」
「っ…っ…、」
昂治は叫んでいた。
けれど、それは音にならず。
昂治は声をなくした。
ドウシテ…ソコに行くの?
沈んでいく意識は、何を表すのかは解らない。
ただ何かが満たしたような感じがした。
どう思われたのだろう。
軽蔑し、自分の想いを消そとする相手の顔が浮かぶ。
彼のコトだ。
消すのでなく、ただ穏やかに受け止めるのだ。
小さく切りつけて、血が少しづつ流れ出て。
弱らせていくように、やわらかく否定するのだ。
だから
答えなんていらない。
広がるのは黒い闇。
眠っているのか、
それとも…。
――どうでもいい、
闇を見るのも億劫で、祐希は目を瞑った。
ソコも暗い。
目を瞑っても開いても同じだった。
「ねぇ…ドウシテ?」
声が聞こえる。
それは、あの兄が可愛がっている少女の声。
「好き…好きなんだよネ?」
――うるせぇ…うるせぇよ、
声が頭に響く。
彼女は自分の夢の中に入り込んできた。
そう祐希は思った。
「こうじ…好き、好き…好きダ。
愛してる、愛シテル、誰にも――…」
――うるせぇって言ってるだろっ!!!
「ウソツキ。」
リヴァイアス内に設置された医療施設に一角。
角部屋に彼はいた。
「昂治…休んだ方がいい。」
「……」
昂治は首を左右に振った。
前には白いベットがあり、
静かに眠っている弟の姿がある。
打撲などの怪我と後頭部のきり傷。
そして脳波の乱れがあったものの、命に別状はなかった。
ただ、目を覚まさない。
「昂治の方がオカシクなっちゃうっしょ!」
「…、」
昂治は無傷だった。
だが、声がでなくなっている。
医師の診断によれば精神的な失語症らしい。
引かれる腕を払って昂治はイクミを見た。
声が出ない。
だから態度で想いを伝えようとする。
――イクミ…頼む、傍にいさせてくれ…
「…昂治…昂治、」
すっと抱きしめ、ゆっくりイクミが離れた。
苦く笑い、そして昂治の頬を撫でる。
「3時間だけっすよ?その後は消灯だからさ。」
「………」
コクンと頷き、昂治も微笑む。
イクミはゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。
「……」
静かになる。
昂治は用意されているイスに座り、
いまだ目を覚まさない祐希を見た。
――どうして…おまえは…
長い前髪を払って、顔の輪郭をたどるように撫でる。
反応のない相手。
けれどちゃんと呼吸はしている。
何処も死んではいないのに、死んだように眠っている。
――おまえは…そんなに俺を困らしたいのか?
ぺちっと軽く頬を叩く。
けれど目を覚ます気配はない。
――どうして、こんなに心を掻き乱すんだよっ
奥歯を噛み、目を瞑る。
――俺のコト嫌いなんだろ!だったらっ!!
布団の端を握り、相手を睨んだ。
変わらず目を閉じている祐希に昂治は手を伸ばす。
そしてゆっくりと頬に触れた。
「ウソツキ…ウソ…嘘だヨ、」
少女の声は響いて、イライラさせた。
――勝手に決めんなっ!!超能力者かよ、てめぇは!
「…解るもの、伝わるんダヨ。
キモチワルイって言う人もいる…でも、
こうじはワタシを呼んでくれタ…優しい、やさしい…」
――ただのお人よしだ!同情されてんだよ!
「それでも…いいの!
ネーヤ、こうじが好きなダケだから!!」
叫びに祐希は瞳を開けた。
そこには赤い瞳が印象的なネーヤがいる。
「それだけでイインダヨ…ワタシ、ヒトじゃないカラ」
無機質な声で紡がれる言葉は残酷だった。
ネーヤの想いは告げられない。
その真の想いは相手へ伝えない。
揺れる瞳は悲しげにソコにあるだけだった。
「アナタは…ヒトだよ。嘘…ダメだよ?」
「うるせぇ!!」
「…痛い、痛い、痛い、」
「うるせぇって言ってるだろうがっ!!」
祐希は手を上げ、ネーヤを叩こうとした。
だがネーヤを叩くことなく、その手は下ろされる。
「…てめぇに何が解るって言うんだっ!
ただ、見えるだけだろ!!」
「そう、そうダヨ…デモ嘘、云わナイ。
嘘…本当になっちゃ嫌だから。」
「それでいいんだよ、俺は兄貴が嫌いなんだ!!」
「……痛い、痛い、痛い!
こうじが泣くのは嫌ァァァァーーーー!!!」
ピリッと皮膚が痛む。
大きな声を上げたのだが、
ネーヤの声は響かなかった。
「なんで…何で兄貴が痛いんだよ。
おかしいだろ、それっ。」
「…痛い、痛い…確かめてみて…。
そして本当のキモチ言って………。」
ネーヤの手が頬に触れる。
人のようにあたたかい手だ。
「痛いの嫌…泣くのもイヤ…イヤなんだヨ。
ただ笑いたいだけなんだ…君と――……」
「……」
祐希は目を瞑った。
――何、言ってやがる……
視界はやはり真っ暗で何も映らない。
頬に触れていた手を唇に滑らした。
少し乾いていて、だがやわらかい。
――なんなんだよ…おまえは…おまえはっ!
手を離し、また唇に指を滑らす。
「……」
毒林檎を食べてしまったお姫さま。
キスで目を覚ます。
――お姫さまだって…祐希がそんな類か?
浮かぶ思考に笑い、昂治は顔を近づけた。
そしてゆっくり唇を近づけ、軽く触れる。
頬が熱く、無性に胸が痛かった。
「ん……」
「!」
眉が顰められた。
昂治は祐希の肩を揺さぶる。
「んん…っ……」
青い瞳が開かれた。
ぼーっとしたような顔に昂治は笑みを浮かべる。
頭を押さえながら起き上がる祐希を見守った。
――大丈夫か?どこか痛いとこはないか?
声にならない。
辺りを見渡し、
祐希は何も云わないでいる昂治を睨んだ。
「…なんでココにいんだよ、誰かに言われたのか?」
「……」
フルフルと首を振り、昂治は強い眼差しを受け止める。
「はっ…相変わらず、いい子ちゃんかよ!
このお人よしのっ…つ……!?」
後頭部に激痛が走り、祐希は目を顰めた。
それに気づき、昂治が伺うように肩に手をそえてくる。
「触るなっ!!」
パシッと振り払って、相手の襟首を掴んだ。
殴ろうと手を上げるのだが、じっと見つめている
昂治を殴る事は出来なかった。
「殴られるの、慣れてきたのか?
弱いクセにでしゃばるからだ。アンタは、」
「っ…っ!!!」
口をパクパクさせて昂治が何かを言っている。
「声にもならないのか。」
――違う!俺は、本当にっ!!
昂治は祐希の肩を握る。
「俺はアンタが嫌いだ。
アンタは俺が嫌いだ。」
――俺は嫌いじゃない!!
「だから、でてけよ!!今すぐ!!
俺の前から消えろよっっ!!!」
「っ!!!!」
後ろに昂治は倒れた。
祐希が突き飛ばしたからだ。
「っ…っ!!…っ…」
床に尻をつきながら、
昂治は何かを言っているようだった。
口は動いているが、言葉でなく聞こえるのは
掠れた息の音だけだ。
「……アンタ、声が出ないのか!?」
立ち上がった昂治を引き寄せ、祐希は聞く。
「っ!!…!!!!」
――俺は祐希を嫌いじゃない!!
勝手に俺のキモチを決め付けるな!!!
怒っているような表情で昂治は口を動かしている。
声が出ないというのに、それでも昂治は口を動かした。
「おい!!俺の質問に答えろ!!兄貴っっ!!」
「っ……」
昂治は我に返ったふうに、祐希を瞳に留め
コクコクと頷いた。
「……」
静かに祐希が見ている。
昂治は周りを見渡した。
――紙とかあれば……
そっと祐希の手をとって、掌を上へ向かせる。
そして指をあて掌に字を書いた。
「…俺は嫌いじゃない…?」
掌に指でなぞった言葉を祐希が言った。
頷いて昂治は相手を見る。
「嘘つくな!!バカ兄貴がっ!!」
急いで昂治は指で字を書く。
続けて祐希が何かを言おうとしたようだが、
掌の感触に黙った。
「どう…して助けた…俺が嫌いなのはおまえだろ?」
「……っ…」
――そう、おまえは俺が嫌いって言った。
「ああ、嫌いだ…嫌いなんだよっ!!」
――嫌い…なら、どうしてだ?新手の嫌がらせなのか?
睨む目は何故か悲しそうに揺れている。
迷子になった子のように、不安げに。
ツンと鼻が痛くなった。
昂治は目を伏せ、そして相手を見た。
――嫌われてても…それでも俺は…
好きなんだ…
気づいた想いに動かされるように。
昂治は祐希に顔を近づけていた。
唇に触れるだけのキス。
「……」
ゆっくり離すと顔を真っ赤にさせている弟がいる。
――俺の好きは…きっと、こういう好きなんだ。
嫌いと言われている。
出てけと言われた。
これ以上ココにいるのも、祐希の体調に宜しくない。
そう思い、昂治は離れようとした。
だがその身体を祐希に抱きしめられる。
どうしてキスしたの?
どうして
どうして?
兄貴は俺のこと…
好きなのか?
強く抱きしめると、身じろぎながらも
抱き返された。
それは温かく、久しぶりのぬくもりだった。
ヨカッタネ…
痛くナイよ…ネ?
昂治はベットに座り、
後ろから祐希に抱きしめられていた。
前に出されている手に昂治は言葉を示していく。
「どうして…嫌いって言ったんだ?
本当に嫌いなのか?…か?」
「……」
振り返らず、コクっと頷く。
見えるうなじに唇を寄せ、祐希は囁いた。
「アンタ、尾瀬と…」
「?」
「なんでもねぇよっ…」
すると昂治は掌に言葉を書いていく。
「…なぁ、兄貴。
アンタは泣いてくれるのか?俺の為に、」
こうじが泣くのは嫌
こくりと頷かれた。
抑えようのない歓喜が沸き起こる。
祐希は抱きしめる。
手離しかけていた、そのあたたかい人を。
たとえ
何があっても
君が好き
だから
壊れるソレを抱きしめる
(続) |