**硝子細工毒林檎 ―前編―
ココロなんてなければ
よかったのに
艦内にもう暴動など起きない。
平和な日常。
皆が望んでいた未来。
良かったと言えるほど望んだワケではない。
来なければ良かったと言うほど否定するワケでもない。
祐希はベットの横たわり、息を吐いた。
熱く燻る熱は、嵐にもなり凶器にもなる。
人を想う。
それは素晴らしい事だ。
そう言ったのはどの時代の人だろう。
想う事によって、こんなに苦しくなっている。
想う事によって、こんなに辛い。
自分をこんなに穢れていると感じる。
だから毒を吐き出す。
「死んじまえ、死んじまえ、死んじまえ……」
呪いのように続く言葉は自分を落ち着かせる。
誰かに言っているのではない。
「消えろ、」
想いは自分を閉じ込める。
昂治はゆっくりと背伸びをする。
背伸びと云っても、右肩はあまり動かさない。
残った後遺症。
それと代償に得た物。
そして得られない架空の物のような想い。
布団を避け、昂治は改めて自分は寝ていたのだと
感じた。そして腰あたりに絡みつく腕を見る。
「おい…離せよ…」
そう言って、昂治はその腕を軽く叩く。
「にゃー…まだ寝てます。」
「起きてるじゃないか。」
笑うイクミに昂治は目を伏せる。
ココは自分のベットだ。
寝る時はイクミはいなかった。
ということは、夜中に潜りこんできたと云う事になる。
「あ、ばれた?」
「ばれるもなにも…つーかさ、抱きつくなって。」
「役得、役得♪」
何のだよと、軽く呆れた声を出し、腰あたりに抱きつく
イクミの頭を撫でてやる。
不安だったのだろうか。
何か恐い事でもあったのだろうか。
そう何故だか昂治は思った。
「…そろそろ朝食の時間だ、早く仕度するぞ。」
「えーー、もうちょっと。」
「我がまま云わない!」
強めに言うと、イクミはしゅんとなりながらも離れた。
それが少し記憶の底を汲みだす。
感傷にふける程ではない。
けれど、それは望みを実感させるのに十分だった。
「昂治?」
「早く、仕度しろよ。遅いんだから、おまえは。」
頭を軽く振って、昂治は立ち上がった。
想い、それは胸の中に閉じ込める。
アナタト笑イタイ
アナタト話ヲシタイ
少女の声が頭に響いた。
明るいあおい。
少し元気を取り戻したこずえ。
食事は賑やかな物だった。
「いくみ、今日、暇じゃないの?」
「えへへ、ごめんな。メンテとカリキュラムが
もうギッシリ詰まっちゃって。」
パンを千切ってイクミは言う。
二人の仲は良くも悪くも修復した。
こずえはイクミが好きだ。
イクミはこずえを大事に思っている。
それは相手とは違う思いで。
「そっか残念…今度つきあってねv」
「暇だったら先着でいれますよん♪」
笑う二人に昂治は唇に笑みを浮かべた。
こういう日常を望んでいた。
望んでいたのだと思う。
マダ足リナイノダケレド
「そろそろ集合時間よ、行かなくていいの?」
「ああ、そうだな。」
「俺も一緒に行きますーv」
しがみつくイクミを軽く払いながら立ち上がった。
望んでいた日常は来た。
来た事に喜びを感じなければならない。
足りないモノはずっとそのままと言うワケでもない。
少しづつ、満たしていけばいい。
アナタハ消エルコトハナイノダカラ
極力する事はない。
カリキュラムも祐希にとっては、講義を受けなくても
簡単に試験を合格するほどだった。
ヴァイタルガーダーが今一番おもしろい類なのだろう。
若干操縦者に苛つく相手もいるのだが、
他にする事がない。
少々の我慢をしてメンテに参加する。
「……」
燻る熱は嵐になって吹かすのもいい。
けれどその嵐はすぐに退いてしまう。
成長とまでは云わないだろうが、殴る事は少なくなった。
だからと云って、ケンカを売ってきたのなら回避する事
はなく、逆に倍で返している。
感情は研ぎ澄まされ、鋭くなって
このまま相手を突き刺し
引き裂いて
ソレハ只ノ自己満足
それほどエゴイストでもない。
感情なんてすぐに消せる。
――死んじまえ…
何もかも消えればいい。
「でさー大変なワケよ。」
「ふーん。」
肩が震える。
祐希は壁によって、その会話する方に耳に向けた。
消えたはずの感情は湧き出す。
兄の声
その親友、尾瀬イクミの声
近くにいるのがわかる。
――隠れる必要なんか…
壁から離れ、祐希は歩きはじめた。
ちょうど少し歩いた先の角。
そこに二人はいた。
何シテイルノ?
イクミは昂治を抱きしめて
やわらかく口付けを交わし…
「っ!?」
舞い上がるのは嫌悪感。
そして引き裂いてしまいたいほどの憎悪。
祐希は拳を握り締める。
オマエナンカ消エチマエ
そう想うは真のモノか。
「あのさ…何だよ、いきなり。」
「えへへ、いいじゃん。約束っしょ?」
「だからって…あのなぁー…」
軽い冗談だと昂治は思っていた。
他愛のないトランプゲーム。
それに負けたら、キスをしてとイクミが
言ったのだ。ゲームの勝敗はイクミの全勝。
終わった後、何もなかったので冗談だと
取っていたのだが。
「俺が勝ったんすよ?間違ってないじゃん。」
「…男にキスして楽しいか?」
「昂治、カワイイんだもんv」
「あのなー…」
脱力して、昂治はため息をつく。
男とキスなんて、道徳的に間違っている。
だが怒る気がしないのは、小さな子供がする
"キス"に思えて――怒れなかった。
そして視線を上げた先に人が立っていた。
――…祐希…
変に罪悪感を昂治は感じた。
その不可解な感情に眉を顰める。
近づいてくる弟は、拒絶に近い雰囲気と牽制。
無視するワケにはいかない。
だが何と声をかければいいのか分からない。
そんな昂治の心情を知ってか知らずか。
「祐希ー、お元気?」
イクミが軽い調子でそう言った。
相手は鋭い眼差しを向け、立ち止まる。
その眼差しは、威嚇する感じではなく違う感情を
ぶつけているような気がした。
「うるせぇ…」
その眼差しはゆっくりと自分に向けられる。
言葉が出ない。
内部から沸き出すほどの暗い感情が渦巻き、
それを抑える別の感情は昂治には理解できず。
何とも言えない複雑な表情を昂治はした。
「昂治?」
「……あおいが心配してた、顔くらい見せてやれよ。」
イクミの呼びかけに後押しされるように昂治が話す。
けれど、祐希は応えずそのまま歩いていく。
もともとお兄ちゃん気質の昂治だ。
そういう態度を叱れずにはいられない。
「おい、返事くらい…」
去ろうとする祐希の腕を昂治は掴んだ。
触ラナイデ
頭に響くのは少女の声。
昂治の言葉は詰まり、続けて体が押し飛ばされる。
尻をつきそうになるが、イクミが後ろから支えた。
「大丈夫か?……危ないだろ。」
「……」
祐希は唇を噛み、そして俯く。
顔を上げた時には、昂治にとって何故か鳥肌の立つ
冷たい表情だった。
「そんなに毛嫌いしなくても、いいっしょ?」
声は軽い、けれどイクミの目は制すようなモノだ。
すっと祐希の目は細められる。
「毛嫌い?ふざけるな。」
いつもとは違う冷たい声。
それは本心を曝け出していると思わせた。
「俺は兄貴が大嫌いなんだよ!」
通路に祐希の声が響く。
その言葉を受け止めた昂治の顔は平然としている。
視線を逸らし、祐希は去っていった。
口から出る言葉など全部、嘘だ。
だから平気。
傷ついたりしないと祐希は思っている。
だが嘘は嘘だ。
偽りであっても、それを重ねれば真実となる。
言葉はその人のココロを伝えるもの。
たとえそうでなくとも、他の手段は精神的なモノで
受け取る側で違ってくる。
だが、言葉は違う。特にはっきりと言った事は
そう受け取れられるのだ。
だから毒。
祐希は毒を吐く。
――死んじまえ、死んじまえ…
他ノ人ト楽シゲニシテイル
アナタ見タクナイ
デモ止メル事モ出来ナイ
ソレナラ
イッソノ事
――死んじまえ、オレなんか…
欲しい物を取ろうとしない。
諦めている自分に祐希は嘲る。
「まったく…なんなんだよ…」
呆れの言葉を出し、支えて貰っているイクミから
離れた。イクミは小首をかしげる。
「何とも思わないんですかー?」
「怒らないのかって事?
もう、慣れてるよ。殴られないだけマシさ。」
「そっか…ふーん。」
イクミは上を仰ぐ。
肯定とも否定とも云えない返しを昂治は軽く流した。
「…あ!!」
「ど、どしたの!?」
「悪い、あおいと約束してたんだ!!」
「そりゃーマズイっしょ。」
「ああ、ごめん。先行っててくれ!」
昂治はそう言って駆け出した。
角を曲がり、やがてイクミが見えなくなる。
駆け出していた足をゆっくりとスピードを落し
歩みを止めた。
あおいとは約束していない。
あの場所にイクミの傍に他の誰かがいる所に
いられなかった。
俺は兄貴が大嫌いなんだよ!
何度も云われている。
何度だって殴られてた。
だが、
――さっきのは…ホントだった…
どこか本心ではないと思っていた。
それは間違いで本当に嫌われていると
そう認識させられた。
たくさんの時間を
たとえ仲違いをしていても
一緒にいた。
あんなに穏やかで
心地のよい
あの時間は
もうどこにもなくて
静かな雰囲気で冷たい表情で
云われたのは初めてで。
昂治はふらつき、壁に手をやる。
それでも体を支えきれなく、
ずるずると蹲った。
目眩、嘔吐感……
弟にキライと云われただけで
こんなになっている自分に昂治は困惑する。
「なんなんだよ…もうっ…」
困惑は自分への苛立ちに変わった。
リフト艦内は静かだった。
メンテもなく、誰もいないからだ。
その2階の手すりにネーヤはいた。
「好キナンダ…」
ポツリと呟き、手を見る。
「だから…死にたいノ?」
問いに答える者はココにはいない。
ボクなんかいなければ
ヨカッタノニ
(続) |