***Planet***
―moon-less―
ずっと仕舞っておいた。
ほら、大事な物って誰にも見せたくないって事あるだろ?
それと同じ。
ずっと、これからも仕舞っておく。
あまり夢は見ない。
落ちた体力のお陰で疲れが通常より多い。
云わば熟睡状態。
そんな中で夢を見るわけがない。
いや…違う…どっかで耳にした話。
人は眠るという行為で絶対に夢を見ている。
ただ、起きる前に忘れる…そう、そういうものだ。
夢は見るもの。
夢は誰でもいつも見ているもの。
そして忘れるもの。――だと思う。
「……なに哲学的な事を…。」
俺は自分の考えを指摘して、ため息をついた。
色々考えてしまう。
そう、特に週の中間である水曜と木曜あたりに深く沈みこむように。
あの時間に近づけば近づくほど、考えてしまう。
何を?
例えば勉強の事。
相変わらず、よくできないなぁとか。
例えば日常の事。
何でこんなに忙しいのかとか、今日のカリキュラムの先生は苦手だなぁとか。
例えば今みたいにふと思いつく事。
夢をみなくなったな…見ているんだろうけど。
例えば…そう例えば…。
――兄貴…
「っ!?」
朝は嫌だ、
朝に思い出したくなんかない。
朝は…特に……何で?
布団を掻き集めて、俺は蹲った。
よく言われるけど、本当に俺は墓穴を掘るなと思う。
考えなければいいものを。
思い出さなければいいものを。
何故、わざわざ浮かべるのか。
ホント、自分がバカすぎて笑ってしまう。
少し本当に笑うと、肺の奥の方が痛くなった。
「おっはよーです!」
元気な声に振り返れば、大きく手を振るイクミだった。
「朝から元気だな…。」
「何?その言い方。ちょいと棘ないっすか?」
「ないっすよ。」
即答すれば、本当なのかと覗き込んでくる瞳がある。
少しの煌きはいたずらっ子のようで、何だか笑みが零れた。
「ご一緒に朝食いいっすか?」
「どうせ一緒に食う気だったんだろ?」
「あらあらー、ばれてましたか。」
そう言うイクミにため息をついてから、零れた笑みを向けた。
すると多少の間の後、笑みが返って来る。
ああ、それでいい。
イクミから顔を逸らし、朝食のメニューを見た。
「……どうかしたっすか?」
「え?ああ、BセットかCセットか、どっちにしようかなぁってさ。」
「ふぅん……あ、すみませーん。Cセット二つお願いしまーす!」
軽く相槌を打ったかのように見えたイクミはそのまま受付にメニューを頼んだ。
何で二つ頼んだんだ?
その答えはニッコリと笑うイクミで把握する。
「おい、勝手に決めるなよ…」
「むむ?Dが良かったっすか?」
「そんな事言ってない!」
俺の言葉で少し目を瞬かせたイクミの横からCセットが二つ出されていた。
これじゃあ、変える事も忍びない…できるだろうけど。
もう一度、イクミを見れば勝ち誇ったような笑みに見えてちょっと怒った。
「オマエ、洋食派じゃなかったか?」
「んー、今度から和食派に挑戦って感じ。」
「なんだよ、それ……」
仕方なくCセットを受け取って、イクミと一緒に空いている席に座った。
テーブルに置いて席についた時、イクミが窺うように見てくる。
「朝は多めに食べた方がいいっすよ。」
「……ああ、そうだな。」
わかりにくいけど、わかる。
コイツ…心配してる。
少食になった俺の事を気遣っている。
嬉しくもあり、申し訳ない感じもあり……複雑だから笑みを返した。
「早く食べよう。」
「ん?そうっすね、いただきま〜す。」
「いただきます。」
そう言って食べ始める。
ひじきの煮つけを一口食べ、ご飯を数回口に運んだ時だ。
考えてみれば…
「朝さ、和食食べるの初めてじゃな……いか……」
「ほえ?どうかしたしたー?」
思わず絶句してしまった。
「昴治?」
「どうかしましたじゃない!なんだ、その食べ方!」
和食の定番である焼き魚。
その食べ方は目に余った。
食べるというより解剖に近い…。
「あはは…身をね、食べようとしてるんすけど、骨が取れなくてさー。」
「もっと綺麗に食え…」
脱力して云う俺にイクミは、また目を瞬かせる。
目を顰める俺に苦笑いをイクミは浮かべた。
「食べているつもりなんですけどもね…なんかねぇ…」
「解剖してるダケじゃないか…」
「あうっ……いや、マジで同じ指摘をしますねぇ……」
同じ?
首を傾げる俺から目を逸らし、また魚を突き出す。
魚を綺麗に食べれない人はたくさんいる。
育ちの所為だから仕方ない事だ。
いくらなんでも…その食べ方は逆に魚に同情してしまう。
「突くなって、余計に汚くなるぞ。」
「あーー…ホント同じで…俺、デジャブ感じちゃうっすよー。」
「は?」
「何はともあれ、洋食派だからねぇ。俺って。」
「じゃあ、頼むなよ。」
あははとイクミは笑った。
なんだかなー…ホントに。
「むむ?今、呆れたっしょ。俺の努力を笑う気っすか?」
「いや、さっきの言葉の意味を理解しただけで。」
「うえ?わかっちゃったんすか!」
ぐさりと魚に箸を突き刺して、俺を見てきた。
そんなに驚く事なのだろうか。
「和食派に挑戦ってヤツ。」
「あ、そっちか、」
「は?」
そっちって何だ?
他の意味があるのか?
そう思う俺を余所にイクミはまた魚を突きだす。
「むむむーーー…強情だなぁ、このっ!」
「だから…突くなって……。オマエ、変な所で不器用だな。」
「あは、昴治もそう思います?俺も最近、そう思う。」
自覚は良い事だと思う。
けど、まずは前の焼き魚の惨劇に頭が痛くなった。
「基本、教えてやるからさ…突くの止めろって。」
「お?マジっすか?まってましたよー昴治センセv」
「あのな…」
ため息が零れた。
たまにだ。
普通に通路を歩いていると、耳にする会話。
別に盗み聞きしたんじゃなくて、ホント通りかかった拍子に聞こえた言葉。
「ね…やっぱ祐希君ってカッコイイよね。」
「うん、そーだよね。」
祐希が…?
態度悪いけど、確かにカッコイイかもしれない。
兄弟なのに、ぜんぜん似てないし。
でもマジで協調性ないし、我が侭な所あるし…。
「クールな所も好きだな。」
「そこは私、嫌かも。」
「でも、そういう人に好かれると、とことん優しくしてくれそーじゃない?」
……そういうもんか?
「そっか…でもさー、噂だと誰かと、つきあってるらしいよ。」
「あのVGパイロットの子?」
カレンさん…と?
「ちがう、なんかね…カワイイ子らしいけど。」
アイツ…好きな人いたっけ?
いや、俺が気づいてないだけか。
……誰だろ?
別に俺には関係ない事だけど――でも少しは関係あるか。
一応は、そういう事しているから。
そう思えば、胸奥が少し痛んだ。
よく解らない痛みは何なのか、いつもは考えるがワザと目を背ける。
痛みは益々、大きくなった。
カリキュラムを終えた俺に話し掛けて来たのは、VG方面担当の先生だった。
VGに直接関係のない俺に話し掛けて来た要因が解らず、戸惑いを見せていただろう俺へ
先生は見下ろしてくる。
「相葉…昴治君だね?」
「え?はい…あの、何でしょうか?」
「いや、悪いがコレを渡してくれないか?」
数枚の資料。
それを差し出され、俺は受け取った。
「…あの、誰に?」
「君の弟に。頼んだよ。」
「はい、」
……祐希に?
という事は、サボったのか?アイツ。
見ても解らない資料を軽く見て、俺はIDカードを出した。
試しにコールしてみたが、出る気配はない。
とすれば、部屋にいるだろう。
大抵は振動タイプにしてポケットに入れているとイクミから聞いた事がある。
俺はIDを仕舞い、祐希の部屋に向かった。
頼むほどだから、急ぎなのだと察しがつく。
なら早めに渡した方がいいと思い、通路を小走りで進んだ。
だが、部屋に近づくほど走りが遅くなる。
ついには走りは歩みに変わっていた。
何だか気が重くなった。
今日は普通の日。
時間も早い。
でも祐希の部屋に行くのは、そういう時しか最近なかった。
行くという行動が、他の記憶を引き摺り出して気分を滅入らせる。
考えすぎ…
俺はため息をついた。
見た先に祐希の部屋がある。
意識しすぎるから、気分が滅入るんだ。
そう俺は自分で言い聞かせて、気づいた時には呼び鈴を押していた。
最近、ぼんやりしてるかもな。
数度響くハズの呼び鈴は一回鳴った後で扉が開いた。
めずらしい。
すぐに出てくるなんて。
「……」
あ、そうだ。ボンヤリしてる場合じゃない。
「…担当の先生から頼まれたんだ…オマエ、サボったのか?」
そう云うと、祐希の手が伸びてきた。
何も言わずに取る気か?
だが、伸ばされた手は資料ではなく、胸元に触れる。
トンッ
え?
今…何された??
「……」
自分の視線は益々低くなり、尻に痛みが伝わる。
散らばる紙の奥、祐希が見下ろしていた。
俺、押された?
嫌がらせかと思い、俺は祐希を睨もうとする。
けれど映った表情に呆然としてしまった。
何だ…その表情は。
消エチマエ…
「祐希…」
俺の口から出たのは弟の名前。
それも馬鹿みたいに戸惑いが篭るもの。
「……」
怒りも悲しみも何もない。
目の前に何もないかのような表情で祐希は背を向け、部屋へ入っていった。
「……」
なんだよ…なんだ?
俺、今なにかしたか?
気に障るようなコトしたか?
いや、するも何も資料を渡そうとしただけで…。
俺は散らばった資料を掻き集めて、ポケットからIDを出す。
横のセキュリティに通してみた。
ビーーーッ…
鳴り響いたのはエラー音。
目を顰めて、俺はもう一度通してみた。
ビーーーーッ…
変わりない音が響く。
前は入れたというか、エラー音もしなかった。
今は入れない。
もう一度、呼び出ししようと手を伸ばす。
あ…
――ねえ、どうしてこんな事するの!
――う…っ…
――祐希!
ノイズのように雨音が脳裏で響く。
ああ、これはアレだ。
拒絶だ。
金曜日。
明日は祝日で休暇だ。
だから、いつもの癖でシャワーを浴びて祐希の部屋前に来ていた。
なに…来てるんだか。
そう呆れながら、やはりIDを通せばエラー音が響いた。
もしかしたら…
なんて思った。
「……帰ろ…」
IDを仕舞って、俺は自分の部屋へ戻った。
もしかしたら…なんて思っていた。
余程、嫌なカリキュラムで格下と思っているだろうヤツに資料など持ってこられて
ムカツいたのかもしれない。
アイツ…短気だし。
「俺も…か、」
暗い自室に入って、鍵を閉めた。
シャツのボタンを緩め、俺はベッドに倒れこむ。
少しの軋みが聞こえ、弾力はやはり固い。
スプリング、やっぱ壊れてんのか。
祐希の所のベッドは寝心地…良かった。
「……」
もしかしたら…なんて思った。
ホント馬鹿みたいに。
「んなわけねぇだろ…所謂、飽きたってヤツだ。」
何に?
俺との行為に。
チガウ
嫌気が差したんだ。
「捨てられた…ってヤツか?」
俺は蹲り、軽く笑った。
おかしいじゃないか、その言葉。
弟の行為は嫌だったのは俺の方だ。
出来るなら願い下げしたいほどだったのは俺。
それが何だ?
捨てられただって?
「……」
枕を掴み、ベッドの縁を何回か叩いた。
「これで、ゆっくり眠れる…」
――兄貴…
「っ…」
馬鹿みたいだ。
馬鹿だ。
馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿野郎がっ
「なんなんだよっ!!!」
思いっきり投げた枕はデスクにぶつかり、開きっぱなしのノーパソのぶつかり
ノーパソが床に大きな音を立てて落ちた。
大きな音に俺の肩はびくついて、ちりちりとした痛みに右肩を押さえる。
「……」
枕を取りに行く事も、ノーパソを戻す事もなく、俺は蹲った。
もう頭の中がぐちゃぐちゃだった。
横になった俺の手が伸びた場所は――
「……」
――アンタは…此処が好きなのか?
身体が熱い。
日常の中で非現実でありながらも、何度も続ければ習慣となる。
習慣となった事はしなければ、調子が狂う。
だから、これも当然だ。
嘘。
解ってる、解ってるよっ。
身体は熱い。
伸びた手はズボンのチャックを下ろして、モノを掴んで。
「っ……」
当然?
普通か?
他のヤツだって同じような事をしてるハズだ。
でも俺のは違う。
――こうされるのが…いいのか?アンタ…
浮かぶのは綺麗な女の子でもなく、知らない女の裸体でもない。
他の誰でもない。
アイツだ。
――兄貴…口…
「ん…ぐ…」
動きを真似るように手で擦り、空いてる方の手で口の中に指を入れた。
普通なら、こんなコトしない。
おかしい。
笑える…馬鹿だ、俺は。
――舌、絡めろよ…俺はしたぜ?
…ああ、
「んん…んむっ…んっ」
先走りでぬらぬらと光ってくる。
手はべとついて――口に指を入れたまま俺はズボンを下着毎脱ぐ。
うつ伏せになるようにして蹲り、後ろへ指を伸ばした。
くちゅ…
そんな音がした。
「っ…ぐぅ…ふぅ、ん」
無理に指を入れたから痛みが下肢を震えさせた。
初めて自分の指を入れた其処は、熱く引き込むように蠢いてる。
いつから…こんなんだった?
それとも最初からだったか?
こんな…
「んっ!?んん!ん…」
こんな所をアイツに触られてた?
こんな所に入れられてた?
――好きなんだろ…アンタ
ああ、そうだよ…好きだ…好きだ。
「んっ…はぁ…あ、あ、」
口から指を引き抜き、唾液で濡れた手を俺のに絡める。
ビクビクと脈打ちが手に伝わった。
声が溢れて、頭の中が白くなってきて
――俺が…好きなんだろ?
「ん…うん…うん…ううっ…ぁ…うあっ…ぁぁ…」
ビチャッ、ピチャ…
水系の音が聞こえ、穴が俺の指を締め付け、俺のが俺の手を汚した。
身体の火照りは消えず、尚も熱くなる。
――欲しいのか?
…祐希、祐希、祐希っ!!
白濁の液を内股にすりつけて、残りを穴の中に入れようとする。
じゅくじゅくと音をたて、俺の身体は震えた。
「う…ぅ…うう……」
――兄貴…
「う…ひっく……ううう…」
もう知ってた。
もうずっと前から知ってた。
でも解らない事にしてた。
「祐希…祐希、祐希……っ…」
こんなコトする俺が情けなくて
こんなにも
こんなにも胸が張り裂けそうに、好きだったなんて…
馬鹿みたいだ。
いつも俺は遅いんだ。
過ぎ去ってから気づく。
前もそうだ。
あおいの事。
ファイナの事。
みんなの事。
イクミの事……。
そして今、気づいたのは。
こんなにも俺がアイツが好きで、アイツは俺をもっと嫌いになった事。
あの雨の日以上に。
胸が痛かった。
「……祐希……」
胸が痛かった。
「あっれー?早いじゃないですかー。」
明るい友人の声が食堂のざわめきの中響いた。
「Bセット。」
「あう、無視っすか?」
「オマエに頼まれる前に言おうと思ってな。」
「にゃるほど。」
俺の返しに感心したようにイクミは言った。
顔は揶揄いを秘めた色であったが。
「まぁ、それは置いといてぇー。
今日はどうしたんすか?休日、いつも遅いじゃん。」
「今も十分、遅いぞ。」
「…ま、それもそうですけど。」
寝起きの悪いイクミだ。
休日となれば、朝食を摂るのが遅いのは知っている。
けれど寝起きの悪いイクミは特定の時間を過ぎると連絡してくれていた。
いつもは、ほぼ気絶するように寝ていて、その連絡は正直助かっていた。
いつもは。
「新しい目覚まし、セットしてみたからさ。
いつもより早く起きれたし…レポート少なかったしな。」
嘘を真実のように塗り固めて言った。
「なる〜…俺のモーニングコールお役御免っすか?」
「そうでもない、起きれない場合もあるし。」
そう言うとイクミはニコリと笑って、Cセットを頼んだ。
「…また焼き魚に挑戦か?」
「今日は紅しゃけ!勝つ自信あるですよ!」
それは…勝つも何も。
そう言おうと思ったが止めといた。
少しの変化はけれど、少しであり。
日常に差し支えはない。
いや、その変化したものこそが差し支えの原因。
だから日常が現実に戻るだけだ。
ふと気づいた時には、3ヶ月…過ぎてた。
やはり忙しい日々、それが日常になるのは、そんな時間は掛からなかった。
表面的には。
「何か、根を詰めてんの?」
あおいが話しかけてきたのは、ちょうどブリッジに行く途中だった。
フラアテの格好で、どうやら実習の帰りらしい。
「は?」
「は?じゃないわよ。なんか最近、頑張り過ぎてない?」
「頑張っちゃいけないのかよ。」
「なによー、その言い方。かわいくなーい。」
むすっとした顔のあおいに俺はため息をついた。
「悪かった、」
「あれ?素直ね、今日は。」
いつも素直じゃないって事か?
いや…素直じゃないか、俺は。
「まぁ、それは置いといて。最近、ホント頑張りすぎじゃない?」
「別に、何でそう思うんだよ。」
上を仰ぎ、人差し指で唇を撫でそして俺に近づいて来た。
そして覗き込むように見て、そして息を吐く。
「なんかさー、カリキュラムはギリギリまで入れてるし。
ブリッジの仕事とかさ頼まれたら忙しくても断らないしさ。」
「そんなの普通だろ。」
「でもね、なんかね。」
食い下がるあおいに俺は目を伏せた。
「なんか無理にやってる感じ。」
「気のせいだろ。」
相変わらず…だな。
幼馴染は伊達じゃない。
ばれているようだ…まぁ、根底はばれてないようだけど。
「昴治?」
「気のせいだって、俺さ次の試験…結構、点取らないと危なくてさ。」
「え?そうなの?」
軽く頷き、俺はあおいから自然を装って目を逸らした。
忙しければ…
時間に追われれば…
何も、何も考えずに済む。
そう思ってた。
「うむむー。」
「早くしろよ……。」
「あはは、ちょいと待ってくださいなぁー。」
休憩する為の簡易スペースの一角。
観葉植物を眺めながら落ち着いた空間、お茶を飲めば確かに休まるだろう。
目の前に広がる書類やチップを見て溜息を出た。
「おまえな…講義の時、寝るなよ…。」
「だってぇ、あの教官の話、飽きるんですもん。
それに、昴治君が見せてくれるし!」
「あのな〜…」
と、俺は友人に講義の内容を見せていた。
それをイクミは持って来たノートやチップにデーターを入れていく。
「最近さ、メンテが急ピッチで……なんか弟クンがねぇ、根詰めてる感じ?」
「ふーん……」
「んん?何かクールっすねぇ。」
「そんな事より、さっさと纏めろよ。」
「ふぁーい。」
クール?俺が?
動揺しているのが解る。
表情を変えないように努めるので精一杯だ。
あんなヤツ、忘れようと思うのに。
「あれ?祐希君じゃないっすか?」
「え?」
すっと条件反射のように俺はイクミの視線の先を追う。
そこにはアイツがいた。
「カレンさんと一緒っすねぇ…。」
「無駄口叩いてないで、手を進めろよ。」
「お、厳しい!」
溜息をつき、俺は頬杖をつく。
視線の先、普通を装って掠めるように祐希を見た。
カレンさんと休憩を取っているかと思えたが、そうではないらしい。
広げられているのは何か難しそうな書類や資料。
互いに真剣な面持ちで何か話し合っているようだ…。
凛として、妥協を許さないような…そんな表情、俺は知らない。
「ホント…忙しいんだな。」
「ほえ?」
「何でもない。」
そんな顔、俺…知らない。
目を伏せた。
内部が熱く焼けるようで。
ああ、ダメだ、ダメだな。
アイツが消えない。
キモチワルイ
「おい、顔色…悪い。具合悪いのか!」
「えっ…いや、寝不足なだけだ。」
急に心配そうな面持ちでイクミが聞いてきたものだから、俺は吃驚した。
「ごめんな、疲れてたですか?」
「いや別に何処も悪くないけど。」
「ホントですか?」
「ホントだって。」
笑えばイクミは安堵したような表情を浮かべた。
心配しすぎだ。
そう言おうと思ったが止める。
「ありがとな、」
「ぅえ?」
首を傾げるイクミに俺は笑みを返す。
それ以上言わずにいると、へらっと笑い返された。
まだ…笑える。
引き攣る事なく自然に笑える。
きっと忘れる。
きっとなくなる。
前、できたんだ。
前、出来たはずなんだ。
消えちまえって。
もう何処か遠くに誰も知らない場所へ。
忘れられるって思った。
視線は掠めるようにアイツを追う。
感覚が全部、追いかけて気に掛ける。
あんな顔できたんだ。
怒りが込み上げ空しくなる。
ああ……溢れそうだ…
体が熱くなりそうで、押さえ込めば胸が痛い。
もっと自分が嫌いになる。
数日経って、急に呼び止められたのはブリッジから出てちょうどだった。
通路を歩く数人とツヴァイの数人。
初めは俺に話し掛けてるとは気づかなかった。
「俺?」
「はい、」
金髪で翠の瞳。
背は俺より少し高いくらいの女の子だ。
可愛いというより綺麗な感じで…当然ながら俺は知らない。
「あの…付き合ってくださいませんか?」
付き合う?
「いいけど、何処に?」
そう返した俺にトントンとブライアンに肩を叩かれた。
「そうじゃねぇって、」
「は?」
呆れ顔され溜息までつかれた。
「あの相葉さん!私、アナタの事が好きなんです!!」
「え???」
好きって俺の事が?
「あの付き合ってください!」
「え…えと、」
面と向かって言われるのは初めてだった。
焦って。
どうして俺の事を?とか
アイツと間違ってないか?とか……
「あのダメですか?」
ダメだ。
「どうした?」
ブライアンが揶揄うように言ってきた。
「…ごめん、俺さ…その君の事よく知らないし。それに……。」
「あの、誰か好きな人でもいるんですか?」
そう俺は…
「ああ、ごめん…好きな子…いるんだ。」
「えっとーBセット二つお願いしますですー。」
「おい、」
俺が頼む前にイクミがオーダーした。
「先手必勝だにゃ。」
「…あのな、」
仕方なくBセットを受け取り、俺はイクミと席についた。
やはり和食で焼き魚がついている。
「いただきます、」
「いただきまーすです!」
食べ始め、ふとイクミを見た。
焼き魚と格闘しているが、教えた甲斐があってか上手に身を解している。
「おまえ、上手くなったな。」
「えへへーそうっすか?」
満面笑みを浮かべ、ぐさりと箸を身に刺す。
「だから刺すなって、」
「お、そうだったっすね。箸って奥が深くてさ。」
やはり洋食派だなと思いながら、味噌汁を一口飲んだ後
イクミを見ると覗き込むように見られる。
「なんだ?」
「いえいえ、あの聞きたい事があったりするんですよー。」
「なんだよ、」
魚の身を解しながら聞くとイクミはコホンと咳払いをする。
「昴治の好きな人って誰?」
「な!?」
いきなりそう来るとは思わなかった。
「だってそう断ったんしょ?」
何で知ってるんだよと言おうとしたが、すぐにブライアンの顔が浮かんだ。
アイツじゃくても、周りに数人いたし。
「どうだっていいだろ、」
「だって気になるじゃないっすか。教えてぇv」
「気色悪い声出すな。」
相変わらず笑っているイクミに俺は睨んだが
全く効き目がないようだ。
一息ついて落ち着こう。
お茶を飲んで俺はどうにかこうにか落ち着こうとした。
「昴治の好きな人ってさ…きっと髪が長いよね。しかも黒髪かにゃ、」
なんで解るんだっ
「なんでだよ。」
何とか感情を押さえ込んで、平静を装って言った。
「長い髪の子、好きっしょ?」
確かにそうだけど。
「で、顔は綺麗っしょ。ちょいと身長高いかにゃ?デルモ系ってヤツっすか。」
「どうして、」
「以外と面食いじゃないっすか。」
何かやけにニコニコして言うイクミから目を逸らす。
「素直じゃなくて、甘えたいクセに反発しちゃってねぇ。
結構もてる方でつり目な感じ?」
俺の好きなやつ…。
ふと脳裏に浮かぶアイツは振り返って手を伸ばして。
「祐希クン。」
「ち、違う!!俺はアイツなんか好きじゃない!!!」
認めない。
そんなの認められない。
認めてるクセに認めたくはなかった。
「あの、そうじゃなくて……」
「へ?」
振り向くと斜め後ろにカレンさんと一緒に祐希がいた。
「あ……」
聞かれてたか?
いや、大声あげた気がするから聞かれただろう。
どうしよう、どうする?
俺はオマエの事嫌いじゃ……
「アンタに好かれる奴が可哀想だな。」
表情も変えず、冷たく蔑ずむように。
なんだよ。
なんなんだよ、その態度はっ。
「あ、お兄さん、おはようございます…って、あ、ちょっと待ちなさいよ!」
そのままカレンさんと一緒に過ぎていく。
俺にも目もくれずにだ。
「ぬぬー…新手ですな。」
「……俺の事、嫌いだからな。アイツは。」
そう云うとイクミは目を丸くする。
「そんな事ないっしょ?」
「俺もキライだし。」
弟のクセに。
弟のクセに。
弟のクセに。
兄ノクセニ……
こんな感情知らない。
こんなの嫌だ。
いっそ消えてしまえばって思うくらい。
でも消えてほしくなくて。
どうしようもない…長かった分、大きくなっていて。
ああ、どうして今ごろ?
ああ、どうして今更?
なんて思って。
忘れられる、どうにかなるって…そう思って。
「…ダメだな、マジで。」
溜息をつき、通路の端に背を預けた。
週末までは何とか片隅に仕舞っておける。
だが週末になるとダメだった。
思い出して、体が熱くなる。
止められず、馬鹿みたいに。
溢れる。溢れて困る。
もう、嫌だ。
嫌なんだ、こんなのっ。
って思うんだけど。
渦巻くように消えずに、それさえも心地よくさえ感じてきて。
馬鹿だな、ホント。
「はぁ……」
溜息が零れた。
コツコツ…
足音が聞こえてきた。
いつまでも此処にいるワケにはいかない。
俺は壁から背を離し、歩き出そうとした。
「ぁ……」
どうしよう、どうする。
歩いてきたのは祐希だった。
嫌われてるから……いや、前の事を弁解して、嫌いじゃないって?
言って、どうするんだ???
「……」
何だか顔色が良くない。
それに……っ
「っ!?」
ふらついているのが見えて、俺は駆け寄った。
支えようとした手は当然のように振り払われた。
「……」
「っ…おいっ、」
壁に手をつき、祐希は俺を睨んでくる。
「触るな…、」
「…な、なんだよっ、その言い方は!!」
「触るなって言ってんのが、解らねぇのか?」
なんだよ、それっ。
それが兄に向かって言う言葉か?
それが、それがっ
頭の中がチカチカと光る。
「オマエがフラついてたからなっ!」
「アンタみてぇに弱っちぃ体じゃねぇ。」
静かに睨みながら言う言葉はチリチリと胸奥を刺す。
「オマエな!!!」
声が通路に響いた。
「うるせぇ。」
はっきりと言うそれは頭の中を真っ白にさせられる。
「その言い方はなんだ!」
「……」
顔をだるそうに逸らし、歩き出そうと動いた。
俺の手は自然に伸ばされ、祐希の腕を掴んでいた。
「なんだよ、その態度は!!」
それが弟が兄に対するものか?
「弟のクセに!!」
それが……それが…仮にも抱いた奴に云う言葉か…
「うるせぇ!!」
殴られるんじゃなくて、頬を平手で叩かれた。
そんなに強くはないが、ジンジンと痛んで。
「てめぇが好いてる奴のトコでも行ってろ!!!」
「っ!?」
弟の顔が歪む。
俺の顔もきっと歪んでる。
「アンタに好かれて迷惑してるだろうけどな、」
迷惑。
ああ、迷惑してるだろう。
そんなの解ってる。
解ってるさ、認めたくないが認めるしかない。
「早く行けよ!!!」
ワケが解らぬほど、俺は頭に血が上っていたのだろう。
右手を挙げようとして、痛みで挙がらなくて目を顰めながら左腕を代わりに挙げて
そのまま祐希の頬を叩いた。
バシンッ
小気味のいい音が耳に残る。
「悪かったな!!そんなの解ってんだよ!!
大体、何様のつもりだ!!!オマエがそもそもあんな事するからだ!!!」
「うるせぇ!!」
「弟のクセに!!」
「アンタはいつもそうだ!!」
そう、いつも、そうだ。
「うるさい!!解ってるって言ってんだろ!!!」
「解ってねぇよ!!アンタなんか!!!」
「うるさい!好きで悪かったな!!仕方ないだろ!!!」
睨む視線と絡んで。
祐希は俺の胸倉を掴んで、俺は祐希の胸倉を掴んでいた。
「ああ、最悪だな!!」
「オマエに云われる筋合いなんかない!」
「アンタが、アンタの所為だ!!
どうせ、本気じゃねぇクセに!!!」
本気じゃない?
「本気に決まってるだろ!!」
「最悪だな!!」
「悪かったな!!オマエが好きで!!」
「悪いな!俺がアンタの事好きだって知らないクセに!!!」
……
「「は?」」
呆けた声を上げたのは俺だけじゃなかった。
そのまま馬鹿みたいに見合う。
「「……あ…」」
胸倉を掴んでいた手を離し、祐希も胸倉から手を離した。
無愛想な顔がおもしろいくらいに真っ赤になる。
久しぶりに見る年相応…それより幼くも見える祐希の顔に俺は焦った。
何とかしなきゃ。
そう瞬時に思った。
「…何、冗談言ってんだよ。」
「アンタこそ、冗談言ってんじゃねぇよ。」
そう、冗談だ。
そう云えば……なんて考えた。
「アンタが好きなのは黒髪で髪が長くて、背が高くて…あ、」
益々真っ赤になる。
あんまり見られないその表情は何だか可笑しくもあり、可愛くもあった。
「……なに、笑ってやがんだ。」
ああ、ホント久しぶりに胸奥から笑っている気がする。
「オマエ、顔…真っ赤だぞ。」
「…うるせぇ、兄貴も真っ赤だぜ、」
そう云われれば頬が熱い。
「冗談だろ、アンタは兄貴で、俺は弟で、」
顔がまた歪められた。
何か痛くて右手を伸ばす。
頬に触れて、撫でてやれば目が見開かれ、くしゃりと歪んだ。
「……ホントなのか?」
「アンタこそ……」
頬に手が当てられた。
「オマエ、顔色悪いな、」
さっきまで赤く…今も少し赤くなってるがホント顔色は良くない。
「あんま寝てねぇから、」
「ダメだろ。」
そう云えば、もう片方の手が添えられて両頬を包まれる。
「……」
そっと唇が触れられる。
熱いような冷たいような。
「っ……」
少し離れて、また触れられると自然に俺は唇を割り、舌を入れて
やはり目は瞑らずに。
くちゅり…
そんな音が耳に残った。
久しぶりの感覚は可笑しいが安堵するもので。
「……」
離れると唇の間に糸が引く。
「………俺さ、」
言葉に出せずにいる俺に怒る事なく、待っているのが不思議だ。
「週末さ……」
「鍵、開けとく。」
う゛……。
そんな顔されるとは。
「よく…眠れそうだ。」
「え???」
離れて行く祐希に手を伸ばそうとしたが、話声が聞こえて思い留まる。
手で顔を押さえて息を吐いた。
普通に歩いていく人に気にかけ、去って行く祐希の背を見る。
「……」
ああ…。
今日は…眠れそうもない。
ずっと、仕舞っておこうとしたものが…溢れた。
(続) |