***神風メイド鬼憚***
第十録:裂く傷痕
鬼とは狂い醜き姿にて本能に蠢く者なり。
神とは清き姿にて万全なる力を持つ者なり。
人とは愚かな救いを求める罪深き者なり。
神は鬼を見放し
鬼が人を喰らい
人は鬼を狩る――そんな時代。
何も知る必要はない
それはオマエに必要ではないのだから
ひらひらと散る、花びら。
急激に落とされ意識が認識するのに時間が掛かった。
言い放たれた、その弟の言葉は
自身を否定し傷つけるのに十分だった。
なのに、胸が別の意味で引き裂かれそうだ。
何か、自分の腕で抱きしめられたモノが
何かによって、奪われた。
そのような感覚が胸を襲う。
昴治は、薄い膜のように広がる闇を見つめる。
「何で、俺を――蜜月っ」
傷を負う前に、堕とされた。
此処は、闇。
花散る美しい闇。
ふわりと腕か絡んだ。
「……主君に、あの態度は腹立たしい」
此処へ堕とした理由を、『昴治』――蜜月が言った。
絡む腕は、いやらしく、けれど温かい。
「どうし、て……」
流れ込む、淫らな記憶を振り払って昴治は言った。
だが、自身が言った言葉は何に対してなのか本人も
よく理解はしていない。
「祐希は、約束を守った。
オマエも約束を果たすべきだ」
厳しく、言い放った。
「それで、オマエが壊れてしまえば……俺は自由だ」
けれど、この腕は。
自分を護っている。
――どうしてっ……どうして、
急激に、何かが流れ込んできた。
――オマエは、もう違う……去れ
――うあああああああああああっ!!!
叫びが響いた。
見た事のない風景だ。
そして一気に、
――……殺して、やる……全部……
憎悪の声が響いた。
――兄さん…っ……
桜が、散る。
炎の中で。
――…っ……兄さん…っ……兄さ……っ…
憎悪に満ちた顔の、誰かが
血まみれで倒れた。
炎が周りを包み込む。
舞い上がる、火の粉と桜の花びらは美しく
闇へと溶けていく。
「…っ…兄さん?」
「……もう、学校か……あれは面倒だ、還れよ」
するりと腕が離れていく。
「兄さんって…おい、アレは誰だっ」
「俺には、弟なんて、いない」
遮断される。
一気に、世界は上へと引き戻される。
全てを覆う、闇は、陰は、一層に強く広がる。
だが、それにより光は、陽は、一層に際立った。
瞬いて、開けば、あの廊下だ。
還された、此処に。
「……」
昴治は唇を噛み締めた。
解らない事ばかり、そして祐希の、あの表情が甦る。
苦しげな、あの、表情。
一瞬だけ、見せた。
「…何なんだよ…っ……もうっ」
何より、腹立たしいのは、自分自身だ。
何も知らない。
知らなさ過ぎる事に。
歩くと、廊下は軋む。
廊下の途中、壁に身を寄せて立つイクミがいた。
静かに歩む祐希を見つけると、イクミは行く道を塞ぐように前へと出る。
「何だ」
「いえ、別に〜……君、らしくない態度ですから」
笑みを浮かべて、イクミが言った。
だが、瞳は決して笑ってはいない。
「紅白の椿、その役目を果たせよ……テメェの価値だろ」
髪を掻き上げ、祐希は言った。
気だるそうに言う、その様は祐希のようで祐希ではない。
何かが、欠けている。
「そろそろ、開く……その前に、テメェはテメェの心配しとけよ」
刀の柄を撫で、その手でイクミの唇元を撫でる。
口端が、淡く色づいている。
祐希の指で撫でられ、その色づきは消えた。
正確には、拭われた。
「儀式が、成功しねぇ……」
祐希の手が離れ、青と碧が交錯する。
「尾瀬一族は……面倒だな、」
そう言って、祐希はイクミを避けて去って行った。
「……っ…ふふ、ははは……」
イクミは乾いた笑声を上げる。
「面白い、冗談じゃないですか〜……はは……」
イクミは自らの胸元を握り締めた。
いつもと変わらない、時間。
登校時に通る、この石畳の路地。
「いや〜、今日もまた、いい天気ですねぇ〜」
気楽なイクミの声。
革靴と硬質な音に続くブーツの足音。
「そう、だな……」
「やっぱ天気は晴れがいいっすよねぇ」
いつもと同じ。
笑うイクミに昴治は軽く笑んで、視線を後ろへやった。
「………」
静かに、無感情にすら見える表情で歩んでいる。
只、命令された事をこなしているだけの『祐希』だ。
――アンタに俺が触れていいのか?
何かに、怯えているような、あの弟は
――何で、アンタなんかに、触らなきゃなんねぇんだよ
見下すように、軽蔑するような態度となって。
――……俺は、命令を聞いただけだ
細められた、あの青は。
何処へ行ったのか。
――……それとも、それは、命令か?
多くは、望んでいない。
自分は女ではなく、男だ。
しかも、普通ではない。
触れて、欲しいだけだ。
触れたい、だけだ。
痛くも、けれど優しい、優しい温もり。
偽者ではないのは解る。
そこまで現実逃避する意識はなかった。
ただ、あの時、痛みに狂い出しそうだった感情は弱まっている。
痛みを吸収されたようだ。
あの、自らを消すと云う『蜜月』に。
――何だ? 昴治様
痛みはある。
けれど、それは些かの怒りになれば、自分を保てられた。
自分は、きっと狂い壊れたりはしないのだろう。
(祐希……)
言いたい事も、問いたい事も、聞きたい事も呑み込んだ。
彼に、『兄』として呼ばれない事が恐かったのかもしれない。
昴治は瞳を伏せた。
風が前髪を揺らす。
「昴治さまぁ?」
「ああ、何だ?」
ニコニコ笑っているイクミに笑みを向けて、祐希から視線を逸らした。
話をしなければ、ならない。
自分自身で。
陽光の零れる窓辺に、腕を組んで立つ長身。
無感情な表情、蒼い髪が揺れて、瞳が横へと流された。
「それだけの、力という事ですか……」
「あ〜、さっさとやっちまえばいいじゃん」
「そうそう」
キャッキャッと笑う少女が、ガタイの良い男の話に同意する。
その横をグラマスな体型の者がクスクスと笑っていた。
続々と集まってくる者たち。
見目は普通の人間の姿。
「まだ、現れていませんからね……ですが、簡単に散らせるかも
しれませんね」
冷たき表情の青年がクツリと笑う。
室内にいる者たちの皮膚が紫の文様を浮かびあがらせ発光しだした。
その紫光を薄い青の瞳で、ブルーは映す。
「復活させるには、まだ足りません……しかし、あと少しです」
その為に、生まれた。
それを成す為だけに。
為されば、そう、自ら達の世となる。
「………」
ブルーは窓の外を見た。
大きな社が陽光を浴び構えている。
どう時が過ぎようと、どのような結末があろうと。
世界は終わりはしない。
世界の構築生物が変わるだけの事。
ブルーにとっては、心を揺るがすコトではない。
諸行無常、盛者必衰。
有限に永遠は、ないのだ。
ただ、輪廻を繰り返すだけ。
桜が、散っている。
咲いては散り、また咲いて。
永遠の桜の謳歌。
「……」
いつものように、学校へ行き、そしていつものように家へ帰った。
祐希は一人、中庭の桜を眺めていた。
仏頂面とも言える表情は、見ようには無感情な冷めた面だ。
「……」
すっと手を上げる。
目の前に翳した手は、ガタガタと震えていた。
その手を腰に差している刀の柄へと片方の手で押し当てる。
「紅の椿、になる方法を選んだ……面白いじゃないか、」
こんなに震えて、恐怖を植えつけられて。
それでも、望んだモノは。
クツクツと祐希は笑った。
桜が、散っている。
あの時も、桜が散っていた。
――貴様、何をした
――見ての通りです、兄さん……
還りはしない。
戻れはしない。
――ボクは、陰ですから……その通りに、しただけですよ
桜が、散っている。
――………貴様は、俺の弟ではない
そう言い放った、相手の顔が歪んで映る。
一瞬であった。
――……殺して、やる……全部……
紅い、赤い、雫を桜が吸っていくように。
――兄さんっ……
静かな眼差し。
感傷なく、見下ろす青。
桜の花びらと共に、火の粉が舞っている。
――………穢れめ……消えるがいい
相手は、自らの名を呼ばなかった。
意識が、精神が続く限り、相手を睨む。
――兄さっ……ぐ…っ……
相手の名を呪詛のように吐く。
久遠の刻が過ぎようと、消えぬ『呪』を。
自分に残された、モノだ。
「……そうか……痛いか、相葉祐希……
ボクは全く痛くはない……兄さんも、悠長なものだ……」
キシッ
床が鳴る。
静かに、強くも少し怯えも感じさせて近づく影。
祐希は瞳を細めて、近づく影を見下ろした。
「祐希……」
「どうか、しましたか……昴治様」
業務的な淡々とした口調で祐希は言った。
それに昴治の表情が歪む。
「……お前こそ、どうしたんだ?」
問いかけの声は弱いものだった。
心情の揺らぎが、よく知らない者でも解るほどだ。
祐希は昴治を静かに見据える。
それに肩を震わせて、そして昴治の表情が変わった。
「お前……」
「……」
どんな言葉も、今の祐希には響くモノではない。
そう『祐希』は思っていた。
「誰だ……?」
昴治の手が、そっと祐希の腕に触れた。
「お前、誰だ? 祐希じゃ、ない…っ……祐希じゃ、ないだろ」
逃避の言葉ではない。
核心の言葉だ。
――貴様、誰だ? 俺の弟ではない……弟では、ないだろう
「誰だ? おい、祐希に何を――祐希に、何をしたっ!!!」
――貴様、何をした
全てが煩わしい。
全てが憎い。
『呪』を吐いた瞬間から、全てが。
選んだのは、自分であり、望みを叶える為だけに。
「離せよ」
「っ……お前は……っ……」
腕を掴んだ手が強く握られる。
それは、この者が深く『弟』を求めている事を伝えた。
――愛しているよ……我が弟…――よ
全てが遠い。
遠い果ての、その者は手を伸ばす所か瞳さえ向けてはくれなかった。
「離せっ!!!!」
内部にある、それが沸騰する。
祐希は腕を力強く振り払い、そして昴治を突き飛ばした。
「うっ!?」
ガッ、ダンッ
軽い体は簡単に投げ飛ばされ、桜散る庭へと堕ちた。
呻き、よろよろと起き上がった昴治の顔は苦しげに歪む。
「………」
右肩から、じわりと赤が次には広がっていた。
「っ…ゆう……っ……」
強い痛みが広がる前に、瞳が閉じられ
そして昴治の表情が変わった。
蜜月、だ。
「………」
祐希はそれを静かに見下ろす。
ドタドタと駆ける音が聞こえてきた。
「何かあったですか? 何か、血の――」
銀の髪を揺らし、駆けてきたのはイクミだ。
イクミは廊下に立ち尽くす祐希を見た後、視線を追い中庭へと瞳を向ける。
「っ!? こうじ、さま!!!!」
顔面を蒼白させ、イクミは昴治へと駆け寄った。
「っ……っ……」
「こうじさま!!!こうじさま!!!!」
発狂しだしそうに、叫ぶイクミを痛みに顔を歪めながら見た。
「平気、だ……っ……」
右肩を蜜月は握り締める。
「……っ…蜜…月…っ…」
昴治の声色が変わる。
そして視線を縁の下にいる祐希へと向けた。
青い瞳が、揺れている。
「祐希…っ……」
祐希の唇が、震えて、何かを紡ごうとしている。
祐希だ。
昴治の知っている、弟の祐希。
だが、言葉を紡ぐ前に祐希の手が刀を握った。
昴治の咽喉がひゅっと鳴る。
「…っ……下がって、いろっ……」
声色が変わる。
昴治ではない。
蜜月のモノだ。
「こうじさま…っ……こうじさま……」
イクミに軽く笑みを向け、蜜月は祐希を見た。
「………」
すっと青い瞳が細められ、唇が動く。
祐希は笑っていた。
その紅い唇が、音もなく言葉を紡いだ。
蜜月は、ギリッと奥歯を鳴らす。
痛いですか? 兄さん……ボクはあの時、もっと痛かったですよ
アナタがボクを殺した、あの時……ねぇ? 兄さん
ファイナの治療により、傷は塞がった。
だが、その傷は深く右肩を支障を与えるほどで
くっきりと痕が残った。
昴治が、自分で転び、自分の所為で怪我をしたと主張している。
それ以上の追求は、イクミにはできなかった。
昴治が、庇う以上、何も。
(祐希……)
彼が祐希ではない『祐希』なのは、今朝の発言により核心している。
祐希は『尾瀬一族』の事を知らないから、だ。
ふらふらとイクミは廊下を歩み、
「…っ……けほっ、ごほっ……」
イクミは乾いた堰をした。
「確かに……尾瀬一族は……面倒、ですね……」
血が滴る。
それを機に、大量の紅い液体が口から溢れた。
胃からの吐射物のように、イクミは血を嘔吐した。
時間は、そうあまり残されていない。
願うのは、そう、あの人の笑顔だけ
願うのは、そう、いま一度と――
(続)
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