***神風メイド鬼憚***
第九録:兄弟
鬼とは狂い醜き姿にて本能に蠢く者なり。
神とは清き姿にて万全なる力を持つ者なり。
人とは愚かな救いを求める罪深き者なり。
神は鬼を見放し
鬼が人を喰らい
人は鬼を狩る――そんな時代。
アナタは知っているでしょう?
瞳を開ける。
目を覚ます。
障子の合間から流れ込む、陽光。
朝だ。
「………」
とても、温かい。
温もりに吐息を零し、瞳を横へと流した。
体が軽い。
とても、今は全てが解放されているように感じられる。
蒼の瞳を瞬かせ、腕の中にいる兄を見つめた。
若干、青褪めているように見えるが、寝顔は穏やかな昴治に
祐希は唇端を上げる。
それは、微笑むという表情なのだが、祐希自身は
そのような表情をしているとは気づいてはいなかった。
あたたかい。
あたたかい、とても。
このまま、此処に在れば
どんなに幸せな事だろう。
考えて、祐希は身を起こした。
(昨日の事は、全部忘れる。
昨日は、何もなかった事にする。
何も言わない、何も聞かない)
今日から、また月が満ちる。
服を軽く整えて、隅の机の方へと行く。
置いた、その髪飾りを手に取った。
紅く濡れたような椿。
躊躇なく、黒髪に付けた。
「……」
眠る兄の方へ体を向け、ゆっくりと近づく。
ふわりとスカートを広げて、屈み、手を伸ばした。
額に手を沿え、そっと撫でる。
昔、遠い昔、兄がしてくれたように。
すると、瞼が震えて、自分よりも明るい青の瞳が姿を見せる。
「……き?」
自分を呼んだ事は、解った。
だが、祐希は返事をしなかった。
代わりに、瞳を細める。
それが、微笑みだと祐希は気づかずに。
虚ろな、兄の瞳は、けれどしっかりと祐希を見つめる。
「傍にいてほしいんだ…」
唇が、そう動いた。
祐希の瞳が揺れる。
兄が、自分を
見ていてくれる。
求めていてくれる。
咽喉が震えた。
何度か、息を鳴らして
「傍にいるよ」
感情が溢れるまま、言葉にしていた。
言葉にした後、祐希は瞳を伏せる。
それに昴治は、ゆるりと微笑んだ。
祐希は瞳を見開く。
「約束…破っちゃうな……」
約束。
明日になったら、全てを忘れる。
そう今日になったら、全てを忘れる。
昴治の言葉に、祐希は表情を歪めた。
一度、額を撫でると
ゆっくりと安心したように昴治は瞳を閉じる。
それを見届けて、祐希は立ち上がった。
音を立てぬように、畳を歩み、廊下へと出る。
すぐある、階段を下りて、進むと一つめの渡り廊下に差し掛かった。
傍に、いれたなら
選んだのは、自分だ。
だが、兄は手を伸ばしてくれた。
昔と同じように。
あのまま、兄の傍にいて、何か変わるだろうか。
主、であるからでなく
兄、である昴治を
愛して、いる
祐希は振り返る。
兄のいる、場所へ。
一歩、踏み出した。
サアァァァァァ……
頬に風が当たる。
中庭の、咲き続ける桜の花弁あ舞う。
ガタンッ
何か重い物が落ちる音だ。
肩を震わせ、背後に振り返る。
誰もいない。
只、板間の廊下に物が落ちていた。
重々しい、日本刀。
「っ……」
ひゅっと祐希は咽喉を鳴らした。
その刀は、普段、自分が持っている刀である。
息を飲み込み、祐希は唇を開いた。
「……俺は、」
ガタガタと祐希の体は震える。
それでも、言葉を紡ごうとした。
日本刀が、ふわりと浮き上がる。
鞘が落ち、その鋭利な刀身が陽光に鈍く光った。
「俺は……どんなに時が過ぎても、俺は――アイツの」
刀身が、チャキッと音を鳴らし
そして祐希へと一直線に突き進む。
祐希は避けようとしたが、体が動かなくなった。
どんなに時が過ぎても
どんなに世界が変わっても
俺は、アイツの弟だ
ねぇ、兄ちゃん………好き……
グシュッ
刀は、祐希を貫いた。
「…あ、あああああああああああああああああああああああっ!!!!」
悲鳴を上げる。
花散る如く、鮮血が舞う。
祐希の体は、くるりと舞い、横の中庭にある池へと堕ちた。
バシャンッ
水飛沫が上がり、そして静寂。
池は、赤に染まる事はなく
「……」
ゆるりと、刀の突き刺さった祐希が立ち上がった。
無造作に、突き刺さった刀を引き抜く。
ゆびきり、げんまん ウソついたら はりせんぼんのばす
ゆびきった……
少し、痛む下肢に、微かな羞恥を覚える。
見慣れた天井、見慣れた部屋。
自分の、部屋。
乱れぬ寝間着。
「……」
祐希が、自室へと運んでくれたのだろう。
嬉しくもあり、寂しくもあった。
傍に、いてくれるだけで
他は、いらない
時は、止まりはしない。
昴治は布団から起き上がって、制服に着替えた。
そして、机の方へ行く。
伏せて置いてある千代紙であしらった手鏡を手に取った。
鏡に、自身の姿が映る。
「何か……用か、」
気だるげに、寝そべっている自分の姿。
「……前、聞かれた、問いに――応えようと思って」
「……」
髪を掻き上げ、昴治―蜜月は静かに見据える。
「俺は、祐希が……好きだ」
「それを、俺に言ってどうする?」
「お前が聞いてきたからさ、」
「……俺は、イクミを好んでいると言っただろう?
言わない方が、頭の良いやり方だ」
そう言って、蜜月は瞳を伏せた。
「お前の心以外、俺は知っているのだから」
「………」
伏せた眼差しは、冷たい色に見えるが
何処か優しさを感じられる。
静かな、気遣いが。
「知って欲しいと思ったからさ……」
「俺に? 本当に、お前は馬鹿だな。
体は一つしかないのに、さ」
クツクツと笑う。
蜜月は、けれど昴治を責めているようではなかった。
「……昨日の、あの得体の知れないヤツは……何なんだ?
どうして、祐希やイクミは、命がけで――」
「知る、必要なんて、あるのか?」
伏せた眼差しが揺らぐ。
「知る必要あるだろ。怪我、して――」
「知ったとして、お前は何かできるのか?」
何か、できるのか。
武道の嗜みはなく、何か力を使えるワケではなくて。
だが、
「知らないままで、いるなんて当主として――」
「……当主だから、狙われているだけだ。
当主だから、二人は守る……考えれば、解る事だろう」
「……でもさ、」
伏せられた眼差しは、全てを知っている。
しかし、それを言うつもりはないのは
昴治にも解った。
パタパタパタ……
警戒な足音。
「イクミ……」
「………」
鏡面が揺れる。
映っていた蜜月は消えて、自分の姿となった。
(好んでいるって、言ってたのに……)
何故、姿を消すのだろう。
昴治は手鏡を上着のポケットに入れた。
「しっつれいしま〜〜すv 朝、朝ですよ〜〜〜〜!
昴治さまぁぁぁぁvって、やっぱ起きてますか」
襖を開けて、入ってきたイクミは
いつも通りのメイド服に、怪我一つもない姿だった。
「イクミ、」
「ぅあぁぁぁん〜〜〜!」
「え、い、イクミ?」
「着替え、終了しております〜〜〜……俺の生き甲斐なのにぃぃ」
いつもの調子だ。
それに安堵を覚える。
「…生き甲斐って、あのな……」
ニコニコ笑っているイクミに、そっと手を伸ばした。
「大丈夫、か?」
「…へ? 頭は、大丈夫ですよ〜?」
「いや、そうじゃなくてさ……」
伸ばされた手を、そっとイクミは取った。
「大丈夫、ですから……ね?」
そして微笑んだ。
色々と聞こうと思った。
問い続ければ、イクミは応えてくれそうだったが
昴治は聞かない事にする。
(……俺は、『俺』に聞かないと、な)
主の命令として、では苦しい。
蜜月とは違う感情だとしても、昴治はイクミが好きだ。
相手がどう思っているかは、解らないが
友人なのだから。
「……」
キョロキョロとイクミが周りを見渡す。
「どうした?」
「ほえ? え〜、祐希くん、来るかな〜と思って」
祐希。
その名を聞いて、急に頬が熱くなった。
昴治の変化に、イクミは首を傾げる。
「昴治さまぁ?」
「あ、いや、何でも……早く、行こう」
誤魔化すように、昴治は襖を開ける。
廊下を出て、すぐ
「………」
咲き乱れる中庭の桜を見る、祐希がいた。
「あ……」
何か、言おうとする。
だが、言葉は出て来ない。
約束、約束。
明日になったら、全て――
「あら〜祐希クン、おそよ〜ですぅ」
笑って挨拶をするイクミに、祐希が顔を向ける。
瞳が、ゆっくりと細められた。
「ノロノロしてんじゃねぇよ、」
そして、罵るような口調で言葉を紡ぐ。
いつもの、祐希だ。
傍若無人な、弟だ。
だが、少しだけ背筋が寒く感じられる。
「いや〜〜、昴治さまが、可愛らしくてぇぇv」
「何、言ってんだよっ」
えへへと笑うイクミに、昴治は呆れ顔で言う。
それに祐希は見下すような、瞳を向けるだけだった。
(……祐希……)
伝えたい事があった。
「……何、見てんだよ」
視線が合うと、顔を顰め、言われた。
いつも以上に冷たい態度に、昴治は視線を逸らす。
「いや、何でも……」
「な〜に、怒ってるですか〜〜?
あ、もしかしてぇ〜〜〜、嫉妬? 嫉妬っすかぁ?」
昴治の肩に置き、甘えるような仕草をしながらイクミが言った。
「……意味不明な事、言ってんじゃねぇよ。下衆が」
そう言って、祐希は踵を返し、去っていく。
手に、重々しい日本刀を持って。
「何か、機嫌悪いみたいですね……」
「………」
イクミは碧の瞳を瞬いて、昴治を覗き見る。
「昴治さま?」
「……ああ、そうだな」
伝えたい、事が。
伝えたい、事が。
存在意義。
私タチハ、同ジ、血ヲ 持ッテイルノダカラ
朝食の前に、顔を洗ってくると、洗面所へ行った。
微笑むファイナも
ふざけ半分で甘えてくるイクミも
いつもと同じだった。
昨日の事が、夢だったかのように。
薄い、膜が包み込んで、けれど消える事のない事実。
時折、ズキズキと痛む下肢はリアルだ。
「……はぁ…」
顔を洗い、昴治は居間へと戻る。
途中、居間から出る祐希の姿が見えた。
周りを見渡す、誰もいない。
昴治は、はやる気持ちを抑えて祐希へと歩み寄る。
駆け足だったかもしれない。
「ゆ、祐希、」
呼ぶ声が、少し上擦った。
背を向けていた祐希が、ゆるりと振り返る。
「あのさ……」
「………」
静かに見ている。
青は、いつものように煌きが見えない。
「あの……」
頬が、熱い。
湧き上がる感情で、胸がいっぱいだ。
昴治は、周りを見渡した。
「……話が、あるんだけどさ」
黙って見ている。
「ちょっと、いいか?」
「………」
瞳が細められた。
否定も賛成もない。
昴治は、高鳴っている胸を叩き廊下を少し歩み
居間から離れる。
振り返ると、静かについて来た祐希がいた。
「あのさ……昨日…の……」
どう言えば、いいだろうか。
此処で、ふと考えてしまう。
ぎゅっと昴治は手を握り締めて、息を飲み込んだ。
「約束……した、けど……やっぱりさ、無理だ」
記憶は、消えはしない。
「……その、偶に……偶にだ。
えっと……俺に、触れて……くれないか?」
言った途端、顔かが火が出そうだった。
「誰が」
問いかけられる。
昴治は俯いていた顔を上げた。
静かに瞳を向けている、祐希がいる。
「誰って、」
「……俺が? アンタに?」
クツリと祐希が笑う。
「何で、アンタなんかに、触らなきゃなんねぇんだよ」
「っ、」
見下すように、相手が言う。
それに、昴治は瞳を見開いた。
「……俺は、命令を聞いただけだ」
昨夜の、あの触れ合いは。
優しい手は。
あの声は。
「蜜月でもないくせに、立場、解ってんのか?
いくら、馬鹿なアンタでも解るだろ」
瞳が、軽蔑している。
自分を。
頭を、強く、鈍器で殴られたように、
意識が遠のく。
「ゆう…き…」
「……それとも、それは、命令か?」
「違うっ、」
否定、する。
命令ではない。
(俺は、お前を――)
多くは望まない。
多くは、望んでいない。
「何だ? 昴治様」
流暢に、『様』づけで呼ばれた。
大抵ならば、少し擬古地なく呼んでいた弟がだ。
ひゅっ、と咽喉を鳴らし、
昴治はガタガタと震えだした。
痛みが、痛みが、狂い出しそうで
昴治は俯いた。
体が揺れて、後ろへ倒れそうになり、ぐっと前へ顔が向けられる。
昴治とは別の、強い眼差し。
「貴様は、誰だ」
口調が変わる。
その表情は、昴治と少し違う。
昴治の意識を追いやり、蜜月が姿を現した。
「……は? 見れば、解るだろ」
見下すような祐希の声に、蜜月は瞳を鋭くさせる。
「貴様は、誰だと、聞いているっ」
「……」
「祐希は苛め甲斐のあるヤツだった…が、貴様は違うっ」
怒りというより、嫌悪を示す声色だ。
祐希は持っている日本刀を握り締めて、片方の手で髪を掻き上げる。
「それは、アナタが一番知っているでしょう? 兄さん」
「っ、」
笑った。
祐希が、祐希でない、祐希が。
「アナタがいるように、ボクもいる……当然でしょう?
ボク達は兄弟なんですから」
クツクツと笑う。
相手に、蜜月は瞳を顰めた。
「アイツを何処にやった」
「……死んでいませんよ。永遠の夢へ眠ってもらいましたけど」
日本刀の柄を片方の手で祐希が撫でる。
「選んだのは、俺だ……『契約』の上で、成り立っている
それを破棄しようならば……罰を与えなければ、ならないでしょう?」
細まる青の瞳は、何かを蔑ずんでいるようだ。
「でも、安心して下さい……兄さん。
主君に対する、主従の愛ではない『感情』を消してやっただけです」
「何故、」
「何故って、俺が『弟』であろうとしたからですよ」
青と青が交錯する。
互いに強い眼差しは、逸らされる事はない。
「紅椿であると同時、俺は『相葉』の血が流れている……一番解っているのは
アナタでしょう?」
サァァァァァ……
中庭の、桜が散る音が聞こえる。
「『兄』の『弟』を選ぶ……それは『相葉』である事と認める……
本来ならば『力』の強い、ボクが『当主』となるハズだったのに……」
――兄の傍には、いれない……オマエは
――どうして? どうして、なの?
――『相葉』の血を持っているからさ……二人もいらないだろう
――どうしたら…どうしたらいいの?
――オマエが変わればいい、『契約』を交わせばいい
――けい…やく?
――オマエが弟でなければ…
兄の、傍に、存在できる
「俺は、選んだんです。
あの時、『弟』ではなく『紅の椿』を。
選んだのだから、その責任は取るべきだ……易い約束じゃあない。
契約なのだから……そうでしょう? 兄さん。
否定した所で、存在意義がなくなる」
「………貴様に、兄と呼ばれるほど虫唾が走る事はない」
睨みつける蜜月に、祐希は笑った。
「そうですね、兄さん」
言った言葉は、嫌味だろう。
蜜月は、挑発に似た言葉に乗る事はない。
「此処で激昂しないのは、さすがですね……」
恍惚とした笑みだ。
それに、蜜月は蔑ずむような眼差しを向ける。
相手は、それに怯む様子はない。
「影を黒く染める……陰から生まれた……ボク達は
また歩む道も、影」
クスクスと笑う。
「残念ですよ。兄さん……久方ぶりだと謂うのに
ボクの名を呼んでくれないんですね」
「今回は、俺だけだと思っていたのに。
俺も残念だよ。貴様も、在ったとは……な」
皮肉を言う。
お互いに罵るように。
両方とも、それに心を揺さぶられる様子はなかった。
「……喋り、すぎましたね……アナタと違って、ボクは長い間は無理ですから
じゃあ……また、今度」
「二度と、俺に『影』を見せるな……下衆が」
「……御機嫌よう、」
微笑交じりで、祐希は言った。
瞳を閉じ、そして踵を返して、祐希は去っていく。
その背中を追う事はせず、蜜月は拳を握り締めた。
「……っ…」
ギリッと奥歯を噛み慣らす。
満つる月があるように
欠ける月もある
そう、ボク達は
兄弟なのですから
(続)
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