**神の花嫁**
11:紅の血
硝子が割れて
音が響く
見える映像
それは見てはいけない視界
それは知ってはいけない視界
広げた腕にファイナとブルーはゆっくりと近づく。
微笑む昂治はあたたかくも優しい。
薄暗い部屋の中、甘い匂いが漂い溶けていく。
ああ…熱い
熱いな
「この頃ぼーっとしてない?」
こずえが覗き込みながら言った。
理事であるイクミは役員会議に出席している。
その会議も揉め事などなく、軽い話し合いで終わった後の言葉だった。
確かにこずえが言う通り、些かぼーっとしているかもしれない。
眼帯に触れながらイクミはニコッと笑う。
「そんな事ないっすよ、」
「そう?心配しちゃうよーー、」
眉を寄せて言う相手に笑みを向けてイクミは安心させる。
「だいじょうぶ、じょぶ。あーー、それより提出物ださないとね、」
「前のアンケート結果?」
「だから少し遅くなるって蓬仙に言っといて、」
「うん……でも何で?」
「……祐希君探しはできませんって事。」
口元に手をやりこずは頷く。
「なるほど、」
そして納得するのだった。
それはあまりにも静かで
そこはあまりにも静かで
提出物である書類を渡し、イクミは廊下を歩いていた。
午後の陽射しが廊下を照らす。
グラウンドから部活に勤しむ生徒の声が微かに聞こえた。
逆に廊下は静かだった。
聞こえるのは自分の靴音。
「……」
歩みを止めて横の窓を見る。
薄っすらと映る自分はまだ痛々しい姿。
イクミは歩き出すが、また立ち止まった。
そしてゆっくりと振り返る。
「さっきから後ろついてきてるの知ってるんすよ。
君さ……誰?」
独り言にも聞こえるだろう。
廊下には誰もいない。
「……」
誰もいないハズだった。
イクミの指摘通り、後をついてきたらしい人物が物陰から姿を見せる。
茶色の髪で秀麗な面持ちの少女だった。
「ごめんなさい、不快な気持ちにするつもりはなかったの、」
俯きながら言う少女にイクミは張り詰めさせた空気を解く。
「いえいえー、この頃色々ありまして…えへへ、」
「……私はユイリィ・バハナ。西校舎の生徒です、」
「ユイリィさん、」
「ええ…ごめんなさい。少し確かめたかっただけだから、」
前髪に触れてユイリィと名のった少女は苦笑いを浮かべる。
襟元には羽根のタックピンがしてあった。
今まで見たタックピンとやはり形状が違う。
「確かめたかった?」
「どれだけキレイなヒトなのかを、」
「…何言ってるんすか?」
ユイリィは謝るだけで答えを言わなかった。
イクミは首を擦って息をつく。
「あのー聞いていいっすか?」
「はい?」
「そのタックピン、西校舎の生徒は皆つける物なんすか?」
「これは、試験で決められる階級だから。」
ユイリィは笑みを浮かべて、ぺこりとお辞儀をする。
「ごめんなさい、失礼します。」
そう言ってゆっくりと去っていく。
引き止める理由もなく、イクミは見送った。
(なんなんでしょーー……)
イクミも歩き出そうとした時だ。
「っ……」
少しの頭痛の後、耳を貫くような強い旋律が聞こえた。
強いその旋律はピアノの音。
強く
激しく
そして悲しく
心を揺さぶるその音は前にも聞いた事がある。
(あの…放課後の時の……)
誰が弾いているのだろうか。
そう思うのが普通だろう。
歩みはやがて駆け足になって、その音がする音楽室へと向かう。
音は力を劣ろわせず、激しく響いていた。
旋律が止まる前に、その弾く者がいなくなる前に
音楽室にイクミはついた。
(ちょっと…緊張かも、)
大きく息を吸い、そして吐く。
入り口の扉をそっと開いていく。
音楽室と言ってもゴスペルの練習も行われるので、中の造りは俄かに
教会の中にも似ていた。
高い天井は防音の効果があるらしいのだが、
ピアノの音は大きく強く響いている。
「……」
弾いているのは彼だった。
ガタンッ
扉が閉まる。
呆然と立っているイクミは彼を凝視しした。
「……祐希…」
ピアノの弾く指はそのままで、鋭い視線をイクミは向けられた。
「キレイすぎるわ…こんな事って…ありえないわ、」
「現実を認識して下さい、ユイリィ・バハナ。」
「でもっ!ありえないわ!!」
近くの机の上にイクミは座り、ピアノを弾く祐希を見た。
「お上手ですねー……前は音楽の専門学校だったんすか?」
音は止まる事なく、強く響いたままだ。
人とは思えないほどの複雑な動きで繰り出す旋律は
“天才”と言ってもいいかもしれない。
「でもー勝手に弾いちゃダメのダメダメです、
というか…また蓬仙に怒られちゃうって感じ?」
「……」
「その曲なんていうんですか?」
「革命のエチュード、」
イクミの方を見ないまま祐希が言った。
彼の言う通り『革命のエチュード』であるが、些か変調されている。
その所為か、重厚で響きが強い。
「でも本当にお上手っすね、」
「……」
「……あのさー、そういう態度してますと嫌われちゃいますよ?」
そう云うと音色が変わった。
攻撃するような激しい音。
和音の響きはヴェートーヴェンを思わせる曲だ。
ジャンッ
大きな不協和音が響いて、音色は止まった。
鍵盤に指を置いたまま祐希はイクミを見る。
「俺には恋人がいたんだぜ、」
「ほえ?」
クツクツと笑い祐希はまたピアノを弾きだす。
気だるく湿っぽいような音だ。
眉を顰めるイクミから目を逸らす。
「馬鹿みたいに人の世話ばっかしたがるお人よし。
人の顔を見れば、説教と正論ばっかで何もできないくせに…。
良い子ちゃんで……ムカツク奴だった、」
曲が止まり、そして祐希は上を仰いだ。
遠くを見ている瞳はその誰かを思い描いているのだろうか。
口から出る、その人物像は“恋人”に対してのものではない。
憎しみ
それが多く込められているようにイクミは聞こえた。
だが次の瞬間違うのだと把握させられる。
「それでも……俺に優しくしてくれた、」
「その人…」
「死んだけどな、」
ゆっくりと向けられる瞳は青く煌いた。
「何も言わねぇんだな、てめぇは。」
「…感想っすか?」
「違う、傷の事。」
あのズタズタになっている左手首の事だろう。
イクミは軽く瞳を伏せるだけで真意を告げなかった。
「それくらいピアノ弾けましたら、
ここより別の学校の方が生かせません?」
「俺とっては意味がない、ソイツの為に弾いてたから。」
「何か求めてる感じっすね。
だから懺悔室にいたんすか?」
どうして…
(姉さんみたいに……一人で…)
「神の救いなんか求めてなんかいねぇよ。
神なんかいない、
恋人だった奴だけしか求めない」
祐希は立ち上がり、ピアノの蓋を下ろす。
そしてスタスタとイクミを通りすぎ、扉の取っ手を掴んだ。
「俺が求めるのは…………兄貴だけだ、」
バタンッ
扉が閉まった。
音楽室に残されたイクミは呆然とする。
「それは……君のお兄さんと……」
どうして…私たちは……
「……」
イクミは首を振って机から下りた。
頬をペチペチと叩いて、そのまま音楽室を出る。
廊下には既に祐希はいなかった。
(君が来てから……鎮めたモノが浮いてくるっすね、)
教室に戻ろうとイクミは歩き出した。
間もなく、向こうの方から先生が走ってくる。
「尾瀬君、探したよ。」
「はい?何かしたでしょーか?」
他愛のない会話。
自分の今の表情は“いつも”のモノだろうか。
それを変に心配しながらイクミは先生の言葉を受け止めた。
「そうだよ、探したよ。大変だった、」
「…アンケートの紙だったら…」
「探した…探したよ……尾瀬イクミ、」
「え…」
がしっと肩を掴まれる。
いやぁあああーーーーーーーーーーーーー!!!
「っ!?」
昂治は起き上がった。
「力が…暴発していく……」
「……オマエは行ってはいけない、」
「俺はっ、」
動こうとする昂治を二つの腕が止めた。
表情を歪めて、その二つの腕を見る。
「離せ!これじゃあ意味がないじゃないか!!!」
「目覚めの時なのよ、彼は死んだりしない。」
昂治の身体を抱きしめるのは白い裸体。
青と栗色の長い髪は昂治の肢体に絡みつく。
「……」
ゆっくりと昂治は瞳を閉じた。
「……」
ピチャンッ…
「コウナッタノモ…オマエノ所為ダ……」
ピチャン…
顔に身体に生温い液体と物がベトリとつく。
周りも同じような物が散らばっていた。
叫びと怨臭と共に
「……オマエノ所為…」
ピクピクと落ちている物が動いている。
先ほどまで人間として存在していた先生は
イクミの肩を掴むなり爆発するように肢体がバラバラになった。
「……」
今は人だったとも把握できない。
肉の塊。
「…オマエノ所為ダネ……デモ…私ハ愛シテアゲルヨ…」
何処からか響く声。
イクミは目を見開いたまま、下へ尻をつく。
ビチャンッ
イクミの身体は血に濡れる。
「…愛シテアゲルヨ…我ガ花嫁……」
「……」
ピチャ……ン……
外からは変わらず部活に勤しむ声は聞こえてくる。
陽射しは穏やかに流れ込んできている。
「あーー、イクミ…こんな所に………」
走ってきたらしいこずえが、彼の姿を見止めそして立ちすくむ。
そのまま手を頬へ持っていった。
「…っ…きゃああああーーーーーーーーーー!!!!」
廊下に広がる死臭と肉の塊。
尾瀬イクミがいた場所だった。
アナタを傷つけた穢れぬ者
アナタを苦しめるモノ
アナタを傷つけ続けるワタシ
(続) |