**神の花嫁**
08:狂おしく愛おし
抱きしめて
狂おしく貪るのが愛か
否
我こそ愛
これは神でさえ立ち入れない區域
どんなに色々な事があっても、
それを認識する者が自分以外にいなければ
それは“生じた”事にならない。
だから
イクミがアメーバ状のモノに追われ、
大きな鬼のようなモノに首をへし折られそうになった事も
実際は起きていない事、つまり“夢”となる。
証拠たる溶けたはずのブレザーはちゃんと着ていたし、話をしても
昨日の差出人不明の贈り物の所為で……と思われてしまうのが
すぐに察する事ができた。
――夢じゃない…
だが確固たる思いがイクミの中にあった。
それに首のあたりにまだ絞められているような感覚もある。
――それに……
横にいる祐希を見る。
彼もきっと夢ではないと把握しているだろう。
イクミはこずえやあおい、先生の身の案じる言葉を聞きながら
色々と思いを巡らす。
助けてくれた天使のような羽根を持った者の事
姉さんの事
そして昂治の事。
次の日。
やはり時間は変わらず過ぎていく。
昨日の事を忘れろと云わんばかりに。
昼食を早めにイクミは食べ終わった。
「いくみぃーまたどっかに行くのぉ??」
「えへへ、ごめんなさいです!」
「最近そればっか…誰かに会ってるの?」
食堂にて、あおい、こずえ、そして無理につきあわされている祐希と
イクミは昼食を摂っていた。
変な所で勘が鋭いあおいは、イクミを覗き見ながら云った。
「はっ、女でもたらしこんでんじゃねぇか、」
「そうなの?いーくーみーーー、」
「祐希クン、火に油注がないでくださいっす!!」
睨むように見てくるこずえにイクミは苦笑いをした。
そしてそのまま逃げるように去っていく。
その足取りにあわせ、チリンチリンと音が鳴っていた。
「ホント…何処行ってんだろ、」
サラダを口に運びながらあおいが言った。
「やーーん!!イクミが浮気してるぅぅぅーー!!」
「こずえ、落ち着いて。」
「……」
イクミが去っていった方を祐希はじっと見ていた。
左に曲がって、真っ直ぐ進んで階段を下りる。
渡り廊下を通って少し歩くと別棟となっている旧図書館に着く。
イクミはいつもながら緊張しながら中に入った。
入るなり、机の上に本を広げている昂治の姿があった。
それに安堵して、イクミは近づく。
「こんにちわーです、」
「え…うわっ!!びっくりした……いつ来たんだ?」
「今です、」
「そっか、」
変わらない昂治の態度に複雑な感情を味わいながら、イクミは
昂治の隣りに座った。
相手はまたリポートをまとめているようだった。
「リポートっすか?」
「ああ…俺って、あんま頭がよくないし…すぐ宿題になっちゃうんだよな。」
「嘘、頭よさそうだけど。」
「買い被りすぎだって、」
軽く昂治が笑った。
笑みは可愛げのあるもので、イクミは少し頬を赤くした。
「イクミ?」
「あ、あはは、何でも…じゃあ、邪魔っすか?」
手で頬を煽って熱を発散させる。
イクミの質問にふるふると昂治は首を横に振った。
「全然、邪魔じゃない…それに、教えてもらおうかなって、」
「俺に?」
「あ…嫌か?」
「そんな滅相もない!!昂治の為なら、何だって教えます!!」
「そんな意気込む事じゃないって、」
クスクス笑って、昂治はリポート用紙を見せた。
どうやら公式から数学のリポートのようだ。
「早速なんだけど、この公式…こっちの公式同じだよな?」
「んーー?ああ、違うっすよ、これはこっちの公式と同じだから
解く時と証明はこっちの方と同じ手順。」
「え、どうして?」
「こっちは、これに比例してるんすよ。だから…こうやって、」
昂治からシャーペンを借りて、イクミは公式を解いていく。
こうは見えても、イクミは学年上位の成績だったりする。
解かれていく公式と証明に昂治は感嘆の声をあげていた。
「なるほど……ありがとな、」
「いえいえ、」
微笑む昂治にイクミは微笑むのだが、少し顔が歪んだ。
急に昨晩の事を思い出したからだ。
もし、昨晩の変な生き物が今ココに来たらどうなるだろう。
それは一種の不安と恐怖を味あわせる。
「イクミ…どうした!」
「え…あ…あはは…」
「何か…顔色…」
イクミは苦笑いをした。
「あのさー、もしもの話なんですけども。」
「もしも?」
昂治は首を傾げながら話の先を促した。
息を呑んでイクミは言葉を続ける。
「もし…変な化け物とかに狙われてるっぽげな奴と
一緒にいるって事できる?」
「はあ?」
「んーー、怪我とかもしかして死んじゃうかもしんない状況に
なっちゃう奴とさ、一緒にいれる?」
「…いれるよ、そんなんで会わないってのは偏見じゃないか?」
微笑みとも云えない慈しむのような表情を昂治は浮かべた。
それはとても綺麗でイクミは俯く。
「なんか…あったのか?イクミ、」
「えへへ、昂治やさしすぎ…、」
「そうでもないよ、冷たいってよく言われるし。
誰でも優しいってワケじゃない。」
昂治が軽く顔を近づけて、イクミの表情を確かめようと見ていた。
それに吸いこまれるような感覚を味わいながら、イクミは顔を
ゆっくりと近づけた。
柔らかい感触が唇に伝わって、イクミははっと我に返って唇を離した。
目を少し見開いて、瞳を揺らめかせている相手。
――はう…またやってしまった……
何か云おうとするのだが、昂治はゆっくりと瞳を閉じた。
――え??
それはまたしてもいいという合図で、
イクミは戸惑いながら顔を近づけた。
触れる唇は柔らかい。
軽く開いた唇を割って、舌を入れてみる。
ぴくっと昂治の肩は震えたがじっとしていた。
「んぅ…ん……」
昂治の声が漏れる。
それだけで飛んでしまいそうな感じだった。
舌を絡めれば、控えめに舌を昂治は絡み返してくる。
「…はぁ……」
ゆっくりと唇を離す。
唾液が糸を引き、プツリと切れた。
「…イクミ……どうして…?」
「え…?」
「どうして俺に……キスなんか……」
応えようとしたイクミの唇に昂治の手がそっと触れられた。
「悪い、ズルイ事聞いて…。」
昂治は目を伏せながら話す。
唇はキスをしたばかりなので、濡れていた。
「俺は醜いよ、汚いよ、ずるくて、利己的。
そして、こういう事して…
お前を縛り付けて利用してるだけだったらどうする?」
「…それでもいいかも…です、」
「……バカだな、おまえ。」
ポンっとイクミの頭を昂治は叩いた。
「にゃ、何!?」
「ははは、許しもなしにキスした罰だよ。」
微笑みながら昂治は頬を染めた。
そしてイクミの唇に人差し指をあてる。
「キスするときは何か云えよ、びっくりするから。」
「それって…その、またしていいって事?」
「そうはっきり言うなよ、バカ。」
「あーー昂治、顔真っ赤ぁー、かわいいーv」
「からかうなよ!」
「にゃはは、」
そう言えばアナタは
私に微笑んでくれてた
昼食を終えた祐希はあおい達と別れ、また旧懺悔室にいた。
ステンドグラスの七色の光がマリア像と十字架の注がれている。
「……」
祭壇によりかかるように祐希は座る。
「…死んだって意味はない」
棒読みで祐希は呟く。
くっくっと祐希は笑いはじめた。
片手で顔を覆い、俯きながらも笑い続ける。
さらりと前髪がかかり、表情を隠した。
「ははは…ウソツキ野郎が、」
旧図書館から昂治とイクミは一緒に出てきた。
リポート用紙を抱えた昂治は気づいたように腕時計を見る。
「どうしたんすか?」
「大した事じゃないよ…」
そう返した昂治にイクミは笑みで返す。
「じゃあ、またな、」
「はいですv」
手を振って、西校舎の方へ行く昂治をイクミは見送っていた。
その後ろ姿が急に揺らぐ。
目をこすって、目を顰めた。
すると身体中に痛みが走り、ひどい頭痛を賄いはじめた。
「くっ…」
眩暈がして、イクミは目を瞑った。
赤
赫
赫
昂治
――なんだ…これ、
割れるガラス
真っ赤に染まる
裂かれて染まる
昂治の躯
死んでく…
彼の人のよう
そう
姉さんのように
「っ……こおーーーじーーーーーーーーっ!!!」
「え?」
振り返った昂治にイクミは飛びつき、強く抱きしめた。
ガシャーーンッ!!
廊下の窓ガラスが一斉に割れた。
その破片は光を反射させながら、
反対側の壁に突き刺さるように散らばる。
昂治を床に倒し、自分の身体を盾にして相手の身をイクミは守った。
「……」
ガラスの散らばりが収まる。
ゆっくりとイクミは身体を起こした。
目をパチパチさせている昂治に赤い血がついている。
――怪我…
「昂治…平気?」
「…イクミ…イクミっ!!」
――よかった…怪我しなかった…姉さんみたいに……
ずずっとイクミの力の抜けた体が覆い被さる。
昂治は体をゆっくり起こし、身体を預けたイクミを支えた。
「イクミ、イクミ、イクミ!!」
べとりと昂治にこびりついたのは、イクミの鮮血だった。
また夢…夢?
これは夢じゃない。
「……」
ナイフを持った祐希が立っている。
――祐希…?
「…全部、アンタの所為だ…、」
低めの声。
何か怒りを押し殺すような声だった。
「アンタが俺を殺したんだ、全部奪って」
――え?殺した…って?
自分は何処かを漂っている
祐希は誰かに話している
「だから俺だって殺していいだろ?
もう俺は…死んでるんだから、」
――死んでる…生きてるじゃないか
パシンッ
光が明滅してそして景色が変わった。
「なぁ…もう…許されるだろ?」
祐希の声。
「もういいだろ?」
――何が?
パシンッ、パシンッ
「イクミ…」
覗き込んでくるのは昂治だった。
――よかった怪我してない…
「どうして優しくするんだよ!!」
パシンッ、パシンッ、パシンッ
「きゃああああーーーーーーーーーーーー!!!」
悲鳴。
――誰?
「恐いよ…」
――こずえ?
チリンッ
鈴の音が響いた。
――なんだろ…これは…
薬品の匂いが漂う。
右目に眼帯、頬にガーゼが当てられ、首や指、額などに包帯。
痛々しい姿でイクミは保健室のベットに寝かされていた。
「……」
それを静かに昂治が見ていた。
制服や顔には血がついたままだった。
ガラッ
保健室のドアが開く。
入ってきたのはファイナだった。
ツカツカと歩き、昂治の横に立つ。
「……こう来るとはね、隠顕ね…」
そう呟く。
昂治は俯き、ギリッと奥歯を鳴らした。
「この様だ……称号まで与えられているというのにっ、」
「……そういうものよ、称号は。
それより、尾瀬イクミ……先見の力をつけつつあるわ、」
「先見…、」
「ええ、それも強力な…さすがね、
もう一人の方も何も変化はみられないけれど。」
そっと昂治は手を伸ばし、イクミの頭を撫でた。
「……それは尾瀬君の血?」
「ああ、」
ファイナは昂治に寄り、首に腕を回した。
そのままゆっくりと顔を近づけ、こびりついている血を舐めはじめる。
「ふふ…美味しいわ……昂治の肌の味とで2倍ね……」
「……ファイナっ、まさか、」
「違うわ、昨日はそんなに力を使ってないわ。
そんなに昂治に負担をかけたくないもの。」
ぺろりと昂治の頬を舐める。
「でも…昂治がそうしたいなら……かまわないけれど、」
「ファイナ……、」
「うふ、冗談v」
ゆっくりファイナは離れた。
そして唇を軽く舐める。
「でも補充くらいしておいても損はないと思ったの。
それに勿体無いわ……昂治に……そして尾瀬イクミの血…。
向こうが欲しがるのも分かるわ。」
「……」
目を伏せた昂治は席から腰を上げた。
そしてファイナと向き合う。
「起きた過去には戻れないわ。
次に進むしかないのよ……過去は切り捨てて。」
「俺は…切り捨てたりはしない…」
「ごめんなさい、昂治とは意見あわない所ね。
でもこれは私の見解よ。
向こうは止めたワケではないわ。
けれど、昂治はまだ出る幕じゃない。
そう……時はまだ満ちていない。」
イクミを見て、昂治は目を伏せた。
「どうして…俺なんか守ったんだろ、」
「……私だったら、尾瀬君と同じ行動を取るわ。それと同じ事よ。」
「……」
伏せていた瞳を昂治は開いた。
揺らめきが青く煌く。
「後は私に任せて、」
「……ああ、起きたらイクミにさ…
明日も旧図書館にいるからって言っておいてくれないか。」
「ええ、云っておくわ。」
軽く昂治は笑い、しっかりとした足取りで保健室を出て行った。
扉が閉まり、ファイナは部屋を仰いで昂治の座っていたイスに腰を下ろす。
「アナタは先見をしている…しかも続きを見ようとしている。
運命の歯車を……壊して、それでも反動がこない。
凄いわ、なのにどうしてかしら……身を守る力が備えられないのは。」
ファイナの髪がふわりと揺れる。
「アナタは今…何を見ているのかしら?」
ふわりと揺れた髪が静かにおさまる。
そして少し顔をドアに向けた。
ガラッ
入ってきた者は目を顰めた。
「……尾瀬イクミと同じクラスの人かしら?」
「……誰だ、てめぇ。」
祐希だった。
睨む視線も涼しい顔でファイナは返す。
「私はファイナ・S・篠崎……アナタは相葉祐希クンかしら?」
「……」
「噂で聞いたわ……、」
ファイナは微笑み、ベッドに寝ているイクミを見て祐希を見た。
「失ったモノはなかなか戻るモノじゃないわ。」
「何云ってやがる、」
「私の意見……彼は賛成しないけれど、時に必要よ。
過去は切り捨てるの……しがみついたままでは、何も見えない。」
「だから何云ってやがんだ!!」
「捕えられてはいないわ、アナタは。」
ぎっと祐希は睨む。
ファイナは立ち上がり、薬棚から塗り薬を取った。
「はい、その傷によく効くわ。」
塗り薬をファイナは祐希に渡す。
バシッと乱暴に祐希は取り、そのまま何も言わず去っていった。
ファイナは微笑みながら扉を閉めた。
「もう少し…早く来ればいいのに……」
「ん……」
すっとイクミが瞳を開いた。
ファイナはツカツカとイクミが寝ているベットに歩み寄る。
「……」
「平気かしら?」
「…あれ…っいた……」
イクミは痛みに顔を歪めながら起き上がった。
微笑みながらファイナはイクミの肩に触れる。
「ごめんなさい、昂治は先生に呼ばれて…
とっても尾瀬君を心配していたわ。」
「昂治…昂治は平気だった?」
「無傷よ…さすがね、尾瀬君。」
ひんやりとしたファイナの手は制服ごしに伝わった。
「そう…昂治からの伝言よ、旧図書館に明日もいるからですって。」
「え…そうですか……」
ファイナは手を離し、イクミを見る。
「羨ましいわ。アナタは昂治の心を手にいれられるのね…」
「ほえ?」
「うふふ、何でもないわ、」
昂治は廊下をゆっくりと歩いていた。
ゆらゆらと瞳は揺れている。
表情は今にも泣きそうなものだった。
「っ……」
そっと何か呟こうとしたのか、けれどそれは喉が鳴るだけだった。
貪ること愛
アナタが求めたから
全て捧げよう
否
求めているのは僕
アナタの全てを奪いたかった
(続) |