…**赤く嘲笑う**…
〜おぜいくみ〜
オレが思うのは
君の幸せ
ワタシが想うのは
アナタの幸せ
姉さんが死んだのは、朽ちた橋を通ったから。
落ちて死んじゃった。
知らないおじさんから逃げたから…。
殺されたんだ。
暗い場所でキラキラと光ったのは、二つ。
一つは薄暗い雲に覆われても光り
一つは他の光に呑まれて消えそうに光って……。
人は殺してはいけないと思う。
痣の出来てしまった腕を撫で、何とか隠れる七分丈のシャツを着る。
少しは誤魔化せるし、あまりあの薬は使って欲しくない。
紅薬。
粉にすれば、どんな万病もたちまちに治し
液状にすれば、どんな怪我をも即座に治す。
所謂、秘薬。
材料であるベニヨミクサを守り、薬にするのが相葉家当主の役目。
古よりの家柄、儀式による苦痛は性行為で吐き出される。
それは漂う気の所為で他の訪問者や使用人にまで影響される。
強い者は弱い者を壊し、踏み滲んだ。
使用人が増えては、硝子のような心の持ち主は壊れて地下の牢に入れられる。
そこで欲を吐き出しても足りない奴は、俺や他の告げ口の出来ない少女などに吐き出す。
痛めつけても壊れず、此処まで生きている俺は痛め甲斐があると嘲られる。
その笑う口を塞いで殴り倒したいと想う時もあるが、まだ俺は大丈夫だ。
心配なのは…昴治と祐希。
特に最近、目に余るほど心配に思うのは祐希だ。
強く思えば思うほど普通の言葉でも言霊になる。
それは祐希の心を呑み込んで、その内、麗しき鬼になると叔父様が嬉しそうに笑っていたのを
障子の隙間から見えた。
もう随分と前から、それに祐希は何度も呑まれて……取り戻せなければ多分戻らない。
そうしたら、昴治が悲しむ。
俺も悲しい……
そう思う事に関して、自分はまだ人間としての感情を持っているなと思ってしまう俺は醜くて。
「さーて…」
朝は玄関の掃除と水まきをしなければならない。
俺は使用人に用意された部屋から出て、廊下を歩いた。
鳴り廊下を通り、母屋と繋がる通路に差し掛かった時だ。
「……」
ガタンッ
そんな音が客室の座敷から聞こえた。
失礼しますと声をかけて、襖を開ける。
ビチャッ…ズルンッ…
畳に染みているのは赤い血…。
「……」
言葉をなくしてしまった俺に振り返ったのは髪が乱れた彼。
瞳は強く俺を睨んでいるが、意思は感じられない。
「死ね、壊れろ、消えろ、」
言葉は身を震わせて、ピシピシとコメカミ辺りが痛む。
ただそれだけだ。
俺にとってはそれだけでも、他の奴だったらそうはいかない。
俺が此処にいれるのは、この所為もあるかもしれない。
「祐希!!」
腕を掴み、言霊を呟き続けている彼はガクンっと俺の胸に倒れ込んで来た。
何とか支えて抱えた彼を見る。
「……」
俺には言霊が効かない。
俺には呪詛が効かない。
体質と何か同じ言霊を使える者の血が混ざっているから…らしい。
「大丈夫ですかぁ?」
聞けば、ゆっくりと俺の胸を押して祐希は離れた。
周りに少し血の匂いが残っている。
「……殺しちゃったですか?」
「ああ…」
人を殺すのは良くないと思う。
たとえ許されていても。
「ダメじゃないですか。昴治もダメって言ってたじゃん。」
クツクツと祐希は笑い出す。
「すぐに殺せって云うさ。あいつ等と同じにっ。
俺がいない間に他の奴とやりまくってんだよ。」
「祐希?」
「殺してー、殺してー、あの人、俺を犯したからって言って。
俺はにいちゃんもソイツも殺すんだ。」
「…失礼します。」
パシンッ
頬を叩かせてもらった。
使用人の分際がこんなコトして許されはしないが、俺が浴びる罰で
彼が取り戻せるならどうって事はない。
「昴治はそんな事しない。」
「……」
「昴治は、」
「ああ…解ってる。」
叩かれた頬に触れず、祐希が俺を見てきた。
蒼の煌きが見える。
祐希が祐希に戻る。
「大丈夫っすか?」
「……ムカついて、ちょっと頭に血が上っただけだ。」
「垂れてますけども…。」
「これは叔父のだ…血肉と一緒に流す……。」
少しヨロついた足取りで祐希は外に出た。
「あ、ご一緒…」
「ひとりで結構だ。」
こんな姿…昴治は知らない。
「あのっ」
「……ありがとな…」
消えそうな小さな声で礼を言われる。
そう言われると何も言えなくなってしまうのを祐希は知ってるんだろうか。
そのまま呆然としてしまった俺を背に去っていった。
「……」
眺める畳にはもう赤いシミは消えていた。
「この前はオハジキ、ありがとな。」
ニッコリ笑って昴治は俺が用意した葛餅を食べた。
美味しそうに食べる様は作った甲斐があったなと思う。
「え、ああ…でもあんなの駄菓子屋で安く売ってるし。」
「うん、でもイクミから貰ったのが一番キレイだった。」
シャツにズボンとラフな格好をしている昴治は俺に笑いかける。
そう言われると嬉しい。
「気に入って頂けて嬉しいっすよ。」
「ん…あ、でも半分祐希にあげちゃったんだけど……ダメだったか?」
「いえ、そのつもりの量をあげたです。」
言えば、昴治はのそのそと葛餅を食べる。
頬は赤い。
きっと昴治は俺が知らないと思っているんだろうな…。
「そう云えば、貸した本は読んじゃった?」
「ああ、参考書代わりになって助かったよ。」
机の上から大事そうに取って本を俺に渡した。
「ありがとう。」
「いえいえ、お勉強で何か解らない事ありますー?」
「あー、うん…此処なんだけどさ。」
ノートを広げて指し示す所を俺は覗き見た。
昴治は知らないんだろう。
昴治みたいなタイプは格好の餌だ…すぐ食われてそれこそ、ズタズタにされる。
それがされないのは、此処に閉じ込められているから。
部屋の中に漂う祐希の雰囲気は、払うのに十分な力を持っている。
「なるほどな…」
どうして俺は入れるんだろう?
どうして昴治は微笑んでくれるんだろう?
……少しは好きでいてくれているのかな…思い違いかもしれないけど、それは嬉しい。
思ってくれていると思うだけで、俺は俺として生きてゆける。
「イクミちゃん?」
「……ん?」
「あ…ちが、そうじゃなくて。イクミ、どうかしたのか?」
時々、昴治は俺をイクミちゃんと呼ぶ。
昔は…今もだが、女の子として育てられたから、そう言われてしょうがない。
子供の頃は昴治は俺を女の子だと思っていただろう。
仕方のない事で俺は特に気にしていない。
それよりも、俺を呼んでくれる事に俺は救われる。
「別に何ともないですけど…なんか変っすか?」
「変ってワケじゃないけどさ、表情というか…その雰囲気というか…。」
「見つめてたんすかー?恥ずかしいですぅv」
ツンっと頬を突くと、真っ赤な顔をして俺を睨んできた。
「キモチ悪い喋り方すんなよ。」
「ヒドイっすよー昴治くんv」
「だから、やめろって、」
柔らかい頬を何度も突いていると益々真っ赤になる。
そんな昴治を見つめると伸ばされた手が俺の頬を強く突いた。
「あうっ、ちょいと痛いんですケド。」
「自業自得だっ」
触れる昴治は温かくて心地がいい。
陽が落ち始めて、洋燈が灯る廊下。
昴治や祐希の叔父に会う。
「……」
人を殺すのはよくないと思う。
「君は尾瀬君だったね。」
どうして人を殺しちゃいけないの?
知ラナイ
ちがう、姉さんが悲しむから。
「名を覚えて頂き光栄です。何か御用でしょうか?」
「お客人が来たようでね、君を使用人達が探していたよ。」
気が狂い、欲しか頭にない者となる時刻。
正気でいられる者は果たしているのだろうか。
昴治……昴治は正気でいられるよね…?
「態々有難うございます。すぐ向かいます。」
「そうかい。」
昴治と祐希の叔父とすれ違う。
その時背筋を何かが駆け巡った。
ああ…この人は……――。
人は殺してはいけないと思う。
「かおり、何処へ行っていたんだ。」
俺は…
「……」
俺の名前は…
「かおりっ」
俺は狂っているかな?
アナタ達のように。
記憶…。
あやふやなモノ。
自己防衛の為には別のモノへと刷り返られてしまうモノ。
別に…今、自己防衛するほどじゃない。
体中が痛い。
気絶したんだろう俺は地下倉庫に放りこまれていた。
多分、自分に火の粉が掛かる事を畏れて他の使用人が客人に言われて放りこんだんだろう。
無意味なのに、それでも縋る。
「……うう…冷えるな…。」
体を叱咤して、起こすがやはり痛みが鋭く無理なようだ。
少し休む必要がある。
身を移動させて、物棚の横に体を寄りかからせた。
石で作られた壁は室内は低温に保たれている。
火照っている体にはちょうど良い冷たさか……。
っ…っ…
何か物音が聞こえる。
近くの鉄扉の向こうからだ。
其処には玩具や薬が保管されている…所謂拷問部屋に近い場所。
本当の拷問部屋は別の場所にあるのだが。
此処を誰が使っているんだろう。
薄く開いた扉から光が漏れていた。
「……ひぃ…っ…」
覗いた先に、その光景はあった。
「や……ぎぃい…、」
木の台に鎖と枷で白い躯が括られている。
太股は鉄の棒で閉じないように縛られていた。
「……いいのか?」
響く声は鳥肌の立つ程に透っている。
「…ちが、ちがっ……」
ガシャ、ガシャッ
鎖の音が鳴り、身が跳ねる。
それを何も感情を映さずに見る瞳は酷く綺麗だった。
「こうじ……の体は、淫乱ですって
祐希に教えてやろうか?」
「っ…ひっ……ぎゃ、ぐぅう、あああああ!!!!」
押し潰すような悲鳴。
何とも奇妙な光景だった。
「や、だああ!!いやだ、、やっ、ああぐぅぅ!!!」
「祐希じゃなくても…こんなに体を開くって……」
そこにいるのは、昴治と祐希だ。
反応を示すモノを掴み、穴には太いバイブを入れている。
「…祐希が知ったら、どうするかな?」
「い、言うなっ!!!」
「命令すんな……メスブタのクセに。」
責めているのは祐希で、なのに昴治は他人として見ている。
目隠しされているワケじゃなくて……
甘い御香の匂いが俺の鼻を掠めた。
幻覚?
「やああ、ぐっうう、う!」
薄暗く、よく見えないけど。
助けなきゃ……昴治を……祐希もおかしくなってる。
そう思って動かそうとした体は動かない。
「言わ…言わないで…ください、な、なんでもするから!!!」
「オマエなんかに、してもらいたい事なんてないね。
祐希にばらすつもりだしな。」
「っ!?」
「……嫌われ…ちゃうかもな……。」
「っ……やめっ……やめてくれ……っひい!?」
「そして殺してくださいって頼むんだろう?ボクに。」
「ひっ、い、やあああああああああ!!!!!!!!」
ホントは温かいのが好き。
ホントは優しいのが好き。
「祐希ーーーーーっ!!!!!!」
痛いの、嫌い。
「っ…」
俺の声で振り返った祐希は冷たく笑う。
ああ、この瞳…知っているよ。
よく見る瞳だ。
残酷なまでに美しい一瞬の煌きで、
それが鬼たる証拠でもあるんだ。
だから、いけない。
「祐希!!!」
「……っ…う、う…ああああああーーーーーー!!!!」
悲鳴を上げたのは祐希だった。
俺は壁つたいに体を何とか起こして、部屋の中に入る。
「ちが…ちがう、ちがう、ちがう………」
頭を抑え、うずくまる祐希に、もう立ってられない俺は
這いずくまりながら近づいた。
「……祐希……お願いだから、やめて欲しい。」
「………」
手を差し出すと、ぬめりで濡れた手で握られる。
「……オマエ…何で此処に…いる?」
祐希だ。
「昴治をさ、外してやって?」
目を伏せ、ゆっくりと祐希は立ちあがった。
悲鳴が聞こえる。
「あ、や、いやだあああ!!!!!」
昴治の悲鳴が聞こえる。
「……兄貴、」
優しい声。
「っ……ゆ……」
呪縛を解く音。
「ち、ちが…ちがうっ、いやだ…ちがう、ちがうんだ!」
「ああ、知ってる。」
混乱しているだろう昴治を宥める声は優しい響きで。
俺の意識もじょじょに沈んでいく。
「……っ……き…嫌いに…」
「嫌いには…ならねぇよ……。」
優しい、優しい声。
「兄貴……、」
でも…俺は知ってる。
それは祐希じゃない。
祐希じゃない?
そう祐希じゃないんだ…。
「……たすけて、にいちゃん……」
そう……それが祐希だ。
苦しみもがいて、泣いている。
「……んあ?」
目を覚ますと座敷だった。
間抜けた声を出したのは、鼻を摘まれたからだ。
「いつまで…寝てんだ?」
摘んだ本人はバカにするように見ている。
「あ……おはようございまする。」
「寝ぼけてんじゃねぇよ、早く行かないとなんねぇんだろ?」
乱雑ながら諭すような声を祐希が出す。
俺は起き上がると、自分の身から痛みが引いているのに気づいた。
「使っちゃダメじゃないっすか!」
「……」
視線を逸らし、祐希は立ち上がる。
「俺は使わなくていいんだ。
痛いのだって慣れてるし…最近は痛みを感じなくなってる。」
「で?」
「だから、紅薬を使ってほしくない。
できるなら、祐希に作ってほしくない……オマエ、気づいてるんだろ?」
「……何に?」
冷たい声の先に、同じように布団で寝ている昴治に気づいた。
「最近、祐希じゃない祐希がよく出るようになった…戻れなくなったらどうする?
昴治が…泣く…きっと悲しんで、泣くんだ。」
「兄貴は泣かない…俺なんかの為に泣かない。」
「何、言ってんだ!!!あんなに、喜んでただろ!!!
昴治が帰ってきてくれたって!昴治が好きでいてくれるって!!!」
目を伏せて言う祐希は酷く穏かだった。
「……その前に、俺は兄貴に嫌われる。」
それは決意にも似ていて。
「それくらいは…できる。」
「……」
クツクツと笑い、祐希が見下ろしてきた。
「どうした?何か言わねぇのか?」
「言う必要ないっしょ……オマエはそんな事しない。」
表情が歪むのを見ながら、俺も立ち上がった。
「オマエはそんな事しないし、俺がそんな事させない。」
そうだ。
俺にも出来る。
何かできるはずだ。
「てめぇに何ができる?」
俺のできること。
「こうやって…」
パシンッ
祐希の頬を軽く叩いた。
「根性叩きなおす事、できますし…ね。」
ニッコリ笑えば、不機嫌そうに俺を見てきた。
叩かれた頬に手も当てず、目を伏せる。
「罰…受けるぜ。」
「ああ、別に受けてもいいかな。」
ホントに。
アナタ達は大事。
なくなれば……俺はなくなってしまうから。
「……朝、忙しいんだろ。早く行けよ。」
首を撫でながら面倒臭そうに裕希は言った。
俺は軽く笑って、障子に手を置く。
「おい、」
出て行こうとした俺を裕希が呼び止めた。
近づき、裕希は俺の横で立ち止まる。
「……」
「何でしょうか?」
「もし、俺が俺でなくなった時……」
「逃げたりしませんっすよ。男が廃るもんね。」
「いや……殺してくれ。」
言い返そうとした俺の口を裕希が手の平で止めた。
「なくなっていても、虫唾が走る。」
裕希の瞳が小さく揺らいだ。
どうしよう。
俺、こんな時さ…いつも悩むんだ。
昴治、昴治ならどうする?
「……答えは保留にしておいてもいいぜ。」
目を伏せながら言う裕希に
「そーしておいてくださいっす。」
俺は甘えた。
腕に軽く痣が出来る程度に鞭で叩かれた。
この程度ぐらいはどうって事はない。
普段通りに俺は玄関先を掃除していた。
「そこの君!!!」
石段を登って男が走ってくる。
なんだ?
まだ…夜でもないし。
「尾瀬イクミ君かい?」
「え?ああ、そうですけど……何か、」
「当主の、当主の……っ…」
息切れ切れに話す男に駆け寄る。
当主の?
「大事なっ……」
――なんだよ、それ…
――大事な物を入れておく箱に使えって言ってましたよ。
――……
――あ、もしてかして大事な物ないんすか?
――あるっ、
――じゃ、それ入れておけばいいっすよ。
――……そんな小さい箱に入らねぇよ…
――それって……
「昴治、昴治…昴治!!」
「そう、その昴治って子だ。」
「何かあったんですか!!!」
男に詰め寄って話しの続きを聞こうとする。
「社の…何か、紅薬を作る場所らしい所にボコにされて…
連れてかれて、それで、俺……急いで、」
連れてかれた?
紅薬の作る場所……社に…。
「母屋に裕希…当主がおられますので、知らせて下さい。
先に俺は社へ行ってます!!!」
男を追い越し、俺は社へ走った。
とても嫌な感じ。
苦しくて、吐き気がして。
あのときもそうだった。
姉さんがいなくなって……そう、追いかけた日。
もう其処にはいないというのに。
でも、今は
絶対に間に合う。
間に合う、間に合うんだ。
もう嫌だ。
もうあんな気持ちになるのは嫌。
昴治、昴治、昴治、昴治……
どうか……無事で、いてっ…
森を抜け、道なき道を走った所為もあり見える腕には
葉による切り傷がたくさん出来ていた。
古びた鳥居の立つ場所に着く頃には、息は切れ切れだった。
何とか整え、赤と白で彩られたお堂に駆け寄る。
「昴治!!!」
格子扉を思いっきり開けた先には、奉られた供物と神鏡。
薄く入る陽の光が板間を照らすだけ。
「……」
ココじゃない?
「こうっ……」
ガッ
そんな音が激痛と共に響いた。
「まさか、こんなに簡単に嵌るとはな……」
知らない声、揺らぐ視界に激痛。
頭を殴られた?
「此処が、紅薬を作る場所か……さ、探すぜ。」
ああ、俺……騙されたのか。
「おい、コイツどうすんだよ?」
そう言われながら、俺の腹は蹴られた。
「げほっ、ごほっ、」
「殺しとけ、別に使用人が一人や二人、いなくなっても解りはしねぇ。」
人は殺してはいけないと思う。
それはその人に罪が降り注ぐから。
こんな俺でも、罪は平等に――
お腹……痛い……
ああ、昴治……裕希……
ごめんね、ごめんね…ごめんなさい
未練はあるというのに、死に歓喜してる…
「っ!?」
ふと頬を撫でている手を止め、顔を強張らし裕希は辺りを見渡す。
「どーした?」
布団に座っていた昴治は裕希を見る。
「……」
「裕希?」
訝しむ昴治だったが、次第に心配そうな顔色になる。
俯き、拳をゆっくりと握った。
「俺…何か…」
「違う、アンタの事じゃない。何か――」
「何か?」
「……確かめてくる、」
そう言って裕希は立ち上がった。
それに慌てて昴治も立ち上がり、手を伸ばす。
「裕希、待てって!!」
部屋を出て行こうとする裕希の裾を昴治は掴んだ。
裕希は嫌そうな顔をせず、その手を握り一緒に部屋を出る。
握る手は少し振るえていて冷たかった。
裕希の言う『何か』は解らなかったが、何かに『不安』を感じているのだろう。
控えめにだが、強く昴治は手を握り返した。
「……玄関に何かあるのか?」
「いや、」
たどり着いたのは表玄関。
サンダルを履く裕希と同じように昴治もサンダルを履いて外に出た。
変わりのない外だったが、裕希の緊張は解けていない。
「裕希?」
「……」
裕希が目に止めたのは無造作に放られた竹ホウキ。
そっと昴治の手を握っていた手を離し、そのホウキに触れた。
「イクミ…っ…」
「イクミがどうかしたのか?」
只ならぬ雰囲気に昴治にも緊張が走る。
「アンタは此処にいろ!……くそっ……!!!」
「おい!!イクミに何かあったのか!!!!」
声も聞かずに走りだす裕希に慌てて昴治も走り出した。
「アンタは来るな!!!」
「イクミに何かあったんだな!それなら、俺も行く!!!
俺だってイクミが大事なんだっ!!!」
目を顰め、だが裕希は昴治の腕を掴んだ。
石段を駆け下り、木々の合間を駆け抜けて。
足の速さも体力も昴治は裕希に劣っている。
前を見つつ、腕を引く昴治を裕希は伺った。
息が切れ始め、しかしそれでも足の速さを緩めてはいなかった。
「……遅いっ!」
「ゆっ……」
昴治の腕を乱暴に引き、その躯を抱き上げた。
「首、捕まってろ、」
「え?ああ……」
驚き困惑している昴治は、言われた通りに裕希の首に腕を回した。
抱えたまま裕希は地を蹴り、飛躍する。
次についたのは大木の枝。
それを蹴り、他の枝へと足をついた。
その動きに無駄はなく、それなさながら……
森を駆ける鬼――。
美しいその姿を昴治の脳裏に浮かぶ。
首を振り、強く裕希にしがみ付いた。
ふわりと昴治の鼻腔を掠めたのは甘い匂い。
「……」
何か古びた鳥居の前に裕希は着地した。
昴治をゆっくりと降ろし、そして手を握る。
何とはなしに昴治は頷いて、鳥居を抜けた。
それはすぐだ。
「っ!?」
鳥居を抜け、赤と白に彩られたお堂の前。
白石が敷き詰められた道の上に横たわる躯。
するりと裕希の手が緩み、昴治はその体に駆け寄った。
「…イクミ!!」
赤が白石を彩り、
「イクミ、イクミ!!イクミちゃん!!!!」
白肌が血にはえた。
「いやだ!!!いやだああああ!!!!」
悲鳴をあげ、昴治はぐったりとしている躯を抱き起こす。
腹部から黒い血が流れ出ていた。
「イクミちゃん!!!目、目を開けろ!!!いやだ…やだよ!!!」
昴治は反応のないイクミを揺する。
そんな昴治を見下ろすように裕希が横に立った。
「……っ……げほっ…」
ごぽっと音をたて、イクミは血を吐く。
息を呑み、昴治はゆっくりと血が付いてしまった手をイクミの頬に寄せた。
薄っすらと緑の瞳が開く。
「イクミちゃ………何がっ…」
「……こ…うじ……」
目を伏せ、裕希は昴治とイクミの横を通り過ぎる。
ゆっくりとした足取りのまま、お堂の格子扉まで行った。
「あ……あっ…」
「イクミちゃん?」
その姿をイクミは霞みの掛かっている視界に取られた。
抱き起こしている昴治の腕を掴み、何か言おうとしする。
「っ……げほっ、ごほっ……」
咳き込み、血が吐かれ
バタンッ
次には裕希がお堂の中へ入り、格子扉を閉める音が響いた。
「裕希…?」
「……こ…こうじ……駄目…駄目だ、裕希をっ……」
ギャアァァァァァァァァッ!!!!!
人を殺してはいけないと思う。
たとえ許されているとしても
たとえ人を殺す為の力を持っているとしても
「裕希を……止めてくれっ…」
君がきっと泣くから…
君も……泣いているんでしょう?
赤く嘲笑う〜おぜいくみ〜(その後・イクミ編)
(終)
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