…**赤く嘲笑う**…
〜相葉〜
ねぇねぇ、どうしてなのー?
ダメなの、そういう決まりなのよ
でもね、でもね…
破ってはダメよ
やぶったらどうなるの?
約束よ、おねがいだから
でもね…でもね、おかあさん…ボクね…
「……」
ガタン、ガタンと揺れるバスの窓から見える風景は綺麗なモノだった。
緑の葉から零れる光が交錯し、所々木々の海が晴れては絶景を目に写させる。
木床の古いバスにはシャツ姿の青年しか乗ってはいない。
栗色の髪に青い瞳、あまり年相応の顔ではない彼の名は相葉昴治。
――何年ぶりだろ……3年ぶりかな…?
窓から視線を外し、手に持つ手紙を見た。
思えば、辛くも最悪な日々だった。
朧の記憶の中で、笑って幸せを感じた時などないように思える。
昴治が育った家は家柄も古く、村の神社とも関わりが深い。
当然のように躾は厳しい物で間違うものなら、鞭で叩かれるのもザラではなかった。
赤く蚯蚓腫れし痛む体に聞かされる言葉は優しいモノなどほとんどない。
「消えちゃえ!」
特に母と何か約束した日から、それが厳しくなった。
「いなくなっちゃえ!」
躾役の叔母や叔父。
その吐かれる言葉たちは確かに痛かった。
「消えろ!」
そして最も痛かったのは、たった一人の弟の言葉。
あの夏の終わり、雨の日に
「消えろ!!!」
突き飛ばされ、障子を突き抜け投げ出された躯。
水が染み、血が滲みそして見下ろす弟の顔は冷たく
「…裏切り者……」
幼い顔とは似合わない低く唸るような声で言われた。
右肩に後遺症を残す傷を残され、そして昴治は出ていった。
子供としては馬鹿げたモノかもしれない。
けれど昴治はその場から逃げた。
さんざん怒られた挙句、遠い親戚に引き取られる事になる。
だからゆうに、3年の月日が流れて。
今、昴治は家へ帰ろうとしていた。
「……」
もう何度も見た手紙を見る。
白い封筒の中に、白い便箋が2枚入っている。
一枚は叔母の死去を知らすモノ、もう一枚は白紙の便箋。
死去の知らせは、昴治に何も揺るがすモノなどなかった。
ご冥福を祈るけれど、記憶の中の叔母は自分を憎むように鞭を打つ形相しか浮かばない。
憎しみより恐怖が勝り、きっと墓参りに行こうなど思わなかった。
家へ帰ろうと思ったのは、そうこの何も書いていない便箋。
それを撫でると匂い紙なのだろうか、微かに甘い不思議な馨りが移り香する。
その便箋だけは『誰か』が自分の為だけに送った手紙のようで――
「赤咲村、赤咲村停留所ー、」
「あ、下ります!」
手紙を終い、小さなトランクケースを持って昴治は席を立った。
あらかじめ用意しておいた運賃をポケットから出して機器に入れる。
「ありがとうございました、」
「お気をつけて、」
昴治はバスから降りて会釈をすると、運転手は軽く帽子を上げた。
扉は暫くして閉まり、エンジン音と共に走り去る。
田園が広がり、山が迫るように聳え立つ。
風が吹き、通り過ぎて残暑の生温かい感触が汗を少しかいている肌を撫でた。
――行く…か…
舗装されていない道をただひたすら歩く。
遠い昔の記憶を頼りに家へと向かった。
じゃり道を進み、途中何度か車が通り過ぎて、陽が傾き始めた頃に家へ続く階段に着く。
木々がトンネルをつくるように生え、階段を上る昴治を涼ませた。
まって、まってよ…
ほら、早くお家に帰ろう。雨降ってる
あんよ…いたいの
お歌であるだろ?
お歌?
雨 ざあざあ 気ぃつけや 祠の奥の天神様 御休みだから 気ぃつけや
「恐い鬼さん喰いにくる……
天神様の雨入り 下へ落ちるよ 気ぃつけや…」
「にゃ?珍しいっすね、そんな民謡知ってるなんて。」
昴治はビクっと肩を震わした。
俯いていた顔を上げ、声を掛けた主を見る。
いつの間にか声を出して歌っていたらしい。
これでは変な人だと思われるかもしれない。昴治は何とかイイワケを考えようとした。
「むむむ?こうじ…昴治クンじゃありません?」
「え、あ、はい。」
トランクケースを前に抱え、昴治はコクコクと頷いた。
相手はクセのある灰色の髪と宝石のような碧の瞳の青年だ。
記憶に馳せ、前の人物が誰であるのか把握しようとする。
「いっやーー、お久しぶりっす!イクミですー、尾瀬イクミ!覚えてにゃーい?」
「お…ぜ…?」
なに、泣いてるの?
なくなっちゃった…なくなっちゃたぁ……
よく…わかんないけど…だいじょうぶだよ?
こうじ?
ね!いくみちゃん!!
「……いくみ…ちゃん?」
「お恥ずかしいながらーそうっす!!いやー覚えててくれましたぁ?」
記憶の中の彼は泣き虫な女の子だ。
それを指摘しようと思ったのだが、昴治は止める。
思えば幼い“彼”はスカートなど履いてはいなかったし、リボンもしていない。
小さい自分が“女の子”だと思っていただけの話だ。
広い家の離れに住んでいる使用人の子だと朧で覚えている。
泣く“女の子”を弟と同じように宥め、遊んだ記憶が懐かしい。
――それにしても…男だったのか……気づかなかった、
「それにしても昴治クン、小さくなっちゃいましたねぇー。」
「……」
相手の言葉にムッとする。
「小さくなったんじゃなくて、オマエが大きくなっただけだろ。」
「あははーそうとも言う!」
むすっとした表情の昴治にイクミはにこっと笑った。
それに怒る気分がなくなり、溜息を一つ昴治は零す。
まるで今の今までずっと馴れ合った友人のように思えるのが可笑しくて笑えた。
「…ん?どうしました?」
「ううん、なんでも。つーか、ホント久しぶりだな、イクミ。」
「イクミちゃんって呼んで下さいましぃ。」
「バーカ、」
えへへと笑い、イクミは階段の上を指した。
それに添うように昴治が歩き出すとイクミも歩き出す。
「…あの…お家族、不幸なんですけど、ホント…おかえり。
急にさ親戚の所に行っちゃって心配してたんですよー?」
「……うん…」
「そうそう、蓬仙も元気だし…こずえさんも元気、あと祐希クンも元気りゅんりゅんっすよ。」
にっこりとイクミが笑い、昴治がいなかった間の身辺を軽く言う。
それを風の音と遠くの鳶の鳴き声と共に聞いていた。
笑みを浮かべようとするが、唇だけ浮かべる事にする。
あんよも、おてても、いたいよぉ…
がまん、がまんだよ
がまん、がまん……
よし!えらい
階段を上り終えると、少し息が上がった。
大きな門の奥、引き戸の玄関が見える。
丸い石が等間隔で敷かれ道となり、庭師によって手を加えられた木や草が傾いた陽に色づいていた。
――変ってない…
3年も経っているというのに、謂わば庭園となるであろう道も玄関も家も変わりがない。
横にいるイクミも、未だ顔をあわせていない蓬仙や和泉、母、父、叔父――そして弟も
「あ…」
思考に沈んでいた意識を戻し、声を零したイクミを見た。
唇を噤み、少し瞳がギラリと光る。
眉を顰めながら、昴治はその見ているであろう先を見た。
それは今から入ろうとしている玄関で、着物を着た女性とスーツ姿の中年男が出てくる所だった。
「もう帰って下さい!」
「私たちはただ!!」
「私は何も知りません!!お教えできません!!!」
女性の叫びは耳に覚えのあるもの。
横にいたイクミが昴治に苦笑いを向け、駆け出す。
「…あ、イクミ君。」
「ちょっと失礼じゃないですか?困るんですよ?近所迷惑で、」
女性の前に駆け寄り、イクミは中年男の腕を掴んだ。
喰って掛かろうとするように思えたが、急にビクつき男は踵を返す。
イクミの表情は男の所為で見えない。
立ち尽くしている昴治はそれを目で追った。
――何…なんなんだ…?
男は昴治を睨みつけ、そして逸らし去っていった。
呆然としていた昴治は何とか思考を整理しながら、玄関へ行く。
「あ…昴治なの?」
着物の女性は自分と同じ茶色の髪で、少し痩せていた。
近くで見れば、それが誰なのか昴治は解った。
「母さん、」
「おかえりなさい!大きくなったわね……ホントに…」
そう云って抱きつき、頬を寄せた。
微かに匂う甘い香は、昔嗅いだ母の匂いそのままだった。
隣りにいたイクミが笑みを軽く浮かべて、昴治の持っていたトランクケースを持つ。
「律子様、昴治様の荷物は私がお持ち致しますね。」
急なイクミの敬語に少し凍てつくような感覚を覚える。
驚愕していたのだろう表情をイクミは見て、軽めにウィンクしてきた。
――ああ…そうか……
イクミは使用人の子だ。
皆の前では使用人としてではいけないのだろう。
「じゃあお願いするわね…さあ、昴治…暑かったでしょう?」
そう云って家の中へ促す。
昴治は中へ入りながらイクミを見た。
肘が軽く昴治に当てられ、
「さっきの普通モード、皆にはナイショっすよ?叱られちゃいますからv」
指に人差し指を当ててイクミは小声で言った。
昴治は苦く笑い、ああと頷く。
よかったと唇に笑みを浮かべてイクミは離れ、母より前を歩き出す。
昴治は靴を脱ぎ、揃えて母の少し後ろを歩いた。
木の床に皓の壁。
障子戸や襖、渡り廊下に飾られている花瓶…どこもかしこも昔と寸分違わぬものだった。
「お墓参りはしたの?」
「…え?ああ、明日しようと思ってる。」
「そう、場所解るかしら…」
「明日、私が案内いたしますです。」
「ありがとう、イクミ君。いつもお世話になるわ。」
いえいえとイクミは笑い、視線を前へ向けた。
母が自分の身辺の事を聞き始める。
昴治はそれを軽く言い出した。
口から言葉が出て、母の耳に届く度に昔の記憶が胸に去来する。
痛みと吐き気を催す悪夢のように、それは纏わりつき笑顔が消えないよう昴治は気を配った。
横にいる母は、記憶の中で優しかった人の一人だ。
笑みを浮かべる痩せた母は、実は今にも泣きそうに見えるのは息子である昴治の見間違いか。
昴治は笑顔が消えないようにする。
優しかったアナタが…あの時…どうして
――どうして?
浮かぶ思考の中に、朧に消えた記憶が過ぎる。
けれど過ぎったのはその記憶に対する問いだけで、把握する事はできなかった。
にいちゃん……あのね…
ズルズルと何か引き摺るような音がする。
その音に母とイクミはビクついた。
昴治はそんな二人の反応に首を傾げ、前を見た。
石庭に面する渡り廊下に人影が見える。
その人影をイクミは見つけたようで、顰めていた顔に安堵が浮かんだ。
誰だろうと思うより、その人物が角を曲がりこちらを歩いてくる。
四肢は白い方で白の寝巻きを着た人だ。
その者は大きな布を引き摺っている。
大きな布は白く、所々に赤い斑点がついていた。
「………」
俯いていた顔を上げれば自分と同じ青い瞳を見せ、漆黒の髪が艶やかにある。
「当主さま、いかがなさったのですか?」
横を歩く母がその者を呼び止める。
相手は流すように引き摺っている布を見て、問いに応えず歩き出した。
「…ゆう…っ…」
誰が言わずとも、それが誰なのか昴治には解った。
記憶の中の“その子”とは違うが、風貌と面影は残っている。
何を話そうとしたのか。
何故、名を呼ぼうとしたのか。
昴治自身理解しないまま、けれどそれは音とはならなかった。
相手は射抜くように睨んできたからだ。
それは意図も簡単に昴治の口を噤ませる。
視線は強く煌き、もし二人だけならば殺されていたかもしれない。
「祐希様、恐い、恐いですよー?」
漂う緊張を緩和させるようにイクミが言った。
にっこりと笑うイクミに祐希と呼ばれたその者はギリっと奥歯を鳴らす。
「……いらっしゃいませ……相葉昴治さん、」
昴治が目を見開くより早く、祐希は背を向け止めていた歩みを進める。
――……祐希…
ぐっと胸が痛み、胸元で拳を握りながら振り向く。
けれど祐希は角を曲がったのだろう、姿はなかった。
こー?こーー、
こーじゃなくて、“兄ちゃん”だよ
に…に…にいちゃ?
“兄ちゃん”
にいちゃ…ん、にいちゃん、にいちゃん!
うん、そうだよ
にいちゃん、えらい?僕、えらい?
えらいよ、祐希
――相葉昴治さん…だって…バカじゃないか?
……裏切り者…
キンっと耳鳴りがし、昴治は目を顰めた。
「あの、やっぱ口にあわないっすか???」
「あ?え?」
考え事をすると周りが見えなくなるのは癖に近い。
昴治を周りを見渡し、手元を見た。
この家の子だが、遠い親戚に引き取られたにしろ一度家を出て行ったカタチとなる昴治は
客人として扱われる。
母屋に近い離れに部屋は用意された。
離れの部屋と言っても余裕で10畳を越す広さで、障子戸を開ければ庭があり
趣のある部屋だ。そこに夕食が膳として運ばれた。
運んできたのはイクミで先程の“使用人モード”でなく“普通モード”になっていた。
手元のお茶碗にはまだ半分以上もご飯が残っている。
「…いや、ぼーっとしてただけだ。」
「そうすっか……やっぱ、親戚の所とココは違う?」
違うと応えれば、イクミは視線を流しながら笑った。
「気にする事ないっすよ。」
「何が?」
「祐希クン、いつもあんな感じですから…ホント素直じゃないすよー。」
昴治は目を伏せ、箸を動かした。
気休めなんかいい。
――アイツは俺を憎んでる…嫌ってる…ただそれだけだ
右肩が痛みだし、箸を動かすのを止めイクミを見た。
イクミは上を仰ぎ、そして昴治に瞳を向ける。
「でもマジで帰ってきてくれて嬉しいっす。何日くらい此処にいるんですかぁ?」
「予定としては3日くらい…」
持ってきたトランクケースの中に泊まりの用意は三日分しか入ってはいない。
「そっか。にゃにゃんと昴治クンとのエンジョイライフを楽しまないと!」
「何だよ、それ…」
「まぁまぁー、まずはご飯をたんと食べまっしょい!」
ねむれないの…
眠れない?
うん。あんよも…おてても…いたい、いたいだから…
がまん、がまんだよ
がまん、がまん……でもね、いたいのなくなっても…ねむれないの
じゃあ…お歌を唄ってあげるね
過ぎる記憶に昴治は目を伏せた。
食べ終え、やはり別個に用意された浴室で体を洗い、部屋に戻る。
戻ればイクミが満面の笑みを浮かべて布団を用意していた。
二つ用意されていたので、軽く嫌だと云う。
ううーー、お久しぶりですからーー、ご一緒に寝たかっただけですぅ
と言い、尚も嫌だと言うと半ば子供のように半べそかくものだから。
「あのー…怒ってますぅ?」
燈籠を消して、薄暗い部屋の中。
イクミの伺うような声が隣りから聞こえる。
「別に、」
「言葉が辛辣っすー。」
「あんまひっつくなって、」
二つ用意したにも関わらず、イクミは昴治と同じ布団に入っていた。
反発しようと思ったが半ば呆れもあり、昴治はそのままでいる。
それに人から甘えられるのは嫌いではない。
そう弟のようで
「冷え性なんすよーワタクシ…って昴治クン?」
「解った、解った……」
浮かび沈む思考は胸を痛めた。
昴治は上を向き、天井の板を見る。
「……ビックリ…しました?」
「え?」
天井を見ていた昴治は瞳だけ横に向ける。
寄り添うように横にいるイクミも瞳だけ向けていた。
「…祐希はね、相葉一族の当主になったんすよ……。
一族の遺産の半分は祐希の物で…神事とか出たり…色々する人になったんだよね。」
「……」
「昴治、知らないっしょ?祐希クンもつい最近……色々聞かされたみたいだし…」
確かに何も知らない。
幼い頃教えられたのは、礼儀などの躾だ。
「いいよ…俺には関係ないし。」
「……ホントにそう思ってます?」
少し身を起こしてイクミは聞いてきた。
そうだと返そうとするが、右肩が痛み言葉を出すのが遅れる。
イクミは軽く笑って身を布団に沈めた。
「……あ…俺がさ、ここでご一緒に寝た事、秘密っすよ。」
話が急に変わり、昴治はぼんやりとしながら頷く。
「秘密って…つーか、云わないよ誰にも。男同士が共に寝るなんてさ…」
「いやーん、昴治クン。ほんのりやらしいぃー。」
「……」
「あーー、嘘、うっそ!怒らないでぇ。」
溜息をつき、ポンポンとイクミの頭を叩いた。
相手は破顔し、昴治の胸に顔を埋める。
「あんまり…ひっつくなよ…」
「……ん…ごめんな…」
「え?」
急に謝ったものだから、昴治は身を起こそうとした。
けれど胸に掛かるのは声ではなく、静かな寝息。
昴治は息を吐き、そのまま瞳を閉じた。
こわいよ…こわいよ…
何もないよ?大丈夫だよ
ううん、あるよ
ないって…それに兄ちゃん傍にいるから
いっしょにいてくれるの?
うん、祐希といっしょ
やった!うれしいよ……あ…でも…くるの、きちゃうよ…
何が来るの?
鬼だよ
「っ!?」
甘える幼い弟の声が一変して、あの低く唸るような声になった。
それにビクつき昴治は瞳を開いた。
夢の狭間、昔の記憶が甦ったのだろう。
額に手をあて、横を見ればイクミはすやすやと眠っている。
それに安堵して、昴治はイクミが起こさないように身を起こした。
記憶の断片が残る“此処”に来たのだから、記憶が過ぎりそして甦るのは避けられない事だ。
“此処”を出て親戚の所で過ごした3年間。
幼い頃の記憶は過ぎりさえせず、思い出そうともしなかった。思い出したくもなかった。
――当然だな…裏切り者って言われて……
カタッ
障子の向こうから物音がし、昴治はそっと布団から抜け出した。
障子を開けると、夜闇が溶け出し板間の廊下が薄く月明かりで光っている。
面する庭を眺め、一歩前へ踏み出した。
オオオ…
呻き声のような風の音がする。
キシキシと床を鳴らして、縁下に行こうとした。
「これで…俺は……」
男の声がし、昴治は振り返った。
ボタッ
「…っ!?」
声は床に横たわる人。
人と言っていいほどのカタチはしていない。
ずるっ、ずるぅ…
足は潰され、背中は赤黒くごぽごぽと何かが滲み出てきている。
伸びた手は赤く、皮膚が爛れ落ち何かを掴んでいた。
昴治は逃げようとするのだが、ぐっと足を掴まれ尻をつく。
「っ…!!」
悲鳴さえも出ず、昴治は目の前にある者を凝視した。
息が耳元まで響き、心臓はバクバクと脈打つ。
「やっと手に入れた…ぞ…これで……億万長…者だ」
その声は聞いた事があった。
「……あの時の…」
玄関で出会った、あの中年の男――確定はできるほどのカタチは残してはいない。
「ははは……げおっ、ごぽっ……」
顔が溶け出すように皮膚や目が落ち、血に塗れ贓物が口から吐かれた。
もう死んでいるであろう、その者は昴治の足を掴んだまま、ずるずると引き摺り込もうとする。
「…ひっ!!」
逃れようとする昴治の両脇に手が伸びた。
それは陶器を思わせるように白く、息を呑む。
だがその手は昴治を、もう人ではない者から引き離した。
足につく、その男の者であっただろう手をぶちりと引き千切り昴治を抱き寄せる。
その身に昴治は抱きついた。恐怖が人を欲している。
相手は身をそのままに昴治に抱きつかれたままだった。
鼻腔を擽る甘い独特の匂いと広い胸。
鎖骨が見え、透けるような白い肌に鬱血の痕が無数あった。
誰なのか。
身に馴染む温もりを感じながら昴治は顔を上げた。
「こうじくーん、もしもーーし!」
「っ!?」
そこは廊下ではなく、傍や知らない部屋でもなく、自分が過ごす事となっている部屋だった。
横に寝ていたイクミは既に起きていて、昴治の肩を揺すっている。
「どーしましたぁ?恐い夢でも見たっすか?」
――夢……
夢にしては、感覚が残りすぎている。
ずるりとした滑りと足を掴んだ手の強さ、そして抱きしめられた温もり。
被りを振って昴治は起き上がった。
ボク…悪い子?
悪い子なんかじゃないよ、叔母様、叔父様の言う事ちゃんと聞いてるし
でも悪い子だって……おじさま…いってたの
そんな事ないよ、叔父様いつそんな事言った?
…いったよ……いったんだよ、
朝食もやはり、離れの此処で摂った。
別に血族と一緒に食したいとは思ってはいない。
身支度を整え、母屋と繋ぐ渡り廊下の所で一緒に歩いていたイクミが立ち止まった。
ちょっと朝の挨拶してくるの忘れたんで待ってて
待つなと言われても、家に帰ってきた理由であるお墓参りができない。
昴治はすぐに頷き、早足で去って行くイクミの姿を見た。
「……」
昴治はズボンのポケットから手紙を出す。
――ちょっと…ぐしゃぐしゃになっちゃったな…
ずっと持っているので仕方がないだろう。
それをまたポケットに仕舞おうとした。
気配に気づき、昴治は渡り廊下の奥を見る。
ずるずる…
何かを引き摺る音だ。
瞬きをし、開くと
オオオ…
「っ!?」
血みどろの男が飛び込んでくる。
それに瞳を瞑り、腕を顔を塞ぐように構えた。
だが一向に衝撃はなく、昴治はゆっくりと腕を下ろす。
映ったのは昨日と同じく、白い布を引き摺って歩いてくる祐希だった。
安堵の息を吐き、歩いてくる祐希を見る。
「……」
向こうは昴治に気づくと、今にも殺さんばかりに睨んできた。
耐えられるほどの強さなのだが、幼い頃の記憶が胸を叩き昴治は目を伏せる。
咽喉に何かが引っかかり、自分が弟に何かを云おうとしているのを自覚した。
――何を言うつもりなんだ?今さら…
右肩がズキズキと痛み、手紙を胸に押し当てた。
――アイツが俺を突き飛ばしたんじゃないか……消えろって…
伏せていた瞳に、祐希が引き摺る布が映った。
白い布は昨日より赤黒い何かで汚れている。
「……おい、」
それが何かと把握する前に昴治は声をかけていた。
横を過ぎようとした祐希は見下すように振り返る。
「何か用ですか?相葉昴治さん、」
「そ…それ……血か?」
「……さあ?」
質問に応えず、祐希は去って行く。
昴治は自然に手を伸ばし、祐希の腕を掴もうとした。
パンッ
子気味いい音が鳴る。
昴治の手は祐希の手で払われ、そのまま払った手は昴治の胸倉を掴んだ。
細い身でありながらも、昴治の身を振り回すように横の壁に押し付ける。
「……祐希…」
「うぜぇんだよ、アンタ…」
がっと強く壁に昴治の身をぶつけ、手を離した。
ぶつけられた拍子に昴治は持っていた手紙を落とす。
反抗よりも早く、昴治はその落とした手紙を拾った。
「……手紙か?」
「関係…ないだろ、おまえには…」
「そんな只の礼文と白紙の便箋持ち歩いて、脳ミソ腐ってんのかよ。」
乱暴な物言いだが、昴治は祐希の発言を聞き漏らさなかった。
弟を見れば、相手は汚いモノでも見るように見返してくる。
「何で…この封筒の中身知ってんだ?」
「っ!?」
一瞬にして祐希の顔が真っ赤に染まった。
それに昴治も驚き、呆然とする。
目を顰め、真っ赤な頬のまま祐希は昴治を睨んだ。
昴治は少し震える声のまま、自分の中で浮上した核心を言う。
「オマエが…この手紙を?」
「そんなの知るかよ!バカ兄貴がっ!!!」
祐希の声は頭に響き、昴治の瞳を見開かせた。
凛とした声は目の前の弟が成長した事を知らせている。
幼い弟ではなく、他人行儀に振舞う彼ではなく、祐希という存在が垣間見られた。
手紙を大事そうに持つ昴治を一睨みし、祐希は踵を返す。
「……今さら……」
何かを呟き、布を引き摺りながら祐希は去っていった。
昴治は呆然とそれを見送り、けれどあの引き摺っている布に付着しているのは
血だと冷静に考えていた。
ねぇ…まって…あんよ、いたいの
もっと足動かさないとダメだよ、追いてっちゃうぞ?
やーー、にいちゃんまって!
待ってるよ、でもオマエも頑張らないとダメだぞ
うん…にいちゃん…いっしょ…いてね
田園を抜け、木々に囲まれる道となる。
蝉時雨と遠くから渓流の音が耳を入った。
生温かい風がジトリと汗を滲ませる。
空は相変わらずの青と入道雲が広がっている。
細いアスファルトの道路が続き、谷を繋ぐ橋の前でイクミが立ち止まった。
「ここ入ってくと墓地に行くですよ、」
「そうなんだ…」
獣道に近い山道があり、古い道しるべらしい木の看板がある。
看板と云っても古く朽ちている為、何が書いてあるのか解らなかった。
「もうちょっと歩くけど、大丈夫っすか?」
「ああ…そんなに体力ないってワケじゃないし。」
「そう、たのもしいーですな。」
ニッコリと笑ってイクミが歩き出す後を昴治はついていく。
木漏れ陽を浴びながら墓地についたのは、それから10分後だった。
整地された墓地の入り口に古びた水場がある。
赤錆びた蛇口を捻り、桶に水を入れ勺を中に入れた。
昴治が持つと言うのだが、イクミは軽くあしらい、代わりに持ってきた線香とお花を持つ事になった。
迷路のようなお墓の合間の道を通り、周りから見るに豪華に感じられるお墓の前で止まる。
お堂のようなお墓は、相葉一族が眠る墓である。
「さて…お掃除して、さくっと終わらせちゃいましょう。」
イクミは桶を端に置き、生えている雑草を抜き始めた。
昴治は枯れた花を捨て、新しい花に変える。
線香に火を灯し、お供え物を綺麗に供えた。
「……」
手を合わせ静かに冥福を祈る。
昴治は閉じた瞳を開け、佇むお墓を見た。
冥福を祈れるほど昔ではない。
叔母に厳しく躾られた記憶は、やはり憎しみにしかならないだろう。
「…昴治?」
問い掛けるイクミに笑みを向け、汲んできた水を墓石にかけた。
「ご冥福をお祈りします…」
「……」
イクミは墓を見つめ、昴治を見た。
「なぁ、本当にそう思ってるか?」
目を瞬く昴治に体ごと向き、碧に煌く瞳で相手を射抜くように見据える。
怒りではない、深い何かがイクミの感情を取り巻いている。
「そう思うのか?昴治は。あんな……」
「イクミ?」
「……何でもないです…えへへ…ワタクシ、叔母様好きじゃなかったもんで…」
自分もそうだ。
だが昴治は云わず、軽く相槌を返す。
「さて、帰りますか。」
「ああ。」
笑いあって、昴治とイクミは歩き出した。
墓地を過ぎ、山道に入り――やはり他愛のない話をし続ける。
木々がざわつき、ポケットの中にある手紙を思い出すと昴治の脳裏に朝が過ぎった。
そして昨夜の事も。
「あのさ…、」
引け目な声にイクミは顔だけ向けた。
「昨日さ、会った…つーか見かけた男の人さ、誰だ?」
「ん?玄関で会ったヤツ?結構多いんですよー、相葉家って謂わば資産家じゃないですか。
で、援助して下さいって感じでねぇ。」
「そっか…」
「俺の知らない時に会ったですか?」
やっと手に入れた…ぞ…これで……億万長…者だ
何かを握り締め、血みどろの…
「…気になっただけだ。」
腕を組み、イクミはそうなんだと納得したようだった。
疑問をすぐに応えてくれるイクミに押されたのか。
「あのさ、祐希さ、何で布引き摺ってるんだ?」
関係ないと言った弟の事を昴治は聞いていた。
イクミは上を仰ぎ、そして昴治を見る。
「あれね…引き摺ってるのは布団のシーツっすよ。」
「シーツ?」
「結構、祐希クンってばずぼらな所もあるんだけども、潔癖でもあるんすよ。
あーやっていつも洗濯出しに行ってんすよ。」
「赤く…汚れてたんだけど……」
血を拭いたような。
「汚れてました?気のせいじゃないっすか??
赤くなるような布団の上でする事ってないっしょ、普通。」
「普通じゃない!!!あんな所!!!普通なワケっ、」
ぎゃああーーっ、
「っ!?」
断末魔のような悲鳴が聞こえる。
昴治の目の前に手足のない女の姿が飛び込む。
息を呑み、腕で身を守るように構えた。
「こうじ?」
「えっ……」
肩を掴まれた拍子にビクつき、見れば女の姿などなかった。
「どうかした?」
「いや……なんでも、」
額を押さえ、首を振った。
生温かい風と下がる気配のない気温。
その所為で幻覚を見ているのだろう。
「うにゃ…しまった、桶持って来ちまいましたー。
ちょっと戻してくるんで…えーっと橋の所で待っててくださいっす。」
「俺が置いてこようか?」
「いいですー、結構遠いですしねぇ。」
敬礼をし、イクミは来た道を引き返した。
昴治は止めようとした手を下ろし、息をつく。
追いかけるのは無意味に近い。
昴治は仕方なく、言われた場所まで歩いた。
――疲れてるのかな…俺。
幻覚を見るほど疲れているのかもしれない。
昴治はそう思う事にした。
山道を抜け、アスファルトの道路につく。
谷を繋ぐ橋へ行こうとすると、橋の中央に人影が見えた。
また幻覚かと昴治は目を背けようとするが、耳に小さな音が聞こえてくる。
「…恐い鬼さん…喰いにくる……天神…下へ落ち…気ぃつけや…」
小さな声で、けれど響く声は弟のものだ。
白の寝巻きと思われた服は普段義なのだろうか。
橋の手すりに腰掛け、着物裾からすらりと伸びる脚を橋の外側へ向けている。
何故と思うより先に昴治の脳裏に記憶が溢れ出した。
ねぇ…こわいよ…
兄ちゃんがいるから、大丈夫だよ
いなかったら?
お歌を唄えばいいよ、恐くなくなるよ
じゃあ……お歌…うたうね
うん
こわいとき…さびしいとき……いたい、いたいのとき…お歌うたうから
にいちゃん、すぐきてね……約束…だよ?
何かが遠ざかり、近づいてくる。
――恐い?寂しい?…まさか、
思う事に、そんな事などある筈がないと否定した。
確証があるわけではない。
ただ、否定するだけだ。
右肩が痛みだし、昴治は押さえながら目を逸らそうとする。
だが視線の先にいる弟の行動が焼きつき、逸らすのを止めた。
逸らせなかったと言うのが正しいかもしれない。
橋の手すりに座っていた祐希はフラリと立ち上がった。
風が反物の裾を揺らしている。
橋の下は谷となっていて、落ちたら即死であろう。
ましてや、不安定な手すりの上に立つのは大変危険だ。
だが、事もあろうに祐希は唄うのを止め、目を瞑り手を広げる。
今にも身投げをしそうな勢いに昴治の体は動いていた。
「祐希っ!!!」
名を呼ばれ、ゆっくり祐希が顔を向ける。
兄と把握したのか、目を顰めた。
そんな弟の躯は急な出来事と吹く風により、バランスを崩し揺らぐ。
「っ!?」
昴治は手を伸ばし、力いっぱい引き寄せた。
自分より背の高くなった弟はけれど軽く、難なく抱き寄せる事ができる。
だが昴治は細身というより華奢な方だ。
受け止めるも、そのままの体勢には出来ずに地面に尻をつく。
「……」
顔を上げた祐希を昴治は憤怒を見せた。
「何やってんだよ!!!落ちたらどうすんだ?幼児じゃないんだ、
危ないって事くらい解るだろ!!!」
「…今のはアンタが……」
「祐希!!」
ふらついたのは、確かに急に呼びかけた昴治の所為かもしれない。
だが昴治はそれを聞く気はないらしい。
怒る兄に祐希は複雑な表情を浮かべた。
「解ってるのか?死んじゃったらどうすんだよ!!!」
「……なあ、どうしてだ?」
「どうしてって、何がだ!」
「今さら、今さらっ……。アンタまさか…信じて…」
祐希の発言に訝しむ昴治を気にせず、一人答えを見つけたらしかった。
表情を和らげ、昴治の胸に頬を寄せる。
頭に血が上っていた昴治は相手の行動で落ち着き、そして混乱していく。
――何で…何でだ?
そう問い続ける。
自分にそして身を寄せる弟に。
「……ゆう…き?」
「言えば……きっと、アンタは……」
背に爪をたてるように腕が絡む。
「にいちゃん、」
ぐっと背に爪が食い込んだようだ。痛みが伝わり、昴治は目を顰める。
瞬くと生温かい風と甘い匂いが漂い、そして鉄臭い匂いが鼻腔に残った。
「昴治?」
「えっ、」
体をビクつかせ、そして振り返る。
心配そうな表情で屈むイクミがいた。
「こんな橋の真ん中でどうしたんすか?」
「どうしたって、そりゃ……」
弟を抱きしめている理由を言おうとする。
だが抱きしめた筈の腕には何もなく、背中に絡んでいた筈の手もない。
見れば、ただ自分だけがべたりと地面に座っているだけだ。
「そりゃ…なんですか?」
昴治は呆然とするしかなかった。
ユメみたよ…
イクミも見たよ
祐希といくみちゃん、夢見たんだ
こうじクンは見ないの?
覚えてない…
きょうはね、とってもイイユメだったの
いいなー、イクミはいたい、いたいの夢だった
そっか……祐希のイイ夢ってどんなの?
あのね……きもちいいの
どれくらい?
いっぱい、いっぱいね…光がとんで……白なんだよ…
キモチワルイくらい
びくっと痙攣し、甦っていく記憶に昴治は震えた。
目を伏せ、持っているタオルで顔を拭く。
もう夜と言う時刻で、夕食を終えた昴治は入浴をしていた。
昨夜の事、昼間の事――何度も思い返すも答えはなく、そして逆に幼い頃の記憶が甦る。
――なんなんだよ…もう。
奥歯を噛み、焦燥に駆られる。
そのまま用意されている離れの部屋に行こうとした。
けれど擽るように、甘い匂いがしてくる。
それは微かに白紙の便箋に漂っていた匂いと同じものだ。
「何の……」
匂いなのだろうか。
昴治は花に誘われる蝶のように、その匂いのする方へ行く。
辿りついたのは母屋の隅の部屋だ。
人の気配はなく、昴治はゆっくりと障子戸を開ける。
燈籠が二つ燈り、畳部屋の中央に布団が一枚敷いてあった。
――燈籠から?
部屋には家具はなく、隅に押入れがあるくらいだ。
周りを見渡していると、布団の横に陶器の香炉がある。
――御香の匂いだったのか……
「――午後は何をしていた?」
廊下から声が聞こえてくる。
その声は幼い頃、最も畏れていた声の一つ――叔父の声だ。
この部屋に向かってきているのは声が次第に大きくなるので気づく。
此処は母屋だ。
客人となっている今、此処にいる事は間違っている。
記憶にこびりつく、痛みの日々。
それが昴治の身を動かした。
「誰かいるのか!」
声は部屋の響いた。
「……」
叔父は辺りを見渡し、中央の布団に座った。
――何とか……大丈夫かな…
昴治は持っているタオルを口に当て、息を潜める。
瞬時に昴治は押入れの中へ逃げ込んだのだ。
後は叔父がこの部屋を出て行くか、寝静まるまで何とか待つだけだと昴治は安堵する。
「答えを聞いていなかったな、今日も欲深い者が来たのだぞ。」
「……」
見えなくとも気配で解る。
――ゆう…き?
「無駄に使うな、そう言った筈だ。
決められた時以外、外に出るなとまだ覚えられぬか?」
「……ざわついたので……」
叔父の前に立ったのは祐希だった。
襖の隙間から見れる小さな視界に弟が映る。
「それに欲深いのは……叔父の方だと……」
「ほう…」
叔父は嘲笑し、弟の頬を叩いた。
頬はじわじわと赤くなる。
表情を変えない祐希の襟元を掴み、そのまま布団へ押し倒した。
「紛い者のオマエが、何をしているのか…知っているぞ。
どんなに隠そうと…全て…」
「……」
目を伏せ、けだるげに掛かる前髪を祐希は掻き分けた。
――っ!?
昴治は目を疑った。
また非現実の幻覚を見ているのかさえ思わされる。
絡む四肢。
零れる液体。
乱れる黒髪。
皓の肌。
ガタガタと昴治は震えだし、耳を塞ぐ。
「…っ…あ、あ……」
漏れる吐息。
にいちゃん……いたい、いたいなの…
「……」
ガタガタと震えながら蹲っていた。
記憶が思考の中で溶け混ざり、混乱させる。
スー…
「っ!?」
襖が光を零しながら開く。
昴治は息を詰め、声を上げそうになるが伸びた白い手が口を抑えた。
もがこうとする昴治の身を押入れから引き出すように抱きしめる。
「静かに、」
「っ!?」
目を見開いた昴治に映ったのはイクミだった。
顔を苦く歪めて、昴治を抱き上げる。
燈籠の灯るその部屋に、祐希も叔父の姿もない。
あるのは甘い匂いと乱れた布団、そして赤い跡が点々と零れていた。
昴治を抱き上げたまま、部屋を抜けちょうど離れに入る所でイクミは昴治を下ろす。
「…母屋に行っちゃダメっすよ。」
軽い口調でイクミは言った。
被りを上げ、昴治を眉を寄せる。
「なんで…なんでだ!!どういう事なんだ!知ってたのか!!」
「知ってたよ。」
「じゃあ!!じゃあ……なんで、」
「キモチワルイ?変?」
怒鳴る昴治の頬にイクミは手を当てた。
「でも…此処では普通なんだ。」
「オマエはずっと…知ってて!」
「……昴治…じゃあ、どうしてさっきオマエは止めなかった?」
「っ!!」
ギリっと昴治は奥歯を噛む。
手を伸ばし、そしてイクミは昴治を抱きしめた。
離れようと昴治はもがくのだが、イクミは腕に力を入れる。
「やっぱ…いっちゃうの?」
もがいたのだが、相手の体が震えているのに抵抗を止めた。
「…い…くみ…」
「……叔父様とはね、祐希の了承を得ての行為っす。
カタチがカタチである為に必要不可欠な行為…儀式と言ってもいい。
だから…ね。俺は止められないし、昴治は止めなくて正しいんです。」
するりとイクミは離れた。
いつものようにニッコリと笑顔を浮かべる。
「湯冷めしっちゃー困りもんっす。早くお部屋に戻りまっしょい!」
まるで何もなかったように。
みんな…ボクのこと…きらいだって
そんな事ないよ、僕は祐希が好きだよ?
ほんと?
ああ
ほんとにほんと?
本当の本当だよ
ボクのこと…すき?いちばん?
うん
ずっとすきでいてくれる?
当たり前だよ
……約束…だよ
目覚めは余りよくなかった。
のそのそと昴治は朝食を食べる。
何もかも幻覚を見ているかのように思えた。
もしかしたら、いま此処にいる自体、幻なのかもしれない。
――そんなワケ…ない…
変わらず会話してくるイクミを見る。
彼の感情は深い瞳の煌きに隠れていた。
「明日…帰るんだったよな。今日はどうします?美味しい茶店でも行く?」
ちょうど聞かれたのは食事を終えた後だった。
昴治は左右に首を振る。
「いい…此処でゆっくりしてる、」
「むむーー何と不健康……あ、じゃあ和泉とか蓬仙呼んでこようか?」
「和泉と……あおいを?」
幼い頃、共に遊んだ記憶が微かにある。
イクミはニコッと笑い、障子を開けた。
「決まりっすね!じゃあ、ワタクシお二人を呼んでくるな!」
止めようとするのだが、手は宙を掻くだけだった。
昴治は息をつき、廊下に出る。
あ…う、う…はあ……
浮かぶ絡む四肢。
昴治は目を顰めて首を振った。そして何とはなしに歩きはじめる。
広い屋敷は、時間を潰すにちょうどいい。
何よりぼうっとしているより、情景を止める事ができた。
――なんで…なんで…なんで…
混乱していく。
何もかも感情に沈み込んでいく。
そのまま歩いていると、襖の開いている部屋についた。
目に止まり、その部屋の中を掠め見る。
「……」
叔父の姿があった。
湿気が高くなってくる為、風通しをよくしているのだろう。
机の上突っ伏している叔父は転寝であろう、眠っているようだった。
――寝てる…
昴治は自然に部屋の中に入っていく。
あ…あ、あ、あ…いた…痛っ
痛い?オマエはこれが…好きだろう?
昴治は虚ろな瞳のまま、周りを見渡す。
陶器の置物が目につき、それを昴治は手に取った。
にいちゃん……たすけて…
――こいつが…
昴治は叔父の後ろに立ち、陶器の置物を持った手を振り上げる。
――コイツがいるから、いけないんだ!!!
そのまま叔父の頭部めがけて振り落とした。
それは雨の日だった。
「にいちゃん、あのねっ」
近寄る弟は笑みを浮かべ、昴治に手を伸ばす。
だが昴治はその手を叩き払った。
「消えちゃえ!」
そう叫ぶ。
弟はビクつき、泣きそうに眉を寄せる。
「にいちゃ…ん?」
「いなくなっちゃえ!」
だがそれに構わず昴治は言い続ける。
「ボク…悪い…ことした?いけない…こと……」
「消えろ!」
震えながら弟は言う。
既に大きな瞳からは涙が零れていた。
昴治は顔を逸らし、言い捨てる。
弟は昴治の服裾を掴んで、相手を見上げた。
「ボクの…こと……きらいになったの?やくそく…ずっと…」
相手の肩を押し、弟を引き離す。
「消えろ!!!」
俯き、昴治は言葉を吐き捨てた。
言った兄である昴治を震えている。
長い沈黙に昴治は顔を上げ、弟に何かを告げようとした。
だがそんな昴治の胸倉を掴み、幼い体では信じられないほどの力で昴治を突き飛ばす。
「っ!!!」
ガシャァァァンッ
窓硝子が割れ、雨が降りしきる外に放り出される。
「う……く……」
硝子の破片で切ったのだろう。
右肩からじわり、じわりと血が流れ出した。
歪む視界の中、ふらりと幼い躯がこちらを見下ろす。
冷たい表情には、涙の痕もなく幼い彼の面影すらなかった。
それが壊したもの。
「…裏切り者……」
低く唸るような声で。
「っ!?」
叔父の頭部に当たる寸前で昴治は手を止めた。
カタカタと身が震え出す。
――…俺が……?俺が?
否定し、退き離れた理由。
――俺が…俺から?
兄弟の仲を壊し、此処から去っていった。
小さなけれど大事で簡単な約束さえ破って。
――俺がっ!!!
陶器の置物を畳に落とす。
そのまま昴治は廊下に飛び出た。
ちょうどその時、二人の少女をつれたイクミがこちらへ向かってくる。
「あ、昴治!和泉と蓬仙つれてきた。どっか遊びに行こうって」
「っ…」
驚愕に瞳を見開き、昴治はあの雨の日と同じように外へ飛び出していた。
「昴治!?」
静止も聞かずに昴治を走る。
自分に対する嫌悪と憎悪が渦巻き、形成している精神がなくなってしまいそうだった。
闇雲に走った昴治が立ち止まったのは、頬に雫が落ちた時だ。
ポツポツと突き刺すように雫が落ち、断続的だったそれはすぐに連なる。
雨だ。
湿気が取り巻き、生温い空気が雨で冷えていく肌を撫でていく。
立ち止まったそこは山の中だ。
「……何やってんだ……」
自分を馬鹿にし、昴治は俯く。
雨 ざあざあ 気ぃつけや
祠の奥の天神様 御休みだから 気ぃつけや 恐い鬼さん喰いにくる――
「雨……」
ずぶ濡れになっていく昴治はゆっくりと周りを見渡した。
ちょうど竪穴が見え、ソコへ足を運ぶ。
木々に囲まれるそれは、洞窟のようで雨宿りを兼ね昴治は中へ入った。
ふらりふらりと、雨音が消えるくらい奥へ昴治は歩いて行く。
「あ……」
外の光が薄くなる。
続く洞窟の途中で、石で作られた祭壇があった。
周りには無数の積み重なる石と面が置いてある。
「はは…ここが…祠か?……歌どおり…」
その前に昴治はペタリと座り込んだ。
「……」
雨に濡れた体が体温を奪いながら乾いていく。
震えながら昴治は置いてある無数の面の一つを取った。
奉納してあるものなのだろう。
色褪せた白の能面である。
それの縁をゆっくりと指でなぞり、瞳を閉じた。
「昴治、こっちに着なさい!」
眉を寄せ、母親が昴治を引き寄せた。
廊下の隅で隠れるかのようだった。
律子は昴治の方を掴む。
「祐希を特別に思ってはダメよ!神の子なのだから!」
「なんで?祐希、いい子いい子だよ。」
「約束よ、昴治!!」
「ねぇねぇ、どうしてなのー?」
聞き続ける昴治に律子は泣きそうに笑う。
それに昴治は首をかしげた。
「ダメなの、そういう決まりなのよ。」
「でもね、でもね…」
何か言おうとする昴治に強く律子は制するように見つめた。
「破ってはダメよ。」
叱るような強い言葉に昴治は眉を寄せた。
そして問い掛ける。
「やぶったらどうなるの?」
「約束よ、おねがいだから…」
「でもね…でもね、おかあさん…ボクね…祐希の事ね…」
昴治の言葉など耳に入っていないかのように、律子は言った。
ビクリとその言葉に昴治は震える。
「神の子なの!呪いを受け持つの!特別に思ってはダメ……醜く穢れる、」
「みにくくけがれ…?」
「祐希に嫌われる姿になっちゃうの…お願いよ、お願いだから…昴治っ」
母は泣いていた。
よほど辛いのだろうか。
祐希に嫌われちゃうのは…や…
「にいちゃん、あのねっ」
「消えちゃえ!」
記憶が繋がる。
けれど理由はイイワケに過ぎなかい。
甘い匂いが微かに漂っている。昴治は面を元に戻そうとした。
ピチャ…
「……」
祠の周りには所々に水溜りがあった。
薄暗い此処で、その水溜りは昴治の姿を映している。
「…俺は……」
ピチャ…ピチャ…
「…っ……」
ピチャ…ビチャッ、ズルンッ
「!?」
昴治は自分の頬に手を当てた。
ビチャッ、ズルッ…
触れた顔の皮膚がずるりと零れるかのように、地に落ちた。
ぼたり、ぼたりと顔の皮膚は落ちる。
咽喉を震わす間にも、じわじわと腐敗でもするかのように爛れていく。
醜く穢れた、まさしくそのものだ。
「あ……」
映る自分の顔に昴治は言葉をなくす。
痛みはなかった。
見てはいられないほどの醜さだ。
ピチャ…
落ちる雫に光が反射する。
「……誰だ?ソコにいるのは、」
「っ!?」
昴治は震える。
その声は今一番聞きたくなかった声だった。
考えるよりも先に昴治は持っていた面を付ける。
「兄貴か?」
にいちゃん…だいすきだよ…
面を抑えたまま、昴治は振り返った。
白い反物姿の弟が懐中電灯を持って立っている。
「祠に入るなって…言われてるだろ、それすらも忘れたのかよ!」
「……」
醜く穢れて…
「おい、兄貴!聞いてんのか!!!変な面なんかしやがって!」
祐希に嫌われる姿になっちゃうの…
呼吸が止まりそうになった。
昴治は面を手で押さえ、紐で固定する。
一歩、二歩と下がり、そのまま走り出した。
「…おい!!奥に行くんじゃねぇ!!!!」
懐中電灯を投げ捨て、駆け出した昴治を祐希は追いかける。
細い洞穴を昴治は走りぬける。
嫌われる
嫌われる
嫌われる
…裏切り者……
随分と前から憎まれ、嫌われている筈だ。
けれど、恐怖が取り巻くのだ。
にいちゃん、
昨日、夢中で手を伸ばし、抱きしめた自分に抱きついた弟。
昴治は目を瞑る。
すると一瞬、ふわりと浮遊感を感じた。
前へ進もうとすると、ガクンと地が離れていくようだった。
「わあっ!?」
自分は落ちていた。
瞑った瞳を開けた時は、もう地に尻がついている時だ。
地下ではなく、そこは地上だった。
崖の合間のようで遥か高い場所から夕陽が降り注いでいる。
そして降り注ぐ、この地は一面の赤だった。
まだ多少痛む身を叱咤するように起こし、昴治はふらりと前へ歩む。
「……」
赤は花だ。
それも見た事のない花だ。
花弁は厚く、大きな花びらは重なりカタチを造る。
葉も茎も赫系の色だ。
「っ、」
パラパラと石が落ちる音がする。
振り返ると、自分が落ちた所であろう場所に祐希が立っていた。
ふわりと飛び立つように祐希は降りる。
袖は揺れ、裾から白の脚が覗く。
羽衣を持つ天女のように音も立てずに祐希は降り立った。
「………天神様の雨入り
下へ落ちるよ 気ぃつけや…
赤く赤く嘲笑う…
赤く嘲笑えば お家に帰れぬ 気ぃつけや…気ぃつけや…」
祐希は小さく歌の歌詞を言う。
その幼い頃教えた歌が、この場所を示しているのを昴治に気づかせる。
祐希は昴治の方へ手を伸ばした。
踵を返し、昴治は走り出す。
「…鬼ごっこか?」
赤い名も知らぬ花を掻き分け、昴治は祐希から逃げようとした。
だが祐希の白い手が昴治の腕を掴み引く。
花が倒れる昴治の躯を抱きとめるように包んだ。
その上に祐希は圧し掛かり、面に手を伸ばす。
「や、やめろ!!どけよっ!!!」
面の狭い視界から祐希が見える。
「……何、面なんかしてんだよ、」
見ラレタクナイカラ
「オマエなんか見たくないからだ!」
すっと祐希の目が細まった。
伸びた手が面を縁取るように動く。
「馬鹿か?見る穴…開いてるだろ…」
「うるさい!どけよっ!!!」
「……醜い姿にでもなったか?」
歪んだ笑みを祐希は浮かべていた。
それに息を詰め、胸を締め付けられ、そして悔しさを感じる。
ぎりっと昴治は奥歯を鳴らした。
「そうだよ…そうだよ、そうだよ!悪いか!!」
混乱し、半ば自棄だった。
触れる祐希の手を払い、面の奥から相手を睨む。
「オマエに“裏切り者”だって言われてる分際で、何言ってんだって思うさ!
けどな、嬉しかったんだ…手紙が、手紙が俺だけに送ってくれたってっ」
何か情けなくなり、昴治の声は掠れる。
「アンタは…俺を特別に思ってるって事か?」
「悪かったな!!」
もがく身を押さえつけ、祐希は昴治の顔横に肘をついた。
捕われるような感覚に昴治は震える。
「……アンタだったら…俺は何だっていいぜ…」
「い、いやだっ!!!やめっ!!!」
付けた面を祐希は取り去った。
隠そうとする顔を祐希の手で包まれ、青い瞳が近づく。
柔らかい感触が唇を掠め、そしてしっとりと唇が重なった。
硬直する昴治を宥めるように頬を撫で、髪を剥くように指を絡める。
「…ん、んぅ、」
唇を割り、赤い舌が口腔を犯していく。
昴治の手が引き離すのでなく、引き寄せるかのように服を掴んだ。
ゆっくり味わう唇が透明な糸を引き離れる。
目を細め、息を乱す昴治は虚ろに弟を見た。
深い蒼に映る自分の姿は、あの皮膚は落ち、爛れた醜いモノではない。
「…っ……」
驚き瞳を開く昴治を見て、艶ある祐希の表情が笑みで歪む。
そして昴治の胸に頬を寄せ、クツクツと笑い出した。
「え…な、なんで…」
「幻覚だ、この花の匂いは幻覚作用を引き起こす。」
「幻覚…?」
そろりと昴治は自分の頬に触れる。
肌特有の弾力が手に伝わった。
「強ければ強いほど、感情の幻覚を見る…」
「じゃあ……」
胸の上にいる祐希が瞳だけ昴治に向けた。
「アンタが一昨日見た骸も、昨日、俺と叔父がやってた事は幻覚じゃないぜ。」
さわさわと風に赤い花が揺れる。
昴治は頬を寄せる祐希を見た。
「あんなので動くとは思わなかった。」
「まさかっ、」
「俺が殺した。あの強欲のヤツをな。」
笑う祐希はけれど、それは昴治に鳥肌をたたす。
「簡単なもんだぜ?簡単に死ぬ…俺が言葉を吐くだけで。
手はもがれ、脚は潰れ…ドロドロと肉の塊になる…」
「っ…ゆうき、」
「ホントは叔父もぶっ殺したいけど…躯を重ねる時のアイツは面白いからな、
どこぞの初恋相手でも想像してんだろうな。」
「祐希、」
昴治は名を呼び、相手の肩に手を触れた。
「この花の根は、どんな病魔にでも効く薬になる…医者は咽喉から手が出るほと
欲しいだろうな……当主となった俺は、ここを守るのが義務だ……」
躯を擦り付けるように移動させ、祐希は昴治を見下ろした。
困惑している昴治の表情に、祐希は目を伏せる。
「だから殺しても罪は問われない…身に降りかかる罪荷が重なるだけ。
俺の言葉は力になる、アンタが裏切り者となったのも…アンタが俺を特別に想う事も
全部俺が引き摺り込んだだけだ、」
昴治はそろりと手を伸ばし、祐希の頬を包んだ。
「…ホントだぜ?」
「俺は…ちゃんと自分の意思で此処にいる…」
「兄貴?」
「…俺は…オマエを許さない…だから、オマエも俺を許すな。」
抽象的な言葉だった。
だが祐希はくにゃりと表情を崩す。
「…にいちゃ……」
祐希を引き寄せるように抱きしめる。
掛かる躯の重さがとても心地が良かった。
抱き寄せた祐希が顔を上げる。
唇に唇が重なるのも何故か自然に思えた。
舌が歯列をなぞり、奥に引っ込む昴治の舌を捕まえるように絡める。
「ふむっ…ん…」
舌は熱くと飲みこむ相手の唾液は甘く。
視界が霞み、もがきだす昴治に祐希は唇を離した。
「……したことねぇのか?」
濡れる唇で祐希が聞く。
昴治は赤くなりながら、ふいっと目を逸らした。
「こういう事は好きな人と…するって決めてたんだよ…」
「ふぅん、」
離した唇を祐希は昴治の耳元に寄せた。
掛かる吐息に相手の躯は震える。
「じゃあ…俺はいいんだ…兄貴?」
「……」
黙ったままの昴治の耳を祐希は舐めた。
「はあっ、」
良好な反応に祐希は笑みを浮かべ、昴治の服に手を添えた。
「あ…ちょっと……ここでか?」
「ああ、」
「あの、えっと…俺は男だぞ?」
「でも俺が特別なんだろ?それに…男でもできるって、実証が此処にいるし、」
「あ……」
祐希の言葉に昴治は息を詰まらせた。
心情を知ってか、祐希は昴治の頬を包みながら覗き込む。
「兄貴を悦ばしてやる為だと思えば…無駄な経験じゃない。」
ちゅっと音を立てて啄ばむように口付けされる。
「…い…痛いか?」
「悦ばしてやるって言ってるだろ…」
白い器用そうな細い指が、昴治のシャツボタンを外していく。
じっとしているというより、硬直している昴治の鎖骨に唇を寄せた。
「つっ!」
強く吸い、赤く鬱血する。
「祐…希…」
数ヶ所鬱血させ、舌で舐め始める。
小刻みに震える肩には、一文字の傷があった。
それをなぞり、乳首を口に含む。
「っ!?」
ビクつく身体を撫でながら弱く吸った。
「あっ、」
吐息が零れる。
撫でる手で祐希は片方の胸をこねるように動かした。
「ふぅ…ん……ん、」
唇を噛み、声を出さないようしているようだった。
「血…出るぜ、」
ふるふると首を振る昴治の乳首を親指と人差し指で抓む。
それを引きながら固くなる先を舐めた。
「きゃうっ!」
子犬の鳴き声のような声をあげ、昴治は跳ねた。
手を離し、片方の手を下肢へ当てる。
何か言おうとする唇を唇で塞ぎ、ベルトを外した。
「んんー、んっんんぅ!」
恥ずかしさからであろう抵抗を昴治はする。
だがズボンを下着ごと脱がされ、直接モノに触れられると昴治の動きは弱まった。
「んぅ、んっ…ん、」
眉を寄せ、頬が赤くなっていく。
扱くようにゆっくりと祐希は手を動した。
祐希は唇を離し、頬を舐める。
「あ…っあ、や……やだ…」
「……カワイイな…兄貴、」
「なっ…かわいって……あ…」
膝を開かされ、その間に祐希は体を割り込ませる。
晒されたモノから昴治は目を逸らし顰めた。
祐希は横髪を掻き分けながら、昴治のモノを口に含む。
「やっああ!!」
幼い子のような声に笑みを浮かべながら、祐希は奉仕しはじめた。
「い、や、やあ…っう、んあ!あっ…」
否定する理性が、けれど激しい快楽に呑み込まれていく。
キモチの込められているそれに背け続ける事は昴治にはできないだろう。
膝を閉じようとするが、祐希の頬を太股で挟むだけだ。
引き離そうとする手は弟の黒髪に絡む。
「ふあ、あっ、やっ…い、ひあ…」
横に咥え、カタチを知らしめそして深く口腔にいれる。
「ん、あ…ひっ!?」
指がお尻の穴に入れられる。
それに昴治は驚き、脚をばたつかせた。
花びらが舞い、けれど構わずにぐるりと祐希は指を動かす。
「ふぅっ!?あ、んっや、や、やあ、やっ!!」
経験のない昴治はすぐに祐希の口腔に精を吐き出した。
難なく祐希はそれを飲み、搾り取るように甘噛みをする。
「あっ、はあ!あ!」
「……ふぅ…ん…」
唇を舐め、祐希は膝立ちをする。
ぐったりとしている昴治の足を持ち上げ、膝が胸につくくらいに曲げさせた。
着物の裾から己のモノを引き出し、穴に当てる。
「っ、」
「すごいだろ?中に入れるんだぜ…これから、」
「……」
恐怖だろう。
昴治の躯は震えだし、覗き込む祐希を見つめた。
「……あ……ひぃっ!?」
「力…抜け、」
「うっうう……」
初めてである昴治に対し、もっと解すのが良い事を祐希は知っている。
けれど煮え滾る欲に祐希は贖えなかった。
無理に内部へ入れ、全部中へ入った時には昴治の表情は蒼白だった。
脂汗で髪が額に貼りつき、震える体を赤い花が包む。
――これは…幻覚じゃない。
祐希は花の匂いが幻覚作用があると云っていた。
触れられている今、幻覚かもしれないと少し思った。
けれど痛みは、幻覚ではなく現実なのだと昴治に教える。
「……ぐっ…う……」
「兄貴…」
「ん、ひっ…いっ…」
唇を舐め、震える瞼に祐希は口付けた。
「…いたい、いたい?」
「っ……」
昴治の脳裏に幼い弟が重なる。
昔も今も変わらない相手に苦痛で歪みながらも笑顔を向けた。
「が…我慢、が…まん…するから…だいじょうぶ…だ、」
その言葉に安堵したような表情を祐希は浮かべ、頬に頬を寄せた。
そして膝裏に手をあて、祐希は昴治を見下ろす。
「動くぜ…」
「ん…ひぎゃっ!?」
体を引き裂くかのような激痛が昴治を襲う。
ゆっくりであるが、動く度に穴から血が零れた。
「う…い…っ、ひっ、」
犯されている事を昴治は実感した。
ボロボロと涙が零れ、昴治はそれでも祐希を見る。
「……兄貴……」
唇が耳元へ寄せられ、
「…俺の言葉は強く思えば想うほど…呪詛になる…」
囁かれた。
「…ゆう…き…」
「それでも……はぁ……手紙…読んで…来てくれて嬉しかった…」
「ん、」
「縛っていいか?もう…何処もいけなくなる……」
弱い弟の囁きに、何かがいけないと知らせていた。
だがそれよりも大きな感情が無心で昴治を頷かせる。
「いい…よ、ゆうき…縛……て…、」
「……好きだ…」
「ん、う…はあっ!?」
痛みと共に、背中を突き抜けるような電撃が駆け巡った。
「ずっと…兄貴を…」
「ひう、あ、あっあ!!」
耳元から唇を離し、ゆっくりだった挿入を早くし始める。
「あ…な、に…やっ、いたいっ!!」
急な狂わそうとする快楽は昴治を混乱させているようだ。
頬を真っ赤にさせ、可愛げに歪む様を祐希は見つめる。
「ひゃあっ、あっあ、あっ…い、いたっ、いたいよっ!」
「…それだけじゃ…ないだろ?」
「う、んあっ、あっあ!!くぅ!!」
広げられた穴からは血と液が溢れる。
「むぅ、んっい、やあ、あ、ゆうき、ゆうきっ!!」
音をたてるように腰を動かし、乱れる昴治を射止める。
もう痛みより快楽の方が大きいようだ。
涙に滲む瞳は熱と情欲を帯びている。
「は、あ!あ、ああっ!あ、あんっ!んっ!」
「あ…はぁ…あ、…あにき…」
「ひゃ、あっ、あ…くうぅっ!?」
「んぅ…っ、」
大きく打ちつけ、祐希の動きが止まる。
昴治の躯は跳ね、びゅくびゅくと自分が吐き出した精により顔と上半身が汚れた。
「ん…ふあ……ぁ…」
ドクドクと内部に熱い迸りを昴治は感じる。
漏れたのは喪失の声。
瞳が虚ろになる昴治を祐希は入れたまま抱きしめた。
にいちゃん、ずっといっしょ?
うん
ずっと?
ずっとだよ…
陽はいつの間にか沈んでいた。
花の上に寝そべり、シャツの上だけ着ている昴治は少し乱れた服装の祐希に抱きしめられている。
昴治の下肢は何回の行為によりグズグズになっていた。
「…もう…帰れないな…お家に……赤く…わらってるし…」
トロンとした目つきの昴治を撫で、祐希は言った。
その言葉に昴治は首を傾げる。
「誰が…赤く?」
「咲くって書いて嘲笑うって……読むんだぜ、」
「…そっか……知らな…かった、」
祐希はクツクツと笑った。
「……にいちゃん…やっと捕まえた……」
今
それから気を失った昴治の身支度を整え、お姫さまだっこをして帰路についていた。
祐希の前に一つに影が伸びていた。
「……心配…してたですよ」
その影の持ち主は苦く笑う。
碧の瞳はイクミだった。
「今日も赤く…わらってたぜ、」
祐希の言葉にイクミは目を伏せる。
昴治はキモチ良さそうに寝息を零していた。
今宵も赤く花は嘲笑う、赤く花は咲い続ける……
(終)
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