++赤の水浸










この熱

全て

今でも突き刺さっている

染込み

拭い去れぬように









ふと、揺らいだ赤に瞳を瞬く。
飛び起きた事に、自分が寝ていた事に気づく前

「っ……」

体勢を崩し、散らかった床に落ちた。
息を詰めて、衝撃に耐える。

「――どうした?」

アコーディオンカーテンがすぐに開かれ、
開けた勢いとは違いゆっくりと覗く兄――昴治の顔。
無造作に立ち上がった弟である祐希は、その兄を睨んだ。

「大丈夫だったら、いいんだけどさ」

「……」

無視するように、祐希はベッドに戻る。

「……」

無言。
気配が、残る。
昴治は、まだ自分の領域へと戻っていない事を知らせていた。
気づかないフリを装い、祐希は瞳を閉じる。

「……そうだ、明日……明日さ、あおいに
誘われてたんだ」

独り言のように呟く声は、子気味悪く部屋に響いている。
そう、祐希は感じた。

「一緒にさ、祐希も……神社の祭に行かないかって」

「……」

「行かないか?」

普通の声。
それに、答えもしない祐希に昴治は怒る事なく

「行かない……よな。あおいには、俺から行っておく」

そう言って昴治はアコーディオンを閉めて
自分の領域へと戻った。
布の擦れる音がして、やがて静かになる。
暗闇の中、祐希は寝返りをうってアコーディオンカーテンの方を見た。
少しだけ開いた隙間から、窓からの月光か
弱い光が筋をつくる。

「……」

もう、相手に対してぶつけるモノなどない。
もう、相手へのココロは空っぽだ。

(そう……決めた)

兄がリフト艦に来た時から。
兄が、彼の友人を止めた自分を止めさせた時から。
兄が、もう一度リヴァイアスに乗ると告げ、自由にしろと離した時から。










リヴァイアスに乗艦すると決めたのは、
兄を追ってではない。
兄も、弟から逃げるワケではなかった。
肩の後遺症の所為で、二種免と言っても少々特殊なモノとなり
受ける講習が違い、同じ科でも顔を合わす事などなかった。
ブリッジに配当されている時も、祐希は通信は全てサウンドオンリーにしている為
兄の顔を合わす機会は、皆無に等しかった。
艦内整備の為、一時帰宅。
それで、久方ぶりに顔を合わす事になる。

言いたい、事は――何も、ナイ

会話は、なかった。
家には母親と兄しか、いないかように。
祐希は話さなかった。

「………」

目を覚ます。
暗闇ではなく、明るい日差しが充満する部屋の中で。
ゆっくりと体を起こし、髪を掻き上げた。
時間は、何時かと見ようとした時

トゥルルルルル、トゥルルルル――

電話の呼び出し音が下から聞こえてきた。
すぐに走る足音が聞こえて、それが誰なのか把握する。
息をついて、祐希はベッドに戻った。
そして瞳を閉じる。

早く、起きろ。
いつまで、寝てるんだよ。

そういう言葉は、もう掛けられない。
深く眠りに落ちる。
祐希を、起こす声はなく――次に起きたのは夕日が差し込む時間だった。
ゆらりと起き上がり、開きっぱなしのアコーディオンカーテンを見て
立ち上がるとドアへと向かう。
蒸し暑さと、咽喉の渇きで起きただけであって、全く空腹感は感じていなかった。
階段を一段、一段下りて祐希は滲む汗を拭う。
昔から食欲に波があって、食べる時は何処に、その量が入っているのか?
と思わせるほど食べるのだが食べない時は本当に細い。

ちゃんとした、食生活しろよ

額を押さえて、まずは洗面所へ行きタオルがあるのを確かめると
服を脱ぎ捨て風呂場に入った。
頭から冷水を被り、数分じっと冷水シャワーを浴び続ける。
体が冷えた所で、祐希は出るとタオルで体を簡単に拭いて、横にある乾燥機を開けた。
中から自分の下着と服を取って、着替える。
洗面台で顔を洗い、体を拭いたタオルを放り投げて、新しいタオルを生渇きの髪に掛けた。
頬の水気を拭いて、洗面所を後にする。
橙に染まる居間は、微かな冷気が残っているだけで誰もいなかった。

――明日さ、あおいに誘われてんだよ

「……」

母は仕事だろう。
壁にある冷房のスイッチを入れると、台所へ行く。
冷蔵庫を開けると、ヒンヤリとした冷気が体に当たった。
中からボトルの野菜ジュースを取り、蓋を開けて直接飲もうとする。

ちゃんと、コップに入れて飲めって
皆、口にするものなんだから

祐希は上を見上げて、そして溜息をついた。
シンクにあったコップを取り、水で軽く洗ってから野菜ジュースを注ぐ。
大きな音を立てて、シンクにボトルを置くとすぐにコップに口をつけて、野菜ジュースを飲み干した。
口を拭って、もう一度注いでボトルを冷蔵庫にしまい、コップを持って
居間へ行こうとした。
祐希の耳に、触れて過ぎるように

ピチャンッ

音が入り込む。
急に脳裏に揺らぎ、映る鮮やかな赤。
それに、体が硬直して

「っ」

ガシャンッ

コップを落とした。
当然ながら、床は硝子の破片と染み広がる液体。

「ああ……」

らしく、ない。
もし良きパートナーであると断言する彼女が此処にいれば、
そう言われるに違いない。
割れた破片を拾い、棚にある台布巾で床を拭くと
息を、また零した。
タオル越しに髪を掻いて、割れたコップの始末を終える。
見渡して、一番冷気の当たる居間のソファへと歩みを進めた。
乱雑に髪を拭いて、ソファに座ると横へ倒れ込む。
体が少しだけ沈み、心地よい冷たさが肌に触れた。
眠れそうだ。

眠ってしまえば、何も考えずにすむ。
自分ではない、自分を感じずにいられる。
何も、感じずにいられる。

苛立ちは、こういう暑い日には
疲労となるだけなのだから。

「………」

うとうとと、仕掛けて、ふとテーブルの上にある物に気づいた。
倒れこんだまま、祐希は手を伸ばしてソレを取ろうとする。
二度、三度、指が掠めて
手に取った物は。

「……財布?」

薄い青と白のシンプルな財布だった。
色合いと、折り畳みの財布から、持ち主は誰なのか把握する。
すぐに投げ出そうとした時だ。
一度、起きた時、電話が鳴るのを聞いた。
あおいに誘われ、慌てて家を出て行ったのだろうか。

「バッカじゃねぇの……」

ふんっと鼻を鳴らして、祐希は起き上がる。
財布を叩いて、そして瞳を顰めた。
今頃、困っているだろうか。
それとも、あおいに苦笑いを浮かべているだろうか。
関係はない。
兄が、どうなろうと。
そう祐希は確かに思っていると言うのに。
財布をズボンのポケットに入れて立ち上がった。

自分も、行こうと思っていた所だった。
たまたま、其方に用事があっただけ。


ありがとな……


浮かぶ言葉に、首を振り祐希は冷房のスイッチを消すと居間を出る。
横の鉢下にある鍵で家を閉めて、
家前の道路に出て、ゆっくりと歩く。
夕陽が影を伸ばして、ゆっくりと歩んでいた足は次第に速まり
髪をなびかせて走っていた。
夕陽が次第に沈み、橙から紫、そして紺へと変わり
夜の暗闇に星と街の灯り燈る。
その頃に人の群をなし、賑わう神社の鳥居前についた。
走り続けたのだが、そんなに息は上がっていなかった。
蒸し暑さに汗を拭って、境内に続く石段を見上げる。

(……中……見つかるわけねぇな)

人の波を避けて、祐希は石段を登った。
賑やかな声。
祭りの音。
石段を登り終えると、色鮮やかな露店が並ぶ。
時代が過ぎても、変わらない姿。
髪を掻き上げ、周りを見渡した。
歩き出す祐希だったが、

「あの、すみませ〜ん」

「一人ですか? 一緒に」

声を掛けられる。
不機嫌そうに睨みつけるが、鋭さの中、顔の造形が綺麗な為と
夜の暗がりに綺麗さが際立って効果が薄れていた。
さすがに少女を殴るワケにもいかず、無視するように歩いた。
少し早めに歩くと、何とか撒ける事ができた。
人が、増えてきている。
この中から、兄を探すなど無理な話だ。

ぴちゃん

音が響いて、祐希の足が止まる。
何の気はなしに、横を見た。
小さい子供と、数人の男女。
奥に、水の――







「……ああ……金魚か……」











小さな手を伸ばして、必死に兄の後を追う。
その手を握ってくれた手は大きく
自分の手を引いた。

「ねぇねぇ、あれ、なに?」

「きんぎょだよ」

「きんぎょさん?」

手を引いて、母親の制止の声も聞かずに
赤が群れなす水の入った入れ物。

「ほしいの?」

「うん、あかい、きんぎょさん、ほしい!」



ぴちゃんっ



跳ねる赤。
そして視界を過ぎった、それに手を伸ばして




ばしゃんっ




赤が跳ねて、全身が震えた。










遠くなった、ざわめきが戻る。
密かに手が震えているのに気づいて、祐希は舌打ちをした。
強く拳を握り、瞳を伏せる。

(別に、)

小さい頃は、素直だった
小さい頃は、今よりも、ずっと

(戻りたい、ワケじゃねぇ)

あの頃のように、なんて思ってはいない。
奥歯を噛み、少しだけ祐希は顔を歪めたが
すぐに表情が消えていった。

何も、思う事なんてナイのだから
苛立ちを感じるなど、ない

「……」

ただ、胸の奥が痛い。

ざわざわと、声が聞こえる。
強く握り締めていた手を緩めて、祐希は瞳を上げた。
此処に来る必要はなかった。
兄、一人ではないのだから
自分ではない、誰かと一緒にいるのだから

「……おーい」

声に瞳が見開く。

「あ、やっぱり……どうしたんだ?」

人波に流されながらも、近づいてきたのは
七部丈のシャツを着た

「祐希?」

兄だった。

「……」

瞳に映る姿に、祐希は瞳を瞬く。
そして表情がなかった顔に、不機嫌そうな色が宿った。

「アンタ……あおいは、」

「あおい? ああ……何か、家に親戚が来たらしくて
行けなくなったって朝、電話が」

「……」

「ほら、普段はリヴァイアスに乗ってんだからさ
こういうお祭り、中々行けないしさ。
しかも、他の惑星じゃやってないみたいだし」

地球だけらしいんだよなぁ、と
和やかに話す兄から瞳を逸らす。

「で、オマエは? 誰かと――」

昴治の話の途中。
祐希はポケットから財布を出して、相手に投げた。
急な事に、慌てて昴治は手を出し両手で何とかキャッチする。
首を傾げながら手で取った物を、そっと昴治は見た。

「あ、」

見事なまでの間抜けな声。
苦く笑って、見上げる兄に瞳だけ祐希は向けた。

「わざわざ、届けに?」

「別に、」

「そっか……とりあえず、ありがとな」

瞳を閉じて昴治から瞳を逸らす。
昴治は財布をポケットに入れながら息をついた。
其処から立ち去ろうとした祐希の視界に、
金魚すくいの店がやはり目に留まる。
それに、昴治は気づいたのだろう。

「金魚、欲しいのか?」

聞いてきた。







ほしいの?









「欲しい」

囁くような、声は零れるように出た。
自分が言った言葉に、遅れて気づいて祐希は口元を押さえる。
顔を昴治に向けると、目を丸くしていた。
何か言おうとする前に、唇だけ昴治は笑む。

「……今のは、」

違うと、言おうとする。

「よ〜し! 待ってろよ!」

左手をぶんぶん回して、金魚すくいの店前へと昴治が歩みを進めた。
静止の言葉も浮かばず、祐希は顔を顰める。
渋々と言った感じで、兄の斜め後ろに立った。
座り込んで、既に買った金魚すくいと漆器の碗を持っている。

「………」

ぴちゃん

赤い群れ。
鮮やかな色の、それに紙の張られた掬いを入れる。
あの、揺らぎ。
視界に残った、赤の揺らぎはコレなのだろうか。

少しだけ、頭に過ぎる揺らぎとは違う。

「あ……」

間の抜けた声。
当然と言うべきか、予想していたと言うべきか。
金魚すくいに穴を開けた。

「下手くそ」

簡単に、相手を貶す言葉は吐かれる。
むっとした顔をして振り返った昴治に、祐希は止めの言葉を云おうとした。

「もう一回、お願いします」

そう言って、昴治は金魚すくいを買っていた。

「見てろよ」

「……」

意気込みを無言で返す。
昴治は赤い群れを睨みつけて、狙いを定めて

ぱしゃんっ

赤が跳ねる。
だが、勢いよく紙は破れて漆器の碗は空のままだ。
兄は不器用だ。
周りの良い笑い者だろう。

「不器用」

「うっさいな、」

祐希は移動して屈み込んだ。
頬にかかる髪をそのままに、穴の開いた金魚すくいを指差す。

「此処に強く水の抵抗が掛かると
破れるくらい、解らねぇのかよ」

「……知ってるに決まってるだろ。あ、おじさん。もう一回」

買った金魚すくいを、祐希は取ろうとする。

「俺が、する」

「アンタじゃ、無理だ」

「そんなの、解らないだろ?」

金魚すくいを握り締めて、祐希から顔を逸らす。
俯く青が小さく強く揺らいだ。

「祐希がしたら……それじゃあ、意味ないだろ」

呟く声は、祐希の耳に届いたが
意味は把握できなかった。












人の波が途絶えはしない。
賑やかな、境内から外れた脇道に一休みするように
昴治はボトルの水を一口飲んだ。
少し離れた横にいる祐希の手には、ビニール袋に水が入り
悠々と赤、尾を引く金魚が一匹。

「……祐希?」

ボトルから口を離し、昴治は瞳を瞬かせた。
金魚を見ながら、溜息をつく。
呆れに近い、そのワケは。

「3400円の金魚……」

笑い者と言うより、人盛りを作ってまで昴治は金魚すくいに没頭する。
あまりの下手さに店のおじさんが一匹くらい、と言うくらいまで
やる事34回。
もはや、まぐれに近い形で取れた金魚は一匹。

「感謝しろよ、呆れてないで」

「……」

あの下手さは、ある意味才能かもしれない。
祐希は息をついて、金魚から瞳を逸らした。

「オマエが欲しいって、云ったんだから」

ボトルの蓋を閉めて、昴治は一歩前へ出る。

「もう帰るんだけど、オマエも帰るだろ?」

返事をせずに祐希は歩き出そうとした。
ちょうど自分の前を横切るように小さな子供たちが横切る。
だが一人、自分の足にぶつかりそうになる。
祐希はソレを避けようとして、体勢を崩した。

ばしゃんっ

水の音が響いて。















「うわあああああんっ!!!」

次に響くのは、記憶の中の泣き声。
内なる、自らを震えさすモノが其処にある。

幼い自分。
足下、

土の上、染み込む水は黒く広がり

跳ねる、赤

ぴちゃんっ

跳ねる、赤、赤、赤、赤

「どうした……あ……」

自分と同じ、幼い兄の声。
誰かにぶつかり、転んだ祐希は

金魚を大地へ落とした。














「……」

同じく、土に跳ねる赤は記憶の中と一寸も違わない。
泣く事はなかったが、成す術もなく立ち尽くしているのは
昔と変わりはしない。



――オマエが、正しいって思うなら……



赤に塗れる、白い兄を
ただ見ていただけの、あの時と同じ。

「コラ! そんなに走ったら――」

駆けて行った子供等は止まりもしなかった。
昴治が注意しようにも、当人がいないのなら意味がない。

「……あ……」

零れる、兄の声に祐希は表情をなくす。
水を散らして、金魚が水のない地に跳ねていた。

「……」

立ち尽くしている。
何もせず、何もする事がなくて。


無駄なのだ
自分は、何もできは、しない







泣きじゃくる、幼い弟を前に
あの頃の、幼い兄は何をしただろうか。


「泣くなって、ほら……」


金魚を手で包み込んで
近くにあった池へ


「これで、だいじょうぶだよ」












「……これで、大丈夫だな」


屈み込んだ昴治は跳ねている赤を、気兼ねなく手で包んで
先程まで飲んでいた水のボトルにいれていた。


蓋を閉めて、そのボトルを昴治は差し出す。

「祐希?」

自分より、能力や体は下だと言うのに
彼は何故、前を歩いていくのか。
ボトルの中を泳ぐ、赤の金魚。
命は、なくなる事なく繋ぎとめられて。

昔と、同じままに。




















一言も祐希は喋らず、家に着く。
鍵を開けて中に入り、昴治は電気を点けた。

「あつっ……家の中の方が暑いな、外より」

祐希は答えずに、玄関に上がった。
答えなかった事に相手は顔色を変えず、そのまま居間の方へ行く。
祐希も居間へ行き、テーブルに水ボトルを置いた。
中には、赤い金魚が悠々と泳いでいる。

「夕飯、食べるか?」

冷房のスイッチを入れながら、昴治が聞いてきた。

「……」

答えずに祐希は洗面所へ行く。
風呂場の扉をあけて、中にある小さな洗面器を一つ取る。
居間へ戻り、洗面器に水を入れて
カーテンを閉めていた昴治が、此方を見ている中で
ボトルの中の金魚を洗面器にあけた。

尚も、綺麗な赤を広げる。

「金魚、リヴァイアスで飼うのか?」

「……」

答えない。
それに、溜息をつかれるのを金魚を見ていた祐希の耳に入る。
瞳を上げた時には、既に昴治は横にいた。

「云わないと、さすがに解らない」

「……」

「何か、あったのか?」

悲しそうでも、怒ったような顔でもない。
強い煌きを持つ瞳を向ける、真摯な顔がそこにあった。
自分から、逃げた、あの時の兄ではない。



離れていく、兄の顔だ。




もう、相手へのココロは空っぽなハズなのに。
もう、何も感じはしないと決めていたのに。

舞い戻った赤が
揺るがす記憶の赤が

胸を痛めさせた。
とても、苦しく、息を止めんばかりにだ。
祐希は瞳を顰めて、昴治を睨む。

「アンタに、」

怯えのない瞳が

「アンタに、言う言葉なんか
何、一つない」

自分を貫く。

「今、話してるだろ」

「うるせぇ!!!!」

声が響くと、場が静かになる。
空気が落ちたようだった。
冷房の冷気が肌に触れる。

「……困ったな……もっと、話すべきだと思ったんだ」

答えない。
答える事を、祐希は拒む。
言えば、きっと

(傷つけるんだろ? 俺が、アンタを)

残っているのならば、傷つける言葉しかない。

「話、したい事……これでも、たくさんあったのに」

向けた瞳に映る顔は、やはり強い意志の篭ったもの。
あのリフト艦に来た時と同じ。
決心と覚悟と共に。

「オマエは、話したくないのか」

自嘲気に昴治が笑った。

「なら、仕方ないな」

離れる気配。
祐希は表情をなくし、瞳を昴治から逸らそうとした。

「ごめん」

一言、言われる。
何に対しての謝罪なのか解らない。
祐希が瞳を顰めようとする前、昴治の手が伸びた。
手は肩に触れて

「……っ……」

視界に、兄の顔が広がる。
息が触れるほど、唇が近づいた。
唇は触れず、硬直する弟の頬へ昴治は頬を寄せる。
やわらかい感触と、温かさ。
包み込む、優しいソレは胸の中を突き刺した。

「……」

体を離した昴治は笑っていた。
その笑顔は、尚も祐希を揺るがす。
明滅する赤と共に。
怒りに、憎悪に満ちた顔の方が、マシだった。
だから、こそ思わされた。



これが、最後。



兄と、自分の切れそうにも繋がっていた糸が途絶える。
瞬いて、昴治は祐希に背を向け歩き出した。

「……」

赤。

「……あ……」

ただ、立ち尽くして

「……っ……」

幼い頃の自分は
今なら、何をするだろうか。

「っ……兄貴っ……」

咽喉が何度か渇いた音を立てて
音が紡がれる。
叫んだ音は、少し咽喉を痛めた。
振り返る気配がない、兄へ祐希は手を伸ばす。




容易に、その手は捕まえられた





バタンッ

倒れ込んだ音だ。
力任せに引き寄せた腕は、昴治を振り向かせたが
同時に体まで引き寄せてしまった。
思いの他、軽い。
体勢を崩して、倒れ込む。
視界に、兄の右肩が入って祐希は何とか抱え込んだ。

「……」

背中を強く打った。
一瞬だけ、息ができなくなり祐希は顔を歪める。

「おい、大丈夫か!!」

焦った声が自分の上からする。

「危ないだろ」

「……アンタが……兄貴が、」

「話したくないって、言ったのはオマエだろ?
引き止めてどうするんだよ。
俺、話したいからさ、顔あわせてたら話しちまうだろ」

諭すような顔だった。
そんな昴治に手を伸ばす。
手をついて、体を起こしている兄を胸に抱きこんだ。

染み込む。
じわり、じわりと
染み込む、水のよう

とてつもない安堵と切なさが
此処にあった。


ぽつり、ぽつり

水の中で息を吐き、気泡を出すように
一つ、一つと言葉がココロを満たす。

空っぽだった、ハズなのに。

(……ずっと、あった)

もう、知っている。
もう、知っているのだ。
だからこそ、何も感じたくはなかった。
他の誰か、といる兄など。




にいちゃん……すき

(兄貴が……好きだ……)






「何か、言いたい事あるのか?」

胸元で、抱き込まれたまま昴治が聞いてきた。
言葉はある。
今、胸に去来しているモノこそ、そうだった。

「ない」

「……だったらさ、離してくれないか?
こう…期待させるような事を平気で――」

「期待、って何を?」

抱きしめている兄の肩が震える。
該当する言葉を見つけるが、口にできなかった。

「知らない。知ってても、絶対言わない」

声は擦れている。
響きは強く、意志は確かだ。
体を起こしながら、身を反転させる。
色素の薄い髪が床に広がった。
顔を寄せて、揺らぐ青を見つめながら
頬に頬を寄せた。
息遣いが、耳に触れる。
ゆっくりと、顔を上げると少し驚いたような顔をする兄がいた。
引き寄せられる、ように。
祐希は再び、顔を近づけて

「……」

触れた。

「………」

唇を離すと、其処には、くしゃりと笑う昴治がいる。

「相変わらず、」

それは、何処か片隅に残っている。
一度しか、本当に見ていない。

「ズルイよな、オマエ……これじゃあ、」

泣き出す前の顔。

「俺、何も話せないじゃないか
たくさんあるって、言っただろ……」

両手で頬を包まれて、引き寄せられる。
昴治の唇が触れる。
やわらかく、少し冷たい唇の感触が、じわりと自分の唇に広がった。
唇を離し、伺うように見上げられる。
それを見つめ返すと、唇がまた触れられ、そして割いた。

「……っ…」

受け入れて、口腔に入り込んだ舌を舌で絡めた。
接触に、体が震える。

熱が、溢れる。
冷気で冷えてきている部屋にも、かかわらずに。

「はぁ……」

糸を垂らしながら、唇が離れる。
少し苦しそうに息をする昴治の体を抱きしめた。

「……っ……」

唇を寄せて、舌を口腔にいれる。
絡み返してくる舌に、頭が沸騰しそうだった。
祐希は唇を離して、兄の顔横に腕をついて見下ろす。
何もかも、知っているような顔だった。
赤みのさす頬に唇を寄せて、

「っ……ちょ…ちょっと、」

襟元を掴んで、力任せに前を開かせた。
当然だが、胸に膨らみはない。

「此処は、」

男で、しかも、あれほど憎んでいた兄。
だが、そんな事どうでもよかった。
熱が、赤が、染み込む水が

止まらない

「…っ…少し、待てよっ……、んぅ」

荒々しく、唇を寄せた。
顔を左右に振り、トントンと軽く祐希の胸を叩く。

「……こんな、明るいとこで……っ……ふあっ」

脇腹に触れると、瞳を閉じて身を縮こませた。
記憶の中で、昴治が脇腹が弱い事を思い出されて触れてみたのだ。
記憶と、目の前の兄が一致する。
そんな兄を見て、眩暈を覚える。
こんなに、熱く、強く、奪われるように、感じた事はあっただろうか。

「……ん……んん」

止まらなかった。
悲鳴を上げられても、止まらなかった。
言葉の代わりに、溢れているように。


兄は、けれど拒否を一度もしなかった


凌駕しているのは自分だと言うのに
凌駕されているような感覚を覚えさせた。












「あおいの……事は、全部、俺に任して欲しい……」

微笑んで言う、兄に祐希は瞬く。
瞳は逃げる、モノではなく前へ進む為のモノ。

「大丈夫、だからさ」

握る手、冷たくもあたたかい。

















ばしゃんっ









赤が跳ねる。
もう、恐くはない?
もう、恐くない















ゆっくりと瞳を開けた。
体が、やけに重い。
枕に顔を埋めようとした祐希の頭に、

「いい加減、起きろよ」

自分を制するような声が掛かり、枕で叩かれる。
呻いて、叩いた本人を睨み付けた。

「……何時だと思ってんだ? 昼だぞ、昼。
しかもさ、何でオマエの方が遅いんだよ」

怒っている『兄』の顔した昴治がいた。
祐希は起き上がって、髪を掻き上げる。
溜息をついて、昴治は祐希のベッドに腰を下ろした。

「目、覚めたか?」

「……」

「そうそう、金魚さ……リヴァイアスに持っていくだろ?」

「3400円もするからな」

「……嫌味かよ」

そう言って、睨みつけるように昴治が顔を向けたが
すぐにクスクスと笑い出す。
普通に接する相手に、呆気に取られた。

「それなら、無駄にならなかったな」

ちょっと待てろ、と言い残して部屋を出て行った。
普通だ。
思いの他に。

(なかった事にしてやがんのか?)

有り得なくない話だ。
口元に手をやり、考え込む。
その時、ちょうど昴治が部屋へ戻ってきた。
紙袋を抱えて、またベッドに座る。

「……」

「ほら、」

そう言って紙袋を渡された。

「?」

「おめでとう、」

「???」

笑って、昴治は机の上にあるカレンダーを指差した。

「誕生日だろ、オマエの」

日付、8月27日。
ぼんやりと考えて、思い出された。

「だから、プレゼント」

頭の回転と思考が、寝起きの所為でずれているのだろうか。

「……昨日、貰った」

言葉が零れた。
事後報告みたいな、何か感情を込めたモノではなかった。
だが、それまで普通に平然としていた昴治の顔が真っ赤になる。

「バカ、あれは、プレゼントって言わないだろ!
つーか、その、最後まで、してないし……って、そうじゃなくて」

申し訳なさそうに眉を寄せたかと思うと、怒った顔をして
紙袋を抱えたまま顔を近づけてきた。
認識が珍しく遅れている祐希は、近づいてくる顔を見上げる。
頬に頬が触れて、

「……ごめんな?」

「――何を」

謝っているのか、と聞きかけて、やっと思い当たった。
祐希は手を伸ばし、昴治を抱え込む。
逃げる事なく、安心したような表情になった。

「……言ってない、何も」

「ああ……でも、それでいい。
俺だけ、解ればいいんだ――それより、話、聞いてくれるんだろ?」

頭を胸に預けて、抱える祐希を昴治は見上げる。

「覚悟しろよ? 俺って、お喋りだからな」















ざわめく駅ターミナル。
ゆっくりと電車に乗り込む昴治の背を押したのは、

「うわっ……」

「間に合った、おっはよ」

駆け込み乗車したあおいだった。
肩に小さなカバンを背負った彼女は、伏せた目で睨む昴治の肩を叩く。
そして前、既に席についている弟の姿を見つけた。

「あ、祐希!」

昴治を過ぎて、座っている祐希の前へ立つ。
カバンを横に、腕には紙袋を抱えた祐希を見て、
遅れて来た昴治を見上げた。

「……ホントに、実行したんだ」

あおいの言葉に、祐希は瞳を顰めた。

「バカ! 言うなよ!!!」

「あ、気づかなかったの? 嘘〜、私てっきり――」

「おい、」

瞳を顰めたまま、問いかける祐希にあおいは口を開こうとした。

「言うなよ、絶対に、言うなよ、絶対に!!」

顔を少し真っ赤にしながら、昴治がそれを阻止する。
そんな兄を訝しげに見上げた。

「それより、その紙袋の中味って何??」

話を転換させるように、あおいは言って
了承なく覗き込んだ。
中には、水のボトルに入った赤の金魚と
金魚鉢と書かれた箱と餌が入っている。

「金魚飼うの?」

安堵している昴治を横目に、祐希は息をついた。

「3400円のな、」

「3400円もするの? その金魚」

「兄貴が、」

「わーーーーっ!!! 言うな! 言うなよ!!」

怒鳴り、周りの人の目に気づき
眉を顰めながら二人を睨んだ。
そんな兄を見て、クツリと祐希は笑った。











一応、検査が入り
金魚を持ち込み許可が下りて搭乗口に祐希と昴治は立った。
映像に映し出されたリヴァイアス艦は、変わらずの姿である。

「何か、言うかと思った」

フラアテ科の生徒と先にあおいは乗船し、
兄弟だけとなると、そう囁いた。
宇宙が、目の前にあって薄暗い。
色々な意味が込められた言葉に、祐希は紙袋を抱え直して瞳を伏せた。

「兄貴が、全部任せろって言っただろ」

突き放すような、そんな声に
兄は笑い声を零す。
祐希は抱えている紙袋の中を見た。
金魚が、赤を瞳に映させる。

「……財布、忘れないようにしろよ」

言葉に、笑ったようだった。
思えば、財布を兄が忘れなければ、『今』はなかっただろう。

「あれは……ワザと忘れた」

顔を上げる。
合った瞳は、微笑み細められていた。

「て、言ったらどうする?」











赤が、跳ねる。

拭い去れぬように、突き刺さるのは

水のように、染み入る熱








言葉は、交わしてなどいない








ただ、一つ言えるのは











「捕まった」

「……ああ、捕まえた…」















赤い、金魚のように















〜おまけ〜



通路を歩いていた昴治に、

「昴治ぃ!昴治ぃ!昴治く〜〜〜〜ん!!!!!!」

大声を上げて近づいてきたのは彼の親友。
駆け寄った彼を見上げると、息をついて昴治の肩を掴んだ。

「さ、さ、魚って! 鉢飢えで飼えるんですか!!!!」

「へ?」

「いやさ、祐希がさ、金魚鉢って!!
魚って、植物みたいに育てるんすか!!!!
だから、3400円なんすか!!!!!」

「………」

イクミはマジで聞いていた。







(終)
祐希×昴治がやはり、主軸となりつつあるみたいですね。
すぶた的にはイクミ×祐希×昴治…げふげふ。

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