**空と海が溶ける場所
ああ、交わるコトはないのだろう。
艦内は静まり返っている。
時間は深夜の2時過ぎ――一応ある就寝時間は当に過ぎていた。
節電の為に消された通路の奥、昼間などは人が多い擬似映像の映る展望室に
人影が見える。
薄暗い中、その影の持ち主が付けたのだろう擬似映像だけが灯りになっていた。
ベンチに寝っころがり、青い瞳を擬似映像に向けている。
「……」
黒髪が目にかかり、覗く耳にはヘッドフォンがされていた。
ズボンのポケットに手を入れ、MDプレイヤーを出す。
トラック戻しのボタンを押し、また同じ音を流す。
「……」
口が微かに開き、その音色をカタチどる。
見回りが来るまで後10分少々、それまで此処は祐希のモノだった。
ガヤガヤとした食堂の一角。
昴治とイクミが一緒に昼食を食べているのは、ほぼ日課であった。
偶にカレンやあおいやこずえが加わる場合もある。
今日はその『偶に』の日で、カレンが加わっていた。
カレンにも友人はいるが、リフト艦で作業している為――それが一緒に食べる理由の一つかもしれない。
「あ、そう云えば知ってます?」
前と同じとは言えないが、近い所まで回復したイクミが昴治に言った。
昴治は口に運びかけた小魚のから揚げを皿に戻す。
「主語言えよ、」
「うえ?ああ、悪い、悪いー。いやー昴治なら解ってくれるかにゃーと思って。」
「解るかよ。」
「そうね、それは言えてる。」
「二人ともヒドイです!」
と泣きマネをするイクミを昴治とカレンは軽く返している。
「で、何なんだ?」
止まっていた話題を促すように昴治が聞いた。
忘れていたかのようにイクミは頷いて、話し出す。
「幽霊のウ・ワ・サ。」
「ああ、知ってる。夜中の1時から3時の間に出没するって云う…」
「なんだ、それ?」
カレンは知っているが、昴治は知らないようだ。
得意気にイクミは説明しだす。
「消灯された廊下に零れる謎の光。伸びる大きな影。
その正体は何ぞやってヤツですよー。」
「乗ってる誰かじゃないのか?」
「いやーそれがさー、見たってヤツがその場に行ってみるとー
真っ暗になって、誰もいないんだってさ。」
「ベターな展開ね。」
「だな、」
恐がったりしない少し冷めた返しにイクミは眉を寄せる。
「あのー幽霊って信じないタイプっすか?」
「私は信じてるけど、恐がらないタイプかなぁ…お兄さんは?」
ご飯を一口食べ、視線を上に仰ぐ。
そしてイクミとカレンを見てキッパリと言った。
「信じてない。」
「…そうでないかなーとちょっと思ってたよ。」
イクミの返しにぶすっとした表情をする。
要は拗ねた表情だ。
「悪いのかよ、」
「全然、これっぽっちもそんな事は…ね、カレンさん。」
「人の考え方とか価値観は違うモノだし。」
スープを飲んでカレンが云うと、昴治は軽く溜息をついた。
「イクミは信じてるのか?」
「うーーん…少し信じてて少し信じてないという微妙な感じ?」
「何だそれ?」
えへへと笑うイクミに昴治は呆れたような表情を向ける。
それにまた嬉しそうに笑うものだから、苦く昴治は笑った。
リフト艦への続く道をイクミとカレンが一緒に歩く。
「そう云えば、弟君どうしたんすか?気になってたんですケド。」
「ソリッド組むって云うから、」
「にゃるほどねぇ、邪魔しちゃ悪いって感じ?」
「まぁ…そんなところかなぁ。健気でしょ。」
笑いながら、通路の先を見た。
「例の幽霊の噂、祐希クンは知ってますかねぇ。」
指を顎に当て、カレンは上を仰いだ。
そしてイクミを見ると肩をひょいっと上げる。
「多分、知らないと思うけど。」
「じゃあ話してみよー。」
「苦手そうだもんね、そういう話。」
「そう思うっしょー。えへへ、楽しみv」
ルンルン気分でリフト艦へ入っていくイクミの後を、息を零し
けれど同じく軽い足取りでカレンも中へ入っていった。
まだ午後の作業開始時間より少し早い所為か、ラリィやチックはいなかった。
ただカチカチとキーを打つ音が響いている。
「ご苦労様ですー祐希くーーん。」
キレイに無視をされるイクミだが、怒る事なくトコトコと近づく。
「やっぱ人間生きるに当たって、大事なのは程々に働き
程々にエンジョイ、すなわち息抜きだと思うんよ。」
「…何が言いてぇんだよ、」
にーっこりと笑うイクミに、カレンは少し関心したりする。
不機嫌そうな祐希だが、話に興味を抱いているのは解った。
そんな事を思うカレンも結構そう云う所が上手だったりするが。
「幽霊のウワサ、知ってます?」
「くだらねぇウワサなんか知らねぇ。」
隣りオペレーター席の境になる横の所に腕を置き、祐希を覗くように見下ろす。
「まぁまぁ、暇つぶしの話として聞いてくださいなー。
でね、深夜の1時から3時の間に出没する幽霊さんの話なんですけど。」
「……」
「消灯された廊下に零れる謎の光ぃー。大きい影が伸びるーと。」
聞き流すようにしていた祐希だったが、その言葉にピタリと指を止める。
それにイクミが気づかない筈もなく、
「どーしましたぁ?」
「……別に、」
平然という祐希だが、動揺が少し見られた。
「別にって感じじゃないけど?」
カレンが云うと、益々動揺しはじめている。
「あっれーー、もしかしてぇ、怖いんですかぁ?」
「うっせー、くだらねぇ事言ってんじゃねぇよ!!!」
「図星?図星?」
射抜くように睨むのだが、イクミや楽しそうに見ているカレンには効果なしだった。
幽霊とか信じないタイプ?
昴治は信じていないタイプだった。
夢がないと幼馴染の子に何度も言われた記憶がある。
その記憶の中で、
おばけ…怖い……がーーって食べられちゃうから…
小さな子供が泣きながら言い、
じゃあ、兄ちゃんがやっつけてやるよ
信じていた頃の自分がそう言った。
青い瞳が瞬いて、小さな体が抱きついてくる。
うん…でも、兄ちゃんが食べられるのもヤ…
そしてまた泣き出すのだ。
止めようのない涙は頬を濡らし、自分の手を濡らして。
「……はぁ、」
何を思い出しているのだろうと思う。
記憶の中の小さな子供は今はもういない。
過去は消えないとしても、此処には存在していない。あるのは壊れてしまった一つの――
――何考えてんだか……
存在していないと云う認識は酷い言い方だ。
いま在る者を否定している。
――つーか、幽霊か…
ウワサが立つというのは、何らかの原因があっての事だ。
深夜近くに誰かがふらついているのだろうか。
考えに耽っていた昴治は、前を見ていなかった。
ちょうど角を曲がった時、予想通りに人にぶつかる。
「わっ!?」
ぶつかった相手は転ばず、代わりに昴治と共にバラバラと音を発て物が落ちる。
「悪い、ぼーっとしてて……」
上げた視線の先には、記憶の中では泣いていた子が立っている。
今の彼には記憶を彷彿させるような雰囲気は持ってなどいなかったけれど。
「……」
何も言わないが、見下すような瞳は何が言いたいのかよく解る。
「……」
だが何の反応ない弟に兄は何も返す事ができない。
目を逸らすように下に落ちた物を見た。落ちた物は映像チップだった。
散らばった物を腰を上げて拾い始める。
祐希もゆっくりと屈み、落ちた物を拾い始めた。
――よりによって…祐希に……
拾った映像チップの題が目に止まる。
『DIVE SEA』
そんな映画があっただろうか、と考えを巡らしてしまう。
恋愛モノは好みではなかったハズで、サスペンスも嫌いだったハズだ。
前者はくだらない、後者はすぐに犯人が解る――それが理由だ。
後残るのはホラー系とアクション系だ。
けれどホラー系ではないハズだ。
――アクション映画で、そんな題名あったか?
時間はないものの、映画を見るのは好きであった。
しかもそれが知らないアクションものだったら、興味は注がれる。
少しの嫉妬を感じてしまう程のセンスを持つ弟の選ぶ映画は良い物だと豪語していい。
「……返せよ、」
「あ…ああ、」
不機嫌な声に思考から戻り、目の前の人物にチップを渡す。
見れば、持たれている透明なケースには
『Sky Sea』、『Sea Deep』、『SEA
Fish』などの題名が書かれたチップが入っていた。
――海の映像???
考え込んでいる昴治を睨むように祐希は見ていた。
「…あ、あのさ…」
「……」
思えば、喧嘩はしなくなったものの仲直りをしたワケではない。
しかもアノ頃より間に隔たりを感じる。
普通に話し掛けようとした自分に昴治は目を伏せた。
何をしているのだろうという嫌悪と戸惑いが胸に広がる。
「……」
コツコツコツ…
急に歩き出す音がし、俯いていた顔を上げる。
祐希は前におらず、横を通り過ぎていた。
「…――っ」
声は咽喉を鳴らすが音にはならなかった。
何を言い、何を伝えたかったのか。
去って行く弟を見ながら、昴治は奥歯を鳴らした。
深夜近くになって、祐希はゆっくりと目を覚ます。
時間は1時過ぎ。
寝巻き代わりの下着の上からシャツとズボンを履いた。
机の上にあるMDプレイヤーとIDカードと映像チップ。
それを持てば準備完了だ。
部屋のロックを確かめ、暗い廊下を歩き出した。
「……」
多少のイザコザはあるものの、ケンカは前よりは少ない。
持っている映像チップを眺めて、上を仰いだ。
あの現実主義の兄は何を言おうとしていたのだろうか。
戒める表情の中、微かに揺れていた瞳。
消えたハズの熱はまだ内部に残っていて、祐希を揺さぶっている。
もう彼など見ない。
見ても、心揺さぶられやしない。
と決めていたのに――やはり無意味な足掻きだった。
そう消えたりしない。
だからこんな夜遅くに態々、此処まで来るのだろう。
軽く舌打ちをしながら、祐希は薄暗い展望室の壁に触れた。
トントンと叩くと小窓が開き、操作用のキーパネルが出てくる。
キー入力をし、IDカードを通せば擬似映像の所だけ電源が入った。
映像チップをゆっくりと入れると映像が映し出される。
ベンチに座り、MDプレイヤーのヘッドフォンを付けて、ゆっくりと見始めた。
様々な蒼の揺らめきに宝石のような魚が泳ぐ。
「………」
幽霊のウワサをふと祐希は思い出した。
深夜の1時から3時の間、謎の光、伸びる影。
正しくその原因は自分だ。
コテンと横になり、思考を巡らす。
その幽霊騒ぎの原因を作っているという事実が、何だか笑えた。
この感覚は昔感じたものだ。
「……っ…」
耳に流れる曲を微かに口ずさむ。
映る映像は光の注ぐ深海から、光煌く海面へ飛び出た。
揺れる波の間に空が映り、画面は上を仰ぐ。
カタッ
物音がしたのに、祐希はゆっくりと起き上がった。
画面を消し、映像チップを取り出す。
少し笑みを零し、急ぐ事なくその場を去って行った。
賑やかな昼食。
「――でねー、ものすっごく疲れたんですよー。」
「あーそうなんだ。」
「ふーん、」
今日はあおいも加わっての食事だった。
昴治とあおいの何とも冷たい返しに、イクミはうるるんとする。
「ヒドイ!慰めの言葉とかないんですかぁ!」
「大変だったな、」
「お疲れさまー。」
相変わらずの二人の返しに、眉を寄せた。
少し拗ねているようなイクミに、おかずをフォークに刺しながら昴治は軽い笑みを向ける。
それだけで機嫌を直したのか、イクミはニコニコとした表情になった。
「でも確かに最近、作業の能率が遅くなってるよね…」
「え?そうなの??」
カレンの言葉にすぐ心配するような声を掛けたあおいにイクミはじーと見る。
「なに?尾瀬、」
「いーえ、なんでもないですけどーー…あからさま過ぎだなぁーと。」
「気にするなよ、ハゲるぞ。」
「わっ、昴治クンから言われるとは!!!なんか不覚ぅ。」
「どーゆー意味だよ。」
目を細める昴治にイクミは苦笑いをした。
そして話題を変えるように、話し出す。
「まぁ、処理速度が落ちましたよね…。いやー前が早過ぎる状況
だったから…ちょーどいいんでしょうかねぇ、他の方には。」
「私たちは無理矢理慣らされた感じだケド…。」
イクミとカレンは会話の意図があったらしい。
意気投合でもしているかのような二人に昴治とあおいは首を傾げた。
「どういう事?」
「ぶっちゃけた話、弟君が最近、不調みたいなんです。
その割には、今日みたいに熱心に居残りソリッド組みするんですけども。」
そうイクミは言った後、あおいから昴治に目を向ける。
微かな動きに相手も気づいたようで、だが動揺もせずに昴治は見返してきた。
「祐希が?」
「体調は悪くないんですよ。私、ちゃんと面倒見させて貰ってますから
…相変わらず、つれないんだけど。」
ふぅっと溜息をつくカレンは、もはや呆れに近いモノだった。
「それはー仕方ないっすねぇ…」
「あからさまだもんね…祐希。」
「あ、あおいさんも解ります?」
今度はイクミとカレン、そしてあおいが何かに意気投合しているのに昴治は目を顰めた。
全くと言って解らないからだ。
それと同時に『わからない』と云う事実に胸が嫌に痛む。
昔はあんなに解ったのに…
過去を惜しんでも意味はない。
捨てるつもりはないが、過去は過去で戻りはしない。
戻ってくるのはカタチを変えた未来だけだ。
――具合でも悪いのか…アイツ……寝不足とか…
ぼんやりと思索し始めた昴治に、昨日の出来事を思い出された。
落ちた映像チップをだ。
――どっか、おかしくしちゃった…とか?
思えば、海の映像らしきモノを見るヤツではない。
単調な作りの映像は嫌いなハズだった。
――よく、具合悪くなる前には予兆があるって云うし…
自分の場合、肩が痛み出す前は妙に熱っぽくなるとか――。
「ホントだってーーーー!!!!」
思考の中から、現実に戻すように高めの声が耳に入ってきた。
ニックスの声だ。
声にイクミやカレン、あおいも顔を向ける。
「尾瀬と昴治!」
「どうした?」
少し離れた所から駆け寄ってきたニックスが話し掛け、それにイクミが答えた。
「俺、俺見たんだよ!」
「えー見たといいますと…?」
「幽霊だよ!幽霊!!」
それに周りがざわめく。
「ホントに?」
少し怖がるように聞くのはあおいだけで、昴治とカレンは平然としている。
「あーー昴治!何だよ、その顔は!」
「えーっとですね、カレンさんは怖がらないタイプ、昴治クンは信じないタイプっすー。」
「昴治、まだ信じてないの?夢なーーい!」
あおいはじーっと見ながら云う。
それにむすっとした表情を昴治は向けた。
「なんだよ、悪かったな。仕方ないだろ、信じてないんだから。」
「そーゆー所が夢ないの!もっと柔らかくなりなさいよ。」
「なんだよ、それ…」
溜息をつき、幽霊の話をし始めるニックスを見た。
それに周りの人たちも集まり始め、食堂はいつもより賑やかになる。
だからなのかもしれない。
昼間の幽霊の話が耳に残り、ちょうど深夜の1時に目が覚めたのは。
昴治はゆっくりと起き上がり、パジャマ代わりのシャツを撫でる。
用意された部屋は二人で使用するものだが、人数の関係で一人で使用していた。
こういうふと起きてしまった時、同室の者がいなくて良かったと昴治は思う。
一度起きてしまうと、なかなか寝付けない体質だったからだ。
人にはあまり迷惑をかけたくはないと考える昴治には、その体質は十分に迷惑をかける要素である。
第一、この右肩が――。
「……」
右肩を撫で、昴治は上のシャツを履き替えて部屋を出た。
艦内である。
たとえ消灯してあったとしても、此処は宇宙だ。
地球とは違い、温度は一定で肩を震わす事はない。
――少し歩けば…
疲れて、眠くなるかもしれない。
そう昴治は思い、ゆっくりと歩き出した。
なるべく人気のない通路を足音を立てないように歩く。
薄暗い通路は、確かに不気味だ。
無機質な所が静けさを際立たせている。
上を仰いで、昴治はそれを気にせずに歩き続けた。
にいちゃんは…おばけ…怖い?
半泣き状態で聞いてくる幼い子供を思い出す。
胸を張り、自分はその子供に言う。
恐くないぞ。だから大丈夫だ。
――ホントは恐かったクセに…
あの頃はまだ幽霊と言うモノを信じていた。
昔だったならば、今のように薄暗い所は歩けなかったかもしれない。
けれど自分は変わった。
弟が恐がる、ボクも恐い。
弟は不安になると、泣いてしまう。
なら、泣かさない為には……
僕ニ恐イモノナンテ、ナイヨ
「……」
我ながら笑ってしまう。
何て単純的な考えなのだろうと。
どうしてあんなにも、弟が大事だったのだろうと。
今も…こんなに…
彼の存在は大きい。
心に犇く、この感情は自分にはめずらしい程のもので『叫びたい』ものに部類された。
けれど、これはカタチにはならない。
明確なカタチにはならないと、昴治は確信している。
感情はあまりにも不安定で、断定できないからだ。
「っ、」
考え込んでいた昴治の視界に、それは映った。
ぼんやりとした青白い光。
照明の電源は落ちているハズの通路に零れるその光。
――まさか…嘘だ。
断続的に点滅する光に伸びるのは大きな影。
音を立てずに、けれど早足でそれに近づく。
場所は展望室で、辿り着き一瞬にして広がった視界に昴治は息を止めた。
そこは本当に別世界だった。
「……」
画面に映し出された蒼。
それは光を乱反射させて、深く深く青を揺らめかせている。
――海だ…
薄暗いのが、尚一層に錯覚させるのを手伝っていた。
そして目の前には幽霊ではなく、見慣れた後姿がベンチの上にある。
言葉を呑み込み、けれどやはり昴治は近づきながら声を出していた。
「何やってんだよ、」
呆れの色を含んだ声は、通路に響いた。
いつもなら、すぐに不機嫌そうな顔を向けるというのに――。
――寝てるのか?
「おい、」
声を上げ、
「祐希っ」
名を呼ぶ。
「……」
肩がピクリと震え、顔だけがゆっくりと向けられた。
驚く事もなく、無感情な表情に少し昴治は寒気を感じる。
「何やってんだよ、こんな所で…」
叱るような色を含む。
耳にヘッドフォンをしているのに気づき、聞こえなくて当然だと納得した。
昴治の言葉に目を細め、みるみる内に表情が歪んでいく。
「祐希、わかってんのか?」
「……」
立ち上がった祐希に、昴治は殴られると思った。
けれどその予想は外れ、昴治を簡単に通り過ぎる。
壁側に行き、カチャッという音と共に映像が消えた。
まるで遮断されたかのようだった。
「…っ、」
咽喉が鳴り、言葉をなくす。
だが吐き出された音は、
「…祐希……」
自分でも笑ってしまうほどの心細げに相手を呼ぶ声。
聞こえないハズの声は弟き、ゆっくりとこちらに近づいて来た。
何を言えばいいのだろうか。
前だったら、叱る言葉が浮かんできた。
こんな所で何やってんだ。
もう夜中なんだぞ。
少しは協調性を持て。
迷惑なんだよ、いろいろと。
わかっているのか、祐希。
「…なに…聞いてんだ?」
吐き出されたのは、自分でも可笑しいと思ってしまう質問だった。
目をパチパチさせ、祐希はふいっと横を向く。
無視され、このまま去っていくのだろう。
何も言わずに。
――なんだよ…
自分だけ、こんなに――考えていると云うのに相手の反応に昴治は腹立たしさを感じる。
――なんだよ…なんなんだよ、オマエはっ
奥歯を噛み、昴治は俯く。
拳を握り、動く気配に昴治は顔を上げた。
顔を向けた弟が、ヘッドフォンを外して自分の方へ近づける。
「……祐希?」
ヘッドフォンの片方を昴治の片耳に当てた。
流れるのは、ギターと笛で奏でられる曲。
目を向ければ、祐希の視線と絡む。
「……」
「……」
絡んだまま、引き寄せられるかのように、そのまま唇が触れた。
少し触れて、離れ、また触れて、深くなる。
祐希は少し屈み、昴治は軽く背伸びをしていた。
互いにキスをしやすくする為に。
――何してんだ…?
――何してんだろ…?
唇が離れ、濡れた唇が互いのかかる息で冷える。
「っん…」
――兄貴が何で…?
「っ…ん…」
――祐希が何で…?
同じ音色を聞きながら、崩れるように床に尻をつく。
絡んで、纏わりつき、水の中にいるような息苦しさを感じながら床に背を倒された。
「…ま…待て…祐希、」
「……」
上げられた顔は、解り切っているいるという表情だった。
「違う、違うぞ…」
所在を探すような瞳は、微かに今でも残っている。
もし求めてるのなら、与えてやってもいい。
「…此処、何処だと思ってんだよ…」
伝えたい事。
伝えられなかった事。
それはやはり、カタチにはならなない。
「何言ってやがる…バカ兄貴が…」
けれど自分は兄で、相手は大事な弟には変わりはなかった。
どういう意図で兄が自分の部屋に来たのか解らない。
IDカードと映像チップを置き、振り向けば困ったように昴治は立ち尽くしていた。
祐希もそれを見て立ち尽くす。
何がしたくて、何が欲しくて、此処につれてきたのか。
――別に俺は…
言い訳じみた言葉に、祐希は目を顰める。
見れば兄の瞳と重なって、苛立ちと胸苦しさを感じた。
この兄はきっと解っていない。
――俺の事なんて
思ってなんかいやしない。
そのハズなのに、昴治は此処にいた。
青い瞳は、あの海と空を思い出させる。
海の映像を見ていたのは、兄に包まれるような気にさせたから。
夜中に起きてまで展望室を使ったのは、あそこが一番キレイに映るから。
ほんの一瞬だけ、自分だけのモノにできるから。
「祐希…」
――また逃げるか?
祐希は手を伸ばし、
――それとも…
昴治の肩を掴んで、床に押し倒す。
――あの時みたいに、笑うのか?
襟元を掴み、
――憐れむように…
服を引き裂いた。
叫ぶ事なく、昴治は祐希を見ている。
心配するような目は昔を思い出させた。
大丈夫だよ
安心させるように自分の頭を撫でる。
ボクが傍にいてあげるからさ。
離れていった。
目の前には漠然とした隔たりがある。
――俺が突き放したクセに…
何もかも気に入らずに。
何もかも壊して。
「っ!?」
何もかも奪い尽くそうと思った。
何でも受け入れる、ウソツキな兄を壊そうとした。
「ひっぎゃあああっ!!!!」
今まで聞いた事のない、昴治の悲鳴が部屋に響いた。
それに何とはなしに暗い笑みが浮かぶ。
「……くすぐったい、」
「……」
昴治はベッドに寝かされていた。
上には祐希のシャツを着せられ、下は履いていない。
正確には痛みの所為で履かせられなかった。
「服…たためよ、」
「何処の、」
「……床…」
昴治の声は掠れて、小さい。
表情は血の気がうせて、髪はぐしゃぐしゃだった。
瞳だけ向けられた床には、やぶかれた服と祐希が脱いだ服がある。
祐希は別に新しい服に着替えたので、脱ぎ捨てた服は関係ないと言わんばかりだった。
「……おい…聞いて…っつ!?」
起き上がろうとする昴治だが、痛みに顔を歪めてベッドに背を戻す。
その横に祐希は座り、昴治の躯を優しく撫でていた。
いきなり貫かれれば、こうなるのは当然の状況。
怒りが込み上げるハズが、此処に来たのは自分で、優しく触れる今の祐希に
少なからず嬉しさがこみ上げている。
「……」
目を伏せ、肌けさせられた右肩を祐希は撫ではじめる。
結構、女の子とつきあっていたのは知っていたが、きっと経験はないのだろう。
自分も当たり前にない。
だから今の状況は仕方がないと思っていた。
「キモチ…悪くないか?」
「別に、」
右肩は、友人につけられた傷でケロルド状に引き攣れている。
目を背けたくなるような傷痕は、一つだけでなく一文字の傷もあった。
それを撫でる。
「そうか……」
正直、そこを撫でられると温かみのお陰で肩の痛みは和らぎ有り難い。
「……傷…、」
「え?」
祐希は手を伸ばし、机の上をあさる。
手にとったのは、チューブの傷薬だった。
「あ…えと、肩の方の薬は……」
専用のがあると言おうとするが、祐希は軽く目を伏せる。
「違う、後ろの方だ。」
「…はあ?」
呆然とする昴治だが、すぐに把握して顔を真っ赤にさせる。
「ば…バカか、自分でっ…」
「するのか?」
かなり恥ずかしいし、情けない状況が浮かぶ。
だからと云って、弟にやらすのはどうかと昴治は考えた。
そうさせたのは、祐希なのだが。
「座薬入れて貰ってると思えばいいだろ、」
「……おい…ちょ、待…いたっ!?」
薬を塗りつけた指が穴に入れられた。
痛みに痙攣する昴治の躯を撫で、指を引き抜く。
そして薬を塗りつけ、また穴に入れる。
――恥ずかしいけど…仕方ない…
そう自分に昴治は言い聞かせた。
「……っ…う、いたあっ……っ!」
ぬちゅぬちゅと音が聞こえてくる。
膝を立てられ、間に祐希の体があって――
――何て格好……兄弟なのに…
こんな事が許されるハズがない。
だが、許しを乞うつもりも嫌悪を感じる事もなかった。
違った意味での嫌悪は感じているが。
「……っ…あっ、」
急に声が別のモノに変わり、昴治は焦る。
「…兄貴?」
「…なんでもな……ふあっ、あ……」
ピクピクと腰が震える。
少し擦り付けるように動き始める尻に、昴治は真っ赤になった。
昴治の体の密かなる変化に、祐希も気づく。
「あっ…なんだ…これ、ちょ……そ、そこ…いっ…ふああっ!?」
シーツを掴み、上着だけを着ている昴治の躯が反る。
肌けて、見える素肌は薄暗い部屋に映えた。
「…ん、ふぅ…あっ、ああっ…」
息を乱し、頬を紅潮させる。
沸々とそれに、祐希は自分が高まっていくのを感じた。
血が沸騰するような感覚は、人とケンカをする時の高揚感に似ている。
「あ…祐希…祐希?……あっ、それ、いやだ…痛いか…ら…ひあああ!!!」
反応したモノを自分で擦り、硬度を高めて昴治の内部に入れた。
最初より断然楽に入った中は熱く狭く、そして絡みついてくる。
それに眩暈と重い快楽を感じ、それだけで達きそうになってしまう。
「…い…いたい、いた…ん、あ…いやだ、へ…変だ……あう、」
先ほどの吐き出した液の残り、薬での慣らし。
そのお陰でほどこされたのだ。
「あ、あっん…い、いたっ…あ…やだ…」
昴治の腰を持ち、少し揺さぶるように動けば甘い声を上げる。
それは歌を歌っているような高さの声。
記憶の中で、普段は自分より低めの声だが歌を歌う場合高めになるのを思い出す。
「あ、あんっん、ふぅ、あぁっ!!」
左右に首を振り、声を一層大きく上げた。
部屋に響く声に祐希は思い出し、昴治の耳元に唇を近づける。
「あう…っ…」
「…あんま声上げると…隣りに聞こえる……」
「っ!?」
昴治はくわーーっとより一層に顔を真っ赤にさせた。
こんな所にもし人が来てしまったら…昴治は変に胸を痛める。
「…声、我慢できねぇのか?」
「…ん…あっ…ああ、無理…いあっ!?」
「じゃあ……」
祐希は手を伸ばし、引き裂かれた昴治の服の一部を手に取る。
それをゆっくり昴治の口に入れた。
「んんっ、」
「これで…大丈夫だな、」
「んんう、んぐ!?」
くぐもった声が響く。
背を反りかえさせ、上へ逃げようとする昴治の身を引き寄せた。
「んう!んん!!んんーーー!!!」
痛みの声と喘ぎが混じっている。
涙をボロボロ零すが、けれど祐希を嫌悪するような表情はしなかった。
口に布を入れさせ、逃げ腰の昴治を引き寄せる。
強姦にも近い状況に、ますます興奮させられた。
兄を犯しているという事実が、自分を満たしていく。
「んっ、んーんん!ん、んぅぅぅ!!」
感じている証拠のモノを祐希は掴む。
少し揺さぶりながらの抜き差しが、昴治にはキモチイイ事を知った。
「んう!ふぅう、んん!」
やんわりと手で包み、擦ってやる。
先走りが手を濡らして、そして音を立てさせた。
嫌だと言わんばかりに左右に首を振る昴治だが、手は控えめに祐希の腕を掴んでいる。
「んっ!んぐ!」
大きく内部へ突き刺し、昴治に顔を近づけた。
揺れる瞳は逸らさせれる事はない。
――海みたいだ…
――空みたいだ…
同じ血を引くのに
――どうして、こんなにも違うんだ??
――どうして、こんなにも違う?
昴治の口から布を出してやった。
唾液で濡れた布を引き出すと、
「ふぅ、あっ……」
すぐに喘ぎが零れる。
「っ……こ、声が…あっ、あ、」
「はぁ…別に…いい、」
両腕を掴み、昴治は肩口に顔を埋めた。
ぎしゅぐしゅと音をたてるソコは、次第に肌がぶつかりあうだけの音となる。
「あっあぁ、うぅ、んっ、や、ふああ!あっぁう、」
祐希の動きに遅れてベッドのスプリングが音を慣らす。
終わりが近づいているのに祐希は気づき、動きを速めた。
それに昴治も気づいた。
「あっ、あ、お、お腹がっ…あう、うっ、壊れ…壊れっ」
浮いた昴治の足が宙を掻く。
「ゆう…ゆうき、いや、やだ…あっあ!!」
これ以上、届かない奥まで突き入れてピタリと祐希は動きを止めた。
「っ、あぁっ、いたっ!…ふぅ…な、なかに出しちゃ…はあぁ、あ!」
昴治の手は祐希の腕を掴み、祐希が離れるのを嫌がっていた。
「っ…」
祐希は目を細め、一層に深まった昴治の締め付けに搾り出されるように中へ吐き出しす。
内部の当たる熱い液に、ビクビクと昴治が痙攣した。
「ぁ……あ…んぅ……」
吐息が祐希の耳を擽った。
「そう云えば、最近見なくなりましたねぇ。」
いつもながらの食堂。
今日はカレンがおらず、昴治とイクミ、そしてあおいとこずえだった。
「主語言えよ、主語。」
「あーーん、昴治なら解ってくれるかにゃーと思ったのにぃ。」
「そうだよぉ、イクミの事、解ってくれなきゃね。」
「良いコトいいますね!こずえさん!!!」
見つめあうイクミとこずえに昴治は溜息をつく。
「こずえ、尾瀬に甘すぎ。図に乗るわよ、」
「アラ、ヒドイじゃないですか!蓬仙さん!図になんて乗りませんよぉ?」
呆れたような顔をして、あおいはスープを一口飲んだ。
こずえはニコニコ笑って話を促す。
「出なくなったって何?」
「え?ああーー、えと、幽霊さん。」
「…確かにそうね……1週間前には、あんなに騒がれてたけど…」
昴治はパンをのそのそと食べる。
「昴治君がお腹壊した時くらいからだよね…」
こずえの言葉に、昴治はパンを食べる口を止めた。
じとーっとイクミとあおいに見られている。
「もしかして騒ぎの原因は昴治?」
「んなワケあるか!」
「否定する所があっやしー…」
「あのな、」
げんなりしている昴治に、イクミは苦く笑った。
「信じてない昴治は、そんな事しないっしょ。」
疑いを晴らすのに十分な言葉だったらしい。
納得するあおい達を見て、イクミを見た。
ニッコリと笑う相手に昴治は笑みを浮かべて、またのそのそとパンを食べ始める。
「尾瀬、最近は大丈夫なの?」
「ほえ?めずらしいですね、蓬仙が俺の心配なんて…」
あおいは思いっきり左右に首を振った。
「違うわよ、祐希よ。」
「左様で…。えーもうバリバリじゃないですか?揶揄い甲斐が出てきたし。」
「いつも揶揄うの?」
「結構、怒らすとカワイイっすよー。ねぇ、昴治。」
瞳を向けるイクミは試すような表情だった。
昴治は溜息をつき、
「俺に言うなよ。」
呆れたような声を吐き出した。
どうして、海なんか見てたんだ?行きたいのか?
知らない
――なんだよ…それ…理由になってない
昴治は展望室の隅に座った。
この時間帯はちょうど人が退く時間である。
ポケットからMDプレイヤーを出し、その機体を指で撫でた。
あの曲なんだ?
何となく…題名は知らない
――知らない曲を何度も…
聞いていたのかと、呆れた。
ヘッドフォンを耳に装着して、再生ボタンを押す。
大事に持っているのは、これは自分の物ではないからだった。
「……」
きっと感情はカタチにならない。
あんな行為さえしたと言うのに、口から言葉は出なかった。
だからと云って嫌悪する言葉が出たワケでもなく。
コツコツコツ…
近づいてくる足音は、振り向かずとも誰だか解っている。
「……また、聞いてんのかよ。」
ケンカ越しの言葉にむっとした表情を浮かべた。
「オマエが聞けって言っただろ、」
「兄貴が聞きたいって言ったんだぜ。」
背後にいる祐希は、座っている昴治を上から覗き込む。
顔を上げれば、祐希の髪が顔を擽った。
器用な手がヘッドフォンを外す。
「……」
見つめる瞳に、昴治は周りを確かめて目を瞑った。
軽く触れて離れる弟はほんのりと頬を染めている。
「なんだよ、」
「…場所と時間、考えろよ。」
「兄貴の所為だ。」
――そうかもしれない。
「祐希の所為だろ。」
――そうかもしれない。
たった一つの言葉を吐き出されぬまま、このまま進んでいく。
その言葉は口からは出ない。
昴治は兄で、祐希は弟で。
「くすぐったい、」
横に座った祐希は、昴治の右肩を撫でた。
「……嘘だろ、」
「…ああ、嘘だ。」
ヘッドフォンの片方を自分につけ、片方を祐希につけさせた。
人が来るまでの間、祐希は優しく昴治の肩を撫で続ける。
視線の先では、空と海は溶け合っている――此処から遠い場所で。
ああ、だから此処では交わるハズがない…
(終) |