**寄り添う果実
もしも一人だったならば
ちょうど一ヶ月は過ぎただろうか。
リヴァイアス艦内も漸く落ち着き、生徒がそれぞれのカリキュラムをこなしていく。
ただ特殊があって、前回ヴァイタルガーダーの操縦をしていた者たちとツヴァイは、その作業を
カリキュラムと平行して行う事になった。
やはり技術的に望ましく成長するであろうという認識からであろう。
「あーーうーー……」
ぐったりとコクピットに項垂れたのはイクミだった。
最初は誰だ?と思うくらい静かだった彼も“友人”によって大分回復している。
「さぼってないで、さっさとやる。」
「はあーー…この後、講習があると思うとめげちゃいますね。」
「それは私も同感だけど、」
ヴァイタルガーダーのメンテとソリッド組むという演習。
かなりの知力と体力を削るものだった。
カレンとイクミが前より会話するようになったのは、一外に黙々と作業をこなしていく
無愛想な弟クンの所為もあるだろう。
一応、祐希が最優先であるカレンはあまり邪魔をしない。
イクミは祐希を揶揄うようになったが、最近かなり絡まないと反応を示さなくなったので
いつのまにかカレンとイクミの会話が増えたのだった。
「相変わらず、真面目にやってますねぇ…」
「揶揄うのはほどほどに、また居残りになっちゃうし。」
「ごもっともで、」
ちらりと祐希を見るが、相変わらず画面から目を逸らさず黙々とやっていた。
一段落がついたのは、それから30分後だった。
背伸びをして他のオペレーターは立ち上がる。
イクミはひょいとコクピットから出て、無愛想な彼の横を覗き見た。
「今日も最高記録更新でメンテ終了ですかー?」
人の良い笑みを浮かべて云うイクミに祐希は目を細めるだけだった。
「というか、最近ケンカしてないみたいですねぇ。」
「……」
ふいっと視線を外し祐希は立ち上がった。
「そうそう、これからお食事を取ろうと思うんですけどー一緒にどう?」
首に手をやり、コクピットの横に置いてあったファイルを乱雑に持ち
コクピットから祐希は出た。
「あのー、もしもーし祐希クン?」
「…うるさい、」
一文字一文字切って言い、そして踵を返すように歩いて行く。
ちょうど横にいたカレンにイクミは目を向けると、カレンは軽く笑いそして祐希についていく。
ひょいっと肩をイクミは上げ、息をついた。
――あいかわらず…でしょうかねぇ……
イクミは講習に必要なファイルを持ち、軽く仲間たちに手を振りながらリフト艦を後にする。
本艦とリフト艦を繋ぐ通路を歩き、ちょうどブリッジと繋がる通路側に歩みを早めていた理由の者を見つけた。
向こうも気づいたようで顔を向ける。
「こーーうじーーー、おまたせーーー、」
「……そのバカっぽい言い方やめろよ、」
駆け寄った友人に気遣いのない言葉を出すのは昴治だ。
昴治も昴治で次の講習に使うだろう書類をプラスチックケースに入れて持っている。
「ひどい、ひどいですわー、昴治くん!せっかく走ってきたのにぃぃ。」
「途中までゆっくり歩いてただろ。」
「あ、ばれてました?」
笑い合って他愛もない会話をしながら、食堂に向かう。
講習が互いに違うので、わざわざ昼食を一緒に取る必要はない。
だがイクミは約束をほぼ強引にして、一緒に昼食を取るのが日常になった。
「そう云えば、ブリッジに移動の件どうした?」
「え?ああ……まぁ…どうしようかなって感じだな。他にあう人がいると思うし。」
かなりの者に自分が好かれているとは知らない昴治はそう云った。
昴治が通信係を行えば、実際の作業効率が上がるのは目に見えている。
「でも頼まれたのに断るのって珍しいっすね、」
「そうか?」
苦く笑う昴治にイクミは笑みを返した。
「そうそう、今日さ。弟クン誘ってみたんだよねぇ。」
「断っただろ。」
「うん、正解ですー。昴治くん。」
「アイツ、俺が嫌いだからな……前よりはマシになったけど。」
飄々とした態度にイクミはヒラヒラと手を振る。
「お兄ちゃん好きは治ってないと思うんですけど。」
「治ってないって病気じゃあるまいし。」
伏せ目がちに云うのは呆れている証拠だ。
イクミは昴治を見てを宙を仰ぐ。
「……病気だと思いますよ、ある意味……」
「アイツ、風邪引いてんのか?」
「いや…そういう意味でなく……」
「そっか……まぁ、いつかはちゃんと話はしようと思ってるけどな。」
前を前をと云う姿勢にイクミは眩しげな表情をした。
何を話すのだろうか。
その場に自分はいないだろうが、その内容が気になるのは内に潜む感情の所為だろう。
その溢れそうな感情は今の自分の位置を認めながらも否定し、“彼”を奪おうとする。
けれどそれに似た感情は“弟”にも向けられている。
あくまで似ているというだけで、次元の違う感情ではあるが。
「話ってお説教っすか?」
「違うって。」
昴治は苦く笑うだけだった。
とことこと健気についてくるカレンが他愛もない会話をし、時に返し時に無視をする。
それが祐希にとって日常の一部になっていた。
「で、ソリッドの一部を軽量化するんだって。」
「…へぇ、」
「新しい音楽チップ手に入れたんだよね、聞く?」
「……今度な、」
「あおいさんがお兄さんと別れたって、」
「へぇ………」
ぼんやりとしていた祐希が目を見開き、カレンをじっと見た。
そして自分の行動に気づいたのか顔を歪め、視線を逸らす。
カレンは息をつき祐希を覗き見た。
「あのさ、どっちに対して?」
「はあ?」
「……認識してないんならいいけど、」
目を顰める祐希にカレンは笑みを浮かべる。
それ以上事に触れず、また当り障りのない会話を始めた。
彼女の所以たるものだろう。
付かず離れずの態度は彼女の生き方に反映している。
相手は恋愛対象としているだろう。けれど、祐希は良きパートナーとしか見ていなかった。
時間が経ち、視野は広がったもののまだ捕われたままだ。
それは本人十分に知っていて、把握しないようにしている。
見ないようにしているのではなく、敢えて触れないようにしている。
丸くなったと言われる自分も、きっと会えば暴言を吐き罵るだろう。
あるいは居ないとみなすか。
時は優しく残酷に癒していく。
ココロの傷は塞がり、新たな傷となり痛みに叫ぶ――叫びはしないだろうが。
「相葉君?」
「……え、あ??」
ふと視線を向ければ、前にユイリィがいた。
講習が終わり、ノートを取るのに時間が掛かり居残り状態になっていた昴治に
話し掛けてきたのだ。
多分、ブリッジへ行く途中なのだろう。
「えっと…何か用?」
「あのね、前の件…やっぱりダメかしら?」
「ブリッジのオペレーターの件?」
コクコクと頷き、ユイリィはじっと昴治を見た。
「うん……他に人がいるんじゃないか?」
「え……そうなんだけどね…」
いないと言えば、昴治は断るにも断れないだろう。
けれど正直者のユイリィに嘘はつけず、言葉を濁しノートを取る昴治の手元を見た。
前髪に触れて外した視線を昴治に戻す。
「ぜひ相葉君をって推薦が多くて、」
「推薦?冗談だろ?」
「冗談じゃないわ。本当よ…多くの人が望んでいるわ。
無理強いはしたくないんだけど……あ、間違ってる。」
ユイリィは指を差し、間違っている箇所を指摘した。
「え?何処??」
「ここ…ここはこっちのプログラムが答えよ、」
「そうなんだ……間違って聞いてたみたいだな、」
ユイリィに少し教わり、ノートをとり終えた昴治はユイリィと立ち上がった。
途中まで道のりは一緒なので共に歩き出す。
クラス的に違うのだが、案外昴治とユイリィは会話があった。
趣味があうとかそう云うモノではなく、波長と云うべきか特性が似ているのだろう。
己の価値観の持ち方などほとんど同じで、長年ずっと一緒にいたかのように会話が弾んだ。
「やっぱり、そう思うんだユイリィさんも。」
「相葉君もそう思う?そうよね、情報の流通をもっと艦内だけでもした方がいいわよね。
外部に漏れる可能性があっても…それは確かに重大かもしれないけど。」
互いに人差し指を立て
「「いざという時、混乱が生じる」」
見事に声をはもらした。
軽笑し、事務的な事、他愛もない会話を続けていく。
和やかな雰囲気は周りにいる他の生徒の視線の的だった。
本人達は全くと言っていいほど気づいてはいないが。
使用可能となったエレベーターの前に立った時だ。
会話をしている最中、チンと音をたてエレベーターが開く。
昴治が視線を上げ、すぐにその中の人と目があった。
「あ…」
青い瞳とぶつかる。
向こうは睨むに近い表情をし、エレベーターに乗るのを阻止するように扉を閉めた。
「…あ……」
絶句をする昴治に呆然とするユイリィ。
案外トロイ二人は反応が鈍く、エレベーターはそのまま階を上げていった。
「……今の弟さん……?」
「ははは…俺、嫌われてるから……ごめん、」
「え?相葉君が謝る事はないわ…急いでいるワケじゃないし、待っていればまた来るし。」
「……やっぱり、オペレーターの件は断るよ。」
申し訳なさそうに云う昴治にユイリィは眉を寄せた。
そして口元に手をやり、そして呟く。
「その…弟さんが理由なのかしら、」
「……」
「あ、ごめんなさい。」
「実際そうだから、謝る必要ないよ。」
視線を外し、エレベーターの扉を昴治は見た。
「相葉君?」
チンっと音をたて、エレベータがつく。
開いた中には当たり前だが祐希はいなかった。
「さ、乗ろう。」
「え…うん、そうね。」
――あからさまに避けられるのはいい気分じゃないな…
通路を歩きながら昴治は息を吐いた。
兄弟の仲は修復したワケではない。
殴りかかり、暴言が吐かれなくなった――ただそれだけである。
だからと云って、あういう風に避けられるのは苛立つものがあった。
それに
「……」
胸を昴治は何回か擦る。
妙に痛みが走っていた。
それは何なのか、昴治は計り兼ねている。
自分の何の感情から来て、何に対しての痛みなのか。
答えはすぐに浮かびそうなのだが、すぐに霞み消えていくようだ。
一外に認識してはいけないように、心中の奥で何かが危険だと点滅している。
――何はともあれ…あれじゃ話もできないな
何か話そうとは思っている。
何かと聞かれたら困るのだが、昴治はそう思っていた。
昔のように戻りたいのだろうか。
それさえも理解せずに、ただ話さねばと思うのだ。
ならば、ブリッジのオペレーターになれば会う機会も増え話す機会が生じるだろう。
けれどそれは気が引けていた。
長年培ったこの性質は治らず、なくなったとは言え喧騒が起こるのは目に見えている。
――怖いのかもしれないな、
何ガ、何ヲ、己ハ畏レテイル?
ふるふると首を振り、昴治は俯いていたらしい顔を上げた。
すると前から教官が歩いてくる。
教官は昴治に気づき、スタスタと近づいてきた。
「相葉…昴治君だね?」
「はい、そうですが……」
「すまないが急ぎでね、これを尾瀬イクミ君に渡してくれないか?」
出されたのはデーターチップのようだった。
昴治は受け取り、返事をする。
「すまない。あと午後からスフィクスの定期検査がある。
リフト艦でのヴァイタルガーダーメンテは控えるようにと伝えておいてくれ。」
「はい。」
多分、そこまで熱心にメンテなど行わないだろうという事は咽喉で抑え、
昴治は教官の頼みを聞き入れた。
去っていく教官を見、そしてすぐにIDカードからイクミへと連絡をいれる。
何回かコールをするのだが反応がない。
――寝て…はないか…電波が届かない……って事もないだろうし。
上を仰ぎ、昴治は考えこむ。
――メンテは控えるように……って事はリフト艦にいるかもな……
そう考えると納得できる節もある。
昴治はリフト艦に向かうことにした。
案の定、イクミはリフト艦にいた。
メインオペレーターは皆、目を顰めている状態だった。
「……どうだ?尾瀬。」
ラリィがイクミに聞き、イクミは溜息をつく。
「うーーん……カレンさんはどう?」
イクミは返事を返さず、逆にカレンに聞いた。
カレンは首を振り息をつく。
視線を流し、イクミは祐希を見た。
「祐希はどうっすか?」
「……」
祐希は前髪を掻き分け、目を顰めた。
「キーの調子が悪いんじゃねぇの?」
マルコは何度が強くキーを打った。
メンテをする為、仮ソリッドを組もうとしているのだが何度もエラーするのだ。
一度や二度ならまだしも何度も続き、お手上げ状態である。
しかもブリッジへの通信もできない。
「これはお手上げっすね……」
「ブリッジにいった方がいいな。」
「めんどーだな、」
ラリィとマルコは立ち上がり、首をコキコキと鳴らしながら入り口の方へ行く。
イクミもコクピットから出て、祐希とカレンに目を向けた。
「行きましょか、」
「そうね……祐希、行こ。」
「……」
面倒だが、通信もとれない今そうするしかないだろう。
のろのろと立ち上がり歩き出す祐希にイクミが飛びつく。
「あんだよ、」
「いやーーあのね…」
耳打ちするようにイクミはボソボソと呟く。
「昴治クンがね、君が自分を嫌いなんだって思ってますよ?」
「……」
睨み、絡むイクミの手を祐希は払った。
にゃははと笑う彼に祐希は不機嫌そうな表情を向ける。
「俺的には、ホントどーでもいい事なんすけど…ね、」
「ケンカ売ってんのかよ、」
「売らない事にしてマス。」
「まぁ、まぁケンカしないしない。」
カレンが上手く仲裁する。
舌打ちをし、イクミを睨んでそして目を逸らした。
イクミは後頭部で腕を組み、飄々とリフト艦を出て行く。
「……」
「私たちも行こ、」
「……さぼる、」
「え?ええ??」
片付けを始める祐希にカレンは溜息をついた。
「…ブリッジには顔出した方がいいんじゃない?」
「先行ってろ、」
「……了解しましたーー。」
ちょんと可愛くカレンは敬礼し、リフト艦を出て行く。
すぐに祐希は持ってきたファイルなどを持ち、リフト艦を出ようとする。
すると音をたて、入り口のドアが開いた。
「イクミ、いるか?教官からデーターチップ!!」
声は間違う事はない兄のもの。
いるであろうと思った人物への言葉はリフト艦に響くだけだった。
昴治は弟の存在に気づき、目を見張ったようである。
目を伏せ、まるでそこには誰もいないかのように祐希は歩みを止めていた足を動かした。
「……」
声をかけようとした昴治は、拒否するかのように少しも目を向けない相手に
言葉を呑んだようだった。
諦めてリフト艦を出ようと昴治が動いた時である。
ゴウン、ゴウン…
不穏な音がし、扉にさしかかった昴治はキョロキョロと周りを見渡す。
祐希も見渡し、そして駆け出していた。
「バカが!!立ち止まってんじゃね……っ!!」
「あ、ええ???」
シュンッ
強制的に扉が閉まる。
それを宙を浮くような感覚に捕われながら昴治は見ていた。
気づくと背に暖かみを感じ、振り向くと祐希がいる。
何か言おうと口を開くが、相手は目を顰め扉を睨んでいた。
つられるように扉を眺め、周りを見渡すと今までついていた明かりが順々に消えていく。
「……電源が落ちた…?」
「…ちっ……アンタがノロノロしてる所為だ、」
「は?俺の所為なのか!」
続く不満を述べようとするが、腕を固く握る弟の手に気づく。
もし彼に引かれていなければ、今ごろ扉に挟まっていたかもしれない。
それも強制的だったので、どんな惨事になっていたかと考えると寒気がした。
掴んでいた手を祐希は離し、扉に触れる。
内部ロックがかかっているらしく、開く気配はなかった。
「……もしかして、また閉じ込められたってヤツか?」
「……最悪だな、」
そう一言呟き、祐希は持っているファイルに目を落とした。
溜息をつき昴治は上を仰ぐ。
前にも閉じ込められた事がある。
その時は友であるイクミがいたが、今は弟だけだ。
――…なんなんだよ……まったく…
愚痴を心内で吐くと、急に冷気が襲いぶるっと体を震わす。
祐希はIDカードで通信を試みようとしているようだが、無理なようだ。
「おい、アンタ、ネーヤとコンタクトできんだろ。」
祐希の発言に昴治は目をパチパチさせる。
自分が意のままにコンタクトができると知っている事にだ。
気にしていたのだろうか。
嬉々とした感情はけれど、自然と嫌でも耳に入ったのだろうという消極的な思考に打ち消される。
「そうだな……あ゛…」
「あ?」
すぐにネーヤに呼びかけようとするが、昴治はある事を思い出す。
スフィクスの定期検査を行うと教官が言っていたのだ。
目を顰めている祐希に昴治は苦く笑う。
「ネーヤは定期検診で……」
「……」
舌打ちをし、祐希は昴治から目を逸らした。
何とも言えない沈黙がはしり、居心地の悪さに昴治は右肩を撫でる。
――二人っきりになるとは思わなかったし……つーか…今は……
話をする絶好の機会ではないだろうか。
けれど何を話そうとしているのか解らないでいる昴治は会話を切り出せはしない。
背を向け操縦席へ向かう弟の姿をぼんやりと見た。
――そう云えば…前は寒さ凌ぐ為にコクピットに……
今はまだ肌寒いくらいだが、すぐにそれでは済まないくらいに寒くなってくる。
昴治もコクピットに向かい、先に無言で入った祐希と同じコクピット内に入った。
隅と隅によるようになり、そして沈黙が横たわる。
昴治は瞳だけ相手へ向けてみるが、見ようともしない雰囲気はまるで自分がココに存在してないかのようだ。
胸の内がざわつくようで、怒りなのか悲しみなのか判断もできずに気分が悪くなる。
視線を逸らし、寒さに震え出した手を見た。
――なんだか、どんどん寒くなってきてるような。
思えば、前は散々だったのだがこんなに寒くなかった筈だと昴治は思う。
その理由をすぐに理解できたのは祐希との間に出来ている空間に気づいたからだ。
そう、前はイクミがいた。
オマエのそういう冗談が嫌いだと言いながら、寄り添った時。
嫌悪よりもまず温かさが身に染みたのを覚えている。
いくらコクピットで寒さを凌げるとは言えど、こうも離れていれば風通しをよくしているもので
寒さが益々つのるものだ。
だからと云って、だからと云ってた。
――言えるわけない、
寄り添おうかなんて言えはしないだろう。
「……」
寒さをどう凌ごうかと悩み考えている昴治を祐希は横目で眺めた。
久しぶりに近くにいる。
つい先ほどあった時は徐に無視をした。
消えてしまえ。
消えてしまえ。
そう思えば思うほど強くなる存在にどうすればいいのか。
答えはあるけれど、それを行使していいのか計り兼ねていいた。
しかもその答えさえも明確なモノとは言えなかった。
視線の先の兄は小さく弱々しい。
苛立ちと焦燥が胸のざわめきと共に祐希を混乱させた。
いないと思えば思うほど、
ココに存在しないと想えば想うほど強く鮮明に…
「……、」
ぶるっと祐希は震える。
寒さが身を凍えさそうとしていた。
視線をやり、そしていつの間にか手を伸ばしていた。
「あ…うわっ…」
軽い体は容易に祐希の体に包まれた。
そのまま座りやすくする為にもぞもぞと祐希は動き、昴治を向かい合わせに膝の上へ座らす。
呆けている昴治に構わずそのまま胸へと抱き込んだ。
何かが胸の内に弾けてしまったようで、どうしてこんな行動をしたのか自身理解していない。
「……ゆ…うき?」
「寒い、」
一言強く云えば、昴治は黙りじっとした。
考えれば、それくらいで納得する性格ではないと祐希にも解る筈なのだがそこまで
頭が働かないほど混乱しているようである。
あやふやな感覚に包まれ、けれど温もりが互いにじわりと伝わった。
「……」
「……細いな、アンタ、」
「……」
黙ってはいるが少しむっとしたようだった。
顔が上げられ、じっと見ている。
何かを言いたげな瞳に同じく何かを問いたいと祐希は返した。
――結構…睫毛長い……
ぼんやりと祐希は思い、それに添うように唇が動いていた。
「え……、」
絶句とでも云おうか。
一瞬にして思考が止まったのは言うまでもない。
兄である自分が弟にキスされたのだ。
確かに経験はあるが、だからと云って済まされる事でもない。
それより何より――
――イヤ…じゃない?
己の内なる感情に昴治は困惑していた。
「アンタ……案外…やわらかいんだな、」
「な゛…」
ただ感想が口から出てしまったのだろう。
祐希は少し頬を赤くし、けれど誤魔化すように額に唇を落とした。
「……あおいと…別れたって本当か?」
「……何処で…」
その話を…と言う言葉を呑み込む。
カレンか傍や噂話かで耳にしたのだろう。
「他につきあう…ヤツ……でもいんのか?」
「……いや…元からそんな仲ってワケじゃなかったし……」
「じゃあ、そのままフリーでいろよ……アンタにはお似合いだ、」
嫌味に聞こえないでもない言葉は、その見つめる瞳が打ち消している。
まるで…そうまるで告白でもされているかのようで。
「……なんか口説いてるみたいだな、オマエ。」
「んなわけねぇだろ…バカ兄貴が、」
そう言いながらキスを雨のように降らす弟の真意を測りかねていた。
いつだってこの弟は突然だ。
「どうして…何…キモチワルイ事すんだよ…」
果たしてキモチ悪いと思っているのだろうか。
現にトロンとした目つきで身を預けている自分に昴治は笑えた。
「俺はアンタの弟だ…ただそれだけ……認めただけだ。」
「なんだよ…それ、」
「それ以上何かあるのか?」
この感情は何と名がつくのだろう。
「俺は知らない、」
あんなにも存在しないと見なそうとした祐希は、今度は存在を大きく認めた。
内なる激しい感情を他人から謂われる感情とは認めずにだ。
そんなに簡単に容易く括れる感情でも、その感情に縋る程の時は過ごしてもいなく過ぎてもいない。
ただ手を伸ばしたことにより、懐に兄を入れた事により全てが動き出した。
そして全てが戻ってきた。
抽象的な感覚は祐希と同じく昴治も感じている。
何かは帰ってきた
何かが還ってきた
「……俺はアンタを嫌ってる弟だ、」
誰よりも憎み、そして
「アンタを兄貴って呼ぶのは俺だけだ……それだけの事だろ、」
「そう…だな、オマエ…俺の事嫌いだもんな。」
胸に苛立ちと悲しみは満ちない。
あの息苦しい締め付けもない。
降り注ぐキスの嵐に胸は切なくも高鳴っていた。
言葉では表現できないほどの感情が渦巻き、自分を何処かへ連れて行く。
「オマエは可愛くない…俺の弟だ…」
その言葉に祐希は笑ったようだった。
昴治もゆっくりと笑い、何と呼ぶのか認識しない感情に任せるように互いに唇を寄せた。
互いに揶揄い煽るようなキスは下肢を熱くしていく。
理性がはち切れそうになり、身じろぐ昴治を祐希は深く抱き寄せた。
「アンタ…むっつりだもんな、」
「…どういう意味だ、」
「普段が普段だから、」
「どういう意味だ……つーか、オマエ…顔真っ赤だぞ?」
「うるせぇよ、」
性行為はほとんど経験はない。
熱が溜まり、その熱に呑まれないように理性が頭痛のように鳴っていた。
もし男女であれば、繋がっていたかもしれない。
男同士でも繋がれるのだが、生憎、祐希にはその知識はなく到底昴治にもなかった。
けれど身に熱は溜まる一方、吐き出すにも吐き出せない状況だ。
「……兄貴、」
「え…うわっ……」
祐希は体勢を変えるように移動し、自分の顔上に昴治の股間がくるようにする。
逆に昴治の目の前には祐希の股間になる。
「は?え…ちょ……ゆうっ…わ、ひゃあ!」
ズボンのファーソナーを開け、既に反応しているモノを祐希は取り出した。
「ちょ…ま、待って……汚な……あっ…あ、ああっ」
口に咥えると、兄がそんな可愛い声が出せるのだと祐希は初めて知る事になる。
もがくように動く腰を抑えるように抱えれば、観念したのか昴治も祐希のズボンのファーソナーを開けていた。
「あ…う…や……んぅ…ん、ふぅ…」
昴治も祐希と同じようにモノを咥える。
嫌悪がある筈なのだが、まるでそれが起こらない。
知識のない行為は、頭中で手探りに行為が行われていった。
「んん…う…はう、う……」
「ん……ん……」
互いに息が荒くなる。
カタチを確かめるように祐希は舌を這わして吸ってみた。
「ん、んぅ!!」
小動物のような鳴き声が聞こえてくる。
それに下肢が熱くなって、頭がぼんやりとしてくるのを祐希は覚えた。
ちゅく、ちゅぼ…
ふるふると震えているのが解る。
限界なのだろうか。
「ん…ん、ふうう、んく…」
苦味のある液が口腔に広がっていくのを感じ、祐希は少し強めに歯を立てた。
「ふぅ!…ん…い、やあああっ……あ……っ」
どくどくと脈打ちが舌に響き伝わり、祐希の口腔で禁が解かれた。
どっと出てくる液体を祐希は無理に飲み込む。
嫌気はないが、何とも謂えない気分になった。
「んん……」
些か唸り、搾りとるように吸った。
すると昴治は祐希のモノを掴み、深く体を沈ませてきた。
掴むという刺激で祐希も吐精を促される。
「はぁ…はぁ………ゃ……ゃ……、」
か細い声と共に吐き出される音と、びちゃびちゃと何かに当たる音がした。
「…や……ぁ…」
モノから口を離し、ずるずると祐希は起き上がった。
項垂れる昴治を引き寄せれば、顔に白濁の液がかかっている。
それが誰のものなのかは言わずとも解っていた。
「……はぁ…はぁ……」
変な征服感が宿り、内心で祐希は自嘲する。
そしてついた液体を指で掬い、昴治の唇に当てた。
「…舐めろよ……俺は全部…飲んだ、」
眉を寄せ、怒るような顔をした。
けれど軽く咳き込んだ相手を見て、そろりと舐める。
「……う……苦い…」
「……まだあるぜ、」
顔を歪める昴治に、まだ残る液を指につけて口に押し込む。
祐希は無理に飲み込むようにしたので、あまり味わった事にはならない。
だが昴治は味わっているのと同じなのだ。
押し込まれた指を、昴治はゆっくりと舐め始めた。
それが返って味わう事になってしまうとは知らずにである。
「ん……ふ……」
ぴちゃぴちゃと音をたてて昴治は舐めとっていった。
「まさか軽量化しよーーと思ってこうも作業を増やすとは思いませんですですーねぇ。」
イクミが能天気な声を出し、メンテをしていく。
まったくそうだとメインオペレーターは頷いた。
軽量化を果たそうとしたプログラムソリッド。
だがそれが裏目に出て、電源装置のヒューズが一気に落ちたというのは昨日の出来事だった。
大騒ぎになったのは云うまでもない。
だが、それ以上に大騒ぎになった事がある。
「つーーか、祐希クンご機嫌ですねぇ…ちょいとむかつき?」
イクミはソリッドを組みながら、黙々をこなしていく祐希を見た。
カレンも他の者も同様、祐希を見る。
リフト艦に閉じ込められたという事実が発覚し、是が非でもまず先にと救助された兄弟は
何とも微笑ましい状況だった。
寄り添うように抱き合ってコクピットの寝ていたのだ。
兄弟仲が最悪だと知っている者にとっては、異様な光景であろう。
「…何かあったんですか?」
「……」
それと同じ質問をイクミは友人にしていた。
けれど彼は別に何もなかったと軽く笑う。
頬が赤かったのが気になったが、嘘はついていないくらいは解った。
「しかもーー昴治クン、ブリッジの通信係引き受けたみたいだしぃ…君が一枚噛んでます??」
「……うるせぇよ、」
「辛辣な言葉ぁーー。」
ふざけるイクミを横目にカレンはじーーっと祐希を見ていた。
「なんだよ、」
「別に…ただ…上手くいっちゃったのかなーって。」
「……」
祐希は軽く目を細めた。
その時、疑惑とでも謂おうか、話に登場する一人が現れる。
昴治は多くの書類を持ってイクミの方へ行く。
掠めるように昴治は祐希を見ると、密かに唇に笑みが浮かんだ。
深夜に二人はただ寄り添う。
そう二人が繋がる日もそう遠くはないだろう。
だがそれを知る者は今はいない。
兄弟という仲を誇示しながら、それ以上の感情を名を知ろうともせずに。
たとえ、誤魔化しもできない契りを交わしたとしてもだ。
忘れていくもの失っていくもの、過ぎ去っていく今。
二人は有限である生の中で
永久の絆を手に入れた。
もしもアナタがいなければ
きっと存在しなかった
(終) |